一番近くに

(仕方ない。本土の要人のところには、今日も俺一人で行くしかないな)


 しかし、あの短躯たんくで歯の出ている男は、イヴァンを子ども扱いして相手にしない。

 おまけにエルムトに来てからというもの、要人は番人ヘーニルたちとの会食ばかりだ。イヴァンの出る幕などなかったが、律儀な性格故か、イヴァンはきっちり隊長のマルティンの言いつけを守っている。


(護衛は要らないって言葉も、べつに俺たちを蔑視べっししているわけでもなさそうだ。あの護衛の男……。ただならぬ雰囲気を感じた)


 本土イサヴェルの要人の傍には護衛の男が付いている。

 

 痩躯そうくで長身の男は、それは美しい男だった。

 美しい金髪とアメジストの瞳。まるでどこかの彫刻が生を帯びて動き出したほど、精巧で整ったかんばせ。思わずイヴァンの肌は粟立あわだっていた。娘たちが群がっていたのもうなずける。イヴァンもあれほど美しい男を見るのは、はじめてだった。

 

(それに、あの声……)


 長々と会話をしたわけではなく、ちょっと挨拶程度の声を交わしただけだ。

 それでも心地の良い低音が、イヴァンの耳朶じだにいまも残っている。あの声に囁かれたり、なにかを命じられたりすれば、なんでも従ってしまいそうになるくらいに、蠱惑こわく的な声だった。


(そういえば、あのときからだよな。レムの具合が悪くなったのは……)


 あの美しい護衛の男を一目見ようと、娘たちの熱気はすごかった。

 

 イヴァンもレムも揉みくちゃにされたし、あそこで気分が悪くなるのも無理はない。レムの怠け癖も単に面倒だからという理由だけではなく、自分を守るためなのかもしれない。

 エリサもユハも、レムをデリケートで大人しい白兎みたいだと言う。それほど繊細な性格には見えなくとも、当たらずも遠からずといったところだろう。


「なんだ、またレムを追いかけ回していたのか?」


 上から降ってきた声に、イヴァンは足を止めた。オリヴァーだ。赤毛の軍医は長身のイヴァンよりも、もうすこし背が高い。


「そんなんじゃありませんよ。ただ、あいつ……、なんだかずっと具合が悪そうで」

「それはお前があいつをつけ回すからだろうが」

「俺はべつに、そんなつもりは」

「なんだ? 自覚なしってわけか。レムも災難だな」


 イヴァンは思わずオリヴァーを睨みつけていた。

 さすがに回廊では煙草を吹かしていなかったものの、オリヴァーからは色々なものが混じったにおいがする。煙草と薬品と、それから女物の香水のにおいだ。


「あなたにそんなこと言われたくはありません。レムを放っておいて、どこに行ってたんです?」

「知りたいか?」


 なにが愉快なのかは知らないが、オリヴァーはにやにやしている。

 答えをきかずともわかっている。どうせろくでもない場所に入り浸っているのだ。


「いえ、けっこうです」

「大人には色々あるんだよ。子どもにはわからんだろうがな」


 軍神テュールのイヴァンを子ども扱いするのは、輝ける月の宮殿グリトニルでもオリヴァーくらいだ。真面目に話すのも馬鹿らしくなって、イヴァンはさっさと会話を切りあげようとする。オリヴァーにしてもくだらない喧嘩寸前の会話など、時間の無駄だろう。


「これ以上、レムに関わるな」

「……どういう意味です?」


 ところが、オリヴァーはイヴァンを引き留めた。それは、イヴァンにとって聞き捨てならない台詞だった。


「あいつは色々抱えている。番人ヘーニルの父親を持ち、何不自由なくここまでぬくぬく育ったお前とはちがう」

「あなたは、なんでも知ってるんですね」

「ああ、お前よりはずっとあいつのことを知ってる」


 頭に血がのぼりかけて、イヴァンは大きく息を吐いた。こんな安っぽい挑発に乗るほど、イヴァンは子どもではなかった。


 言いたいことだけ言って去って行くオリヴァーの背中を見つめながら、イヴァンは二度目のため息をする。

 自分がレムの一番近くにいるような気になっていたのに、本当はレムのことをなにも知らない事実を突きつけられて、ただただショックだった。

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