第四章 最後の軍神

我々は、軍神です

 本土イサヴェルから海を渡って港町に着いたとき、イヴァンは異様な雰囲気を感じ取った。


 港自体はまだ封鎖されていなかったが、ここで戦闘があったことは確実だ。

 冬至の祭りユールはとうに終わっている。これからエルムトは本格的に氷と雪に閉ざされる。そもそもこんな時期に、エルムトへと向かう者は稀で、船内にも旅客はほとんどいなかった。


 港町は閑散としていた。

 イサヴェルから冬至の祭りユールに訪れていた者たちも、大規模な戦闘がはじまるのを予期して、すぐ本土に引き揚げたのだろう。


(だが、イサヴェルの軍隊の姿が見えないのは、どういうことだ……?)


 まさか、もう本陣は輝ける月の宮殿グリトニルへとたどり着いてしまったのだろうか。


 イヴァンはかぶりを振る。

 いや、それはないはずだ。本土から海を越えると、今度は山越えがはじまる。夏ならばともかく、いまの季節は冬だ。イヴァンの目にも冠雪かんせつした山が見える。


 とにかく情報がほしいところだが、宿泊施設も酒場などといった店も閉まっているため、それもむずかしい。

 この港町を管理する町長がいたはずで、しかしいきなり行って取り合ってもらえるかどうか。


「イヴァン!」

  

 途方に暮れながら、とぼとぼ歩いていたイヴァンを呼び止める声があった。


「やはり……イヴァン副隊長だ!」

「帰っていらしたのですね!」


 少年が二人、イヴァンのもとへと駆け寄ってくる。まだ顔立ちは幼いものの、イヴァンとおなじく、纏っているのは軍神テュールの軍服と外套だ。


「こちらへ……」


 仔細しさいを問い詰めようとしたイヴァンを、少年たちは誘う。どこへ連れて行こうというのか。しばらく歩いてたどり着いたのは、町外れの館だった。


「ここは、アウリスが管轄する施設なんです」

「アウリスが……?」


 イヴァンは目をしばたく。ややあって、見当がついた。アウリスの父親は本土イサヴェルの富豪だ。ここは別荘のひとつなのだろう。


 奥の部屋へと案内されて、イヴァンはここでも驚いた。


「アウリス、お前……」

「やっと帰ってきたのですね。困った副隊長殿だ」


 いつもの慇懃いんぎん無礼な物言いに安堵したいところだが、イヴァンはアウリスから目を逸らせなかった。アウリスの左肩から腕に掛けて、包帯が巻かれている。


「お前、その傷は」

「こんなもの、どうってことありませんよ」


 それは強がりなのかもしれない。

 執務中だったようで、アウリスは机に向かっていた。しかし、ひさしぶりの再会だというのに、アウリスは席を立たなかったし、イヴァンにカウチを勧めることもなかった。


「お前たちがここで、イサヴェルを食い止めてくれたんだな」

「その言葉は正しくはありませんね。私たちは、奴らを抑えきれなかった」

「では、やつらは輝ける月の宮殿グリトニルに……」

「まさか……!」


 アウリスが机をバンとたたく。


「たどり着かせるはずがないでしょう? 我々は、軍神テュールです」


 イヴァンは目をすがめる。

 

 ここの守りはせいぜい百といったところだろう。それ以上の数を、番人ヘーニルたちは許しはしない。アウリスたちは足止めに失敗したが、イサヴェルの軍隊が輝ける月の宮殿グリトニルへと着く前に、他の軍神テュールたちが動き出す。


「ともかく、お前が無事でよかったよ」

「それはこちらの台詞ですね。てっきりケルムトで野垂れ死んだのだとばかり。あなたが帰ってこなければ、私が副隊長でしたのに……残念です」


 イヴァンは失笑する。無論、アウリスも作り笑いだった。


(相変わらず、冗談が下手だな)


 減らず口をたたける余裕があるところを見て、ようやくイヴァンは肩の力を抜いた。と、同時にどうしようもない罪悪感に襲われた。


(アウリスがこの館の主人だから、この町を任されたのかもしれないが、本来ならこれは俺の役目だった……)

 

「それで? ケルムトはこちらに応じてくれると?」

「ああ。同盟はまもなく成立する。ケルムトの太陽の巫女ベナ・ソアレのおかげだ」

「なるほど。あなたが使者に選ばれた意味が、いまわかりましたよ。あなたは蛇姫のお気に入りのようだ」

「まあ……、いろいろと世話にはなったが」


 アウリスは怪訝そうな表情をする。その視線の意味をわからず、イヴァンは首を傾げた。敵の攻撃を避けきれなかっただけではなく、毒をもらって太陽の巫女ベナ・ソアレに助けてもらったのは事実である。


「その様子では、レムは連れ戻せませんでしたか」

「あいつは……」


 口籠もったイヴァンにアウリスは嘆息する。


「あれは助手とはいえ、軍医ですからね。戦力にならなくとも、後衛では役に立つ」

「ずいぶん勝手な言い草だな。レムを裏切り者扱いしたのは、お前とミカルだろう」

「否定するのなら、挽回して見せろと。私はそう言っているのですよ、イヴァン」


 イヴァンはとっさに口内を噛んだ。そんなことにはならない。レムはイヴァンの手を受け取らなかったし、組織から離れなかった。


(ちがう。あいつが離れられないのは……)


「やめだ、アウリス。いま、お前と喧嘩しても、なんにもならない」

「そうですね。私だって、わざわざ疲れる真似はしたくありませんよ」


 アウリスはベルを鳴らして、さっきの少年たちを呼んだ。


「ともかく、今日はここで泊まってください」

「しかし、俺は早く輝ける月の宮殿グリトニルに」

「状況もわからないまま帰ってどうなります? 山越えの準備も必要でしょうに」


 そう言われてしまえば二の句を継げなくなったイヴァンは、ここは素直にアウリスの厚意に甘えることにした。

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