エルムトのために

 輝ける月の宮殿グリトニルへと帰り着いたイヴァンを、最初に迎えてくれたのが隊長のマルティンだ。


「イヴァン! 戻ったか。状況は、どれだけ把握している?」

仔細しさいはアウリスに確認しましたので、粗方あらかたは」


 マルティンはうなずきで返した。彼がイヴァンに問うているのは、エルムトの情勢だけではなく、いまの輝ける月の宮殿グリトニルの状況だ。


(思わしくはないときいていたが、これほどとは……)


 イヴァンもまた、マルティンの反応を見て確信に変える。


「俺は一刻も早く、援軍を送るべきだと訴えつづけているんだが、番人ヘーニルたちから色好い返事はきこえてこない」

「でしょうね。彼らは、いよいよ戦況が切迫すれば、アウリスたちを見捨てるつもりだ」

 

 マルティンが苦笑する。と同時に、目顔でイヴァンに警告を与えた。それ以上は言うなという意味だ。


 イヴァンとマルティンの他に、回廊には誰の姿も見えなかったものの、軍神テュールの隊長と副隊長が堂々と口にして良いような話題でないことはたしかだ。


「正直に言うが、イヴァン……じつはお前も疑われている」

「疑われている? 俺が、ですか……?」


 にわかには信じられずに鸚鵡おうむ返しするイヴァンに、マルティンはすっと笑みを消した。


「そうだ。お前はレムと親しかった。番人ヘーニルたちは、外部の人間をとにかく警戒している」

冬至の祭りユールのあいだに、何かあったのですか?」

「大事には至らなかったが、番人ヘーニルたちが狙われた」


 隊長の前だから堪えたが、イヴァンは舌打ちでもしてやりたい気持ちになった。


「俺は番人ヘーニルたちに従って、ケルムトまで赴き、そしてエルムトとの同盟を取り付けましたが……。それでも信用ならないと?」

「お前が怒るのは当然だな。すまん、イヴァン。ここは俺に免じて、どうか怒りを堪えてくれ」


 人目もはばからず、部下に容易く頭をさげるのが、マルティンという男だ。

 マルティンの性格はよく知っている。正直、腸が煮えくりかえる思いだが、イヴァンはどうにか怒りを抑えた。


「隊長が謝る必要なんてありません。それで、俺はこれから番人ヘーニルたちのところに行って、弁明すればいいんですね?」

「いや……、番人ヘーニルたちの議会は夜だ。俺とイヴァンも、それに呼ばれている」


 イヴァンはため息を吐いた。どうせくだらない議論を長々ときかされるだけだ。


「急いで戻って来てくれたのに、悪いなイヴァン」

「いえ……」


 あまりマルティンに気を遣わせるのも気の毒になって、イヴァンは笑みを作った。


 戦況はアウリスのところで大体は把握したつもりだ。

 イサヴェルの軍隊の侵攻があったのは、冬至の祭りユールのすぐあとだった。それは斥候せっこうと呼べるほどの部隊で、本体がまだ控えている。

 アウリスの部隊は先発隊を食い止めきれなかったが、敵が輝ける月の宮殿グリトニルへと着く前に、軍神テュールたちはこれを防いだ。


 と、ここまではイヴァンの予測通りだった。

 

 だが、アウリスが言うにはイサヴェルの軍隊以外にも、多数の暗殺組織がエルムトに入り込んでいるらしい。

 港町から輝ける月の宮殿グリトニルに戻るには、山越えをする必要がある。冠雪かんせつした山は天然の要塞に等しく、侵入者を阻んでくれる。


 とはいえ、イサヴェルの軍隊も暗殺集団も素人の集まりではない。

 エルムトの寒さと雪に耐えながら、あの山で身を潜めながら待つ。こちらがアウリスの部隊に加勢すると、そう踏んでいるのだ。


(やはり、番人ヘーニルはアウリスたちを見捨てる気だ。わざわざ敵の罠に掛かりに行くのは危険が伴う。それよりは、輝ける月の宮殿グリトニルの守りを厚くした方が勝機はあることくらい、俺にもわかる)


 イヴァンは、とにかく早く輝ける月の宮殿グリトニルへと戻り、援軍の要請を訴えるつもりだった。だが、それも叶わないと知り、行き場のない怒りを感じた。


 別れ際のアウリスも、まだ少年の軍神テュールたちも、この状況に絶望しているようには見えなかった。

 彼らは援軍がくるのを信じているのだろうか。いや、そうではないとイヴァンは思う。


(アウリスたちは、死ぬために戦っているんじゃない。生きるために戦うつもりなんだ。エルムトのために)


 しばし思考に没頭していたらしく、マルティンが怪訝そうにイヴァンを見つめていた。


「イヴァン……?」

「ああ、すみません。では、俺はそのあいだに月の巫女シグ・ルーナに会ってきます」

「いや、待てイヴァン」

「隊長……?」


 エリサに会いに行くというよりも、軍神テュール副隊長のイヴァンは、月の巫女シグ・ルーナへの報告の義務がある。

 なぜ、マルティンが止めたのか理由がわからずに、イヴァンは目を瞬かせた。


「すまんが先に、医務室に行ってくれないか」

「ああ、オリヴァー先生ですか?」

 

 軍医のオリヴァーはレムという助手がいなくなってから、一人で大忙しなのだろう。

 行けば何かを手伝わされるかもしれないが、他ならぬマルティンの頼みとあっては断れず、イヴァンはふたつ返事で応えた。

 

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