第三章 レムの独白

大人になったらふたりでここを出よう

 物心付いたときから、僕は教会にいた。


 教会には僕みたいな親のいない孤児たちがたくさんいて、他にも身寄りのない人間が集まる場所だった。

 

 だからきっと、教会というよりも孤児院に近かったのだろう。

 イサヴェルはエルムトやケルムトとちがって、信仰心の薄い人間ばかりが集まっている国だ。敬虔けいけんな教徒が訪れるのも稀で、教会はすごく貧乏だった。


 子どもたちは満足な食事を与えられずに、どの子どももみんながりがりに痩せていた。


 食事は朝と晩の二回だけ、それも皆に平等に与えられるわけでもなく、取り合いだ。

 力の強い子が一番大きいパンを食べるし、ぐずぐずしていたらすぐ横取りされる。僕みたいな身体のちいさかった子どもは恰好かっこうの的で、いつも真っ先にパンを奪われた。


 取り返そうとむきになると、ひどい目に遭うことくらい身を以て知っていた。

 仕方がないので、僕はいつも皆の残りものを漁った。具のない冷えたスープと蒸した芋、牛乳が残っているときは、とにかくラッキーだと思った。


 動くとお腹が空くことはわかっていたから、僕は皆が遊んでいるときだって、とにかくじっとしていた。


 おまけに僕はそれほど身体が強くなかったから、すぐ熱を出すような子どもだった。

 でも、教会の大人たちは吝嗇りんしょくなやつらの集まりだから、もちろん薬なんてもらえなかった。


 痛くても苦しくてもつらくても、じっとしていればやり過ごせる。


 おなじ子どもたちからしても、気味の悪い存在だったのだろうね。殴られても蹴られても、つねられても無抵抗の僕は、そのうち誰からも相手にされなくなった。


 教会には修道士や修道女がいて、一応大人たちは子どもたちに教育をしていたらしい。


 いま思い返せば、真面な先生なんていなかったから、授業はただただ退屈で、僕も他の子らも真面目にきいてなんかいなかった。


 でも、ここでは大人たちは絶対だった。


 授業から逃げ出したり、反抗的な態度を見せたりすれば、すぐに鞭でたたかれた。

 一番力の強い子どもだって、大人たちが偉いことはわかっていたから、従順なふりをするくらいだった。


 彼はとにかくいつも苛々していて、僕をいじめるのに飽きると、また他の子をターゲットにした。

 食事が足りないせいか、鬱屈うっくつとしたここでの生活をしているせいか、どの子どもも無気力で、理不尽な暴力にも抵抗しなかった。


 大人たちは、そうした子どもの社会を知っていたはずだ。

 

 でも、いつだって見て見ぬ振り。おまけに子どもたちには満足に食べさせないくせに、自分たちだけ食べているせいか、どの聖職者もみっともないほど肥えていた。


 そうであっても、大人たちには誰も逆らえない。


 第二次性徴がはじまった子どもが、夜になると大人の部屋に連れて行かれるのを僕らは知っていた。


 見た目が綺麗な子どもはほとんど毎日で、他にも声の可愛らしい子どもも連れて行かれた。


 こっそりパンを恵んでもらっているのだと、他の子どもたちは思い込んでいた。

 でも、連れて行かれた子どもが翌朝戻って来て、やけに大人しくなっているのを見て、色々と察したのだろう。ここの子どもたちは馬鹿じゃない。そのうち自分の順番がくるのを、びくびく怯えていたのだから。


 それなのに、僕はいつまで経っても呼ばれなかった。


 自分で言うのも烏滸おこがましいのだけれども、僕は子どもたちのなかで一番容姿に優れていた。おまけに成長も遅くて、女の子と変わりない体躯たいくだった。


 だけど、僕は気付いていた。

 大人たちが子どもたちを見る目は、犬や猫を見る目とおなじだったけれど、僕に対する視線はもっとひどいことに。


 そう、あれはまるで穢れたものを嫌々見るのとおなじ。


 子どもたちの中にも馴染めず、かといって修道士や修道女からも嫌悪されていた僕は、教会に勝手に出入りする浮浪者たちにときどき近付いた。


 一人でも大丈夫なように見えて、誰からも相手にされないのは寂しかったのかもしれない。


 浮浪者たちは敬虔なる教徒たちだけれど、職をなくしたりで財産を失った者たちの集まりだった。

 彼らは僕の容姿を見て、神の使いか何かだと思い込んだらしい。無闇に触れたり言葉を交わしたりすれば、天罰が下るとでも思ったのか、彼らはたまに食べものをくれるだけで、それ以上のことをしてこなかった。


 僕は、彼らの傍にいるときが一番居心地がよかった。


 彼らはとにかく物知りで、いつも仲間うちでお喋りをしていた。それは自身の過去だったり、イサヴェルの情勢だったり、あるいはこの教会内のことだったり。単なる噂話でも、教会という箱庭に閉じ込められていた僕にとって、それが真実だった。

 

 あるとき僕は、いつものように彼らのお喋りに耳を傾けていた。

 熱心に彼らが話すのは、十年くらい前にここで働いていたとある修道女についてだった。


 それは、カトリーヌという名の美しい修道女の話だ。


 カトリーヌは生まれてすぐに教会に預けられた子どもで、しかし孤児というわけではなく、両親のいる子どもだった。

 イサヴェルの大富豪の娘だったが、正妻がカトリーヌの存在を認めずに娼婦から取りあげた上に、教会に丸投げしたらしい。もっとも、金貨を握らされた娼婦は面倒な子どもがいなくなったことを喜んだし、大富豪の父親も事なきを得たと安堵したとか。


 口止め料として多額の寄附金を手に入れた教会は、カトリーヌを他の孤児たちのように扱うわけにもいかず、聖職者として育てた。


 まっさらな雪のような純粋な心で育ったカトリーヌは、他の孤児たちにも優しかったという。


 特に、皆の爪弾きにされて孤独だった少年を常に気に掛けていたようで、でも彼が他の子どもたちの嫉妬を買わなかったのは、それだけの容姿と強さを持っていたから。


 そう、察しのとおり、その子どもがサミュエル。


 カトリーヌはサミュエルより、四歳年上のお姉さんというわけだ。

 サミュエルは幼い頃からカトリーヌを慕っていたし、彼女はこんなところにいるべき人ではないと、そう思っていたのだろう。


 大人になったらふたりでここを出よう。


 それが、サミュエルとカトリーヌの約束だった。

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