戻ってこい

「と、まあ……。ここから先は君も知っているとおりだよ、イヴァン」


 時折、相槌を打ちながら、イヴァンはレムの昔話を皆まできいた。


 相槌というよりも、思わず声を挟んでしまっていた。

 彼の過去は想像以上に壮絶で、最後にはイヴァンはすっかり声を失ってしまった。


「お前は……、」

「うん?」

「お前は、あのとき……死ぬつもりだったのか」

「そうだよ、イヴァン」


 十四歳の妹エリサは、月の巫女シグ・ルーナとして選ばれていた。


 雪の嵐のなかで、急に妹は散歩に出掛けようと言ったので、イヴァンは全力で止めた。

 しかし、けっきょくイヴァンはエリサに押し切られた。ものすごい吹雪だった。


 エリサは精霊が見えていたので、雪の精と風の精たちが騒いでいる声がきこえていたのだろう。精霊たちに導かれて雪原を進んで行くと、半分生き埋めになっている少年を発見した。それが、レムだ。


「でもね、僕は君とエリサに感謝してる。ほんとだよ? だって、エルムトにいた頃は、けっこうたのしかったから」


(じゃあ、なぜお前は……)


 言いかけて、イヴァンは唇を閉じた。


 これではっきりした。レムはけっして、イヴァンやエリサ、そしてエルムトを裏切ったわけではない。

 サミュエルがエルムトに来たのは偶然かもしれないが、レムを連れて行ったのは事実だ。あの男の恐ろしさを肌で知っているレムは、絶対にサミュエルには逆らえなかった。

 

 エリサがレムを軍神テュールにしたのは、その強さを見抜いていたのだろうか。それとも、自分の目の届くところに、レムを置いておきたかったのだろうか。イヴァンにはわからない。


「ごめんね、イヴァン。こんなことをきかされても、困るよね」


 はっとして、イヴァンは顔をあげた。

 なんて情けない顔をしていたのだろう。レムの過去を望んだのは、他でもないイヴァンだ。


(なんで、謝る……)


 イヴァンは歯噛みした。レムはいつもそうだった。


「さあ、昔話はもう終わり。イヴァンはエルムトに帰らなきゃ、ね?」


 話し込んでいるうちに、とっくに陽は落ちていた。エルムトのように、強く輝く月はここでは見えないから、レムの表情もよくわからない。


「エルムトの軍神テュールが、いつまでもこんなところにいちゃだめだ。イヴァンは副隊長なんだから」

「お前もそうだろ、レム」

「えっ……?」


 イヴァンはレムの手を掴んだ。外套は羽織っていても、手袋はしていなかったレムの手はびっくりするくらいに冷えていた。


「お前も軍神テュールだ。レム」


 レムの動揺が伝わってくる。しかし、レムはすぐ作り笑顔に変えた。


「ちがうよ、僕は。もう軍神テュールじゃない」

「そう思っているのは、お前だけだ。レム」

「破門だよ。だって僕は、ミカルを」

「殺してなんかいない。最初からミカルを殺すつもりなんて、なかったはずだ」


 あの傷は、そういう傷だった。軍医のオリヴァーのお墨付きだ。


「馬鹿だな、イヴァン。ミカルだって、君とおなじ軍神テュールだよ。彼が生きているのは、上手く避けたからだし、身体が丈夫だったからだ」

「そうかもしれない」


 ミカルの兄アウリスは面会謝絶にしているものの、あれくらいで気弱になるほど、ミカルは心が弱くないはずだ。


(あの夜の真実を知っているのは、ミカルとレム。それにサミュエルだ。でも、レムが言いたくないのなら、もういい。そんなものはどうだっていい)


「戻ってこい、レム」


 びくりと、レムの肩が震えた。


「俺と一緒に帰るんだ。エルムトに」


 今度は逃がさないと、イヴァンはしっかりレムの腕を掴んでいる。痛いと訴えられても離さない。イヴァンは本気だった。


「なに、言ってるの? 冗談だよね?」

「俺は本気だ」

「僕の話、きいてたよね? それとも、おかしくなった?」

「俺は正気だし、冗談なんかでもないし、おかしくなってもいない」

「あいつから、サミュエルからは逃げられないって。そう、言ったよね……?」

「逃げる必要なんてない。あいつがエルムトに来たら、戦えばいい」

「……っ! 君は!」


 レムは空いていた左手で、イヴァンの胸倉を掴んだ。


「君はっ、なんにもわかってないっ! あいつが、あの男がどれだけおそろしいか、ぜんぜんわかってなんかない!」

 

 レムは拳に変えてイヴァンの胸を殴った。どんなに殴りつけられても、イヴァンは相好そうごうを崩さずにいる。


「イヴァンはわかっていない! サミュエルは、本当にイカレてるんだよ!」

「レム、落ち着け。お前は、」

「君だって、サミュエルには敵わなかった。あいつは強すぎるんだ。なのに……っ!」

「俺はもう負けない。イサヴェルの軍隊が来ても、組織のやつらが来ても、エルムトはけっして屈しない」

「君は、馬鹿だ! あいつの執着は度を超えているんだ。僕に関わったせいで、君もエリサも狙われる。君たちが殺されるなんて、僕には耐えられない!」

「レム!」


 あれは、夏至の祭りユハンヌスの前だったと、イヴァンは記憶している。

 

 軍神テュールたちで集まって、酒を飲んでいたときだ。夏と冬の祭りの前に、妙齢みょうれいの娘たちは騒ぎ出す。けれども男たちもおなじくらいにそわそわしていて、意中の相手がいればそれは告白のチャンスだった。


 ただし、エルムトの女はけっこう気が強い。


 エルムトの厳しい気候、それから男よりも圧倒的に女の数が多いためか、強くてたくましくなるのも必然なのだろう。


 愛を告げる前に喧嘩がはじまりそうになったら、相手の口を塞げば大人しくなる。

 男たちは馬鹿なので、恋人持ちや既婚者のアドバイスをそのまま受け入れる。そうすれば、大抵の女はそこで大人しくなるのだとか。


 イヴァンは恋愛話が苦手で、皆よりもちょっと離れたところにいたものの、その話はちゃんと覚えていた。


 重ねた唇は、ふた呼吸のあいだ大人しかった。


 あれだけ喚き散らかしていたレムも、声を忘れたみたいに黙りこくっていた。

 いや、いま起こったことを理解しようと、必死なのかもしれない。


「レム。大丈夫、だから」


 イヴァンは、ちいさい子どもを落ち着かせるときのように、ゆっくり声を落とす。


「俺は死なない。エリサだってそうだ。考えてみろ。あのエリサが、大人しく殺されるとでも思うか?」


 レムの肩を抱きしめながら、イヴァンは言う。無垢な子どもの目が、さっと怒りの色に変わった。


「……なにが大丈夫なんだよ」

「レム」

「わかってくれないなら、もういい」

「レム」

「分からず屋のイヴァンなんて、嫌いだ」


 ビンタが飛んでくると思ったが、レムはそうしなかった。でも、たたかれた方がずっとましだった。


 レムはイヴァンを無理やり押しのけて、行ってしまった。

 そのちいさいうしろ姿が聖堂から消えても、イヴァンはしばらく動けなかった。

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