純粋無垢というのは、ある意味で厄介だ

 サミュエルは心からカトリーヌを愛していたから、彼女の本質を見抜けなかったのだろう。


 カトリーヌは良い意味でも悪い意味でも純粋だった。無垢すぎたのだろうね。


 サミュエルは子どものときから、他の子どもよりも強かった。

 その強さは異端で、手に負えなくなった教会は、彼を貴人の家に売った。用心棒として十分に働ける見込みはあったし、サミュエル自身も本望だったのだろう。


 なにしろ、カトリーヌはサミュエルにとっての唯一の希望なのだから。


 彼は汚れ仕事も何でもやって、とにかく金を貯めた。カトリーヌを教会から連れ出すためだ。

 しかしその二年後、ようやく迎えに行けたにもかかわらず、サミュエルは絶望する。カトリーヌがすでにこの世からいなくなっていたからだ。


 教会は表向きは慈善事業として、身寄りのない人間、あるいは病人や怪我人を受け入れている。


 けれども、修道士や修道女は穢れることを嫌って、そうした人間にはけっして近付かなかったし、浮浪者たちに面倒を見させていた。


 だからカトリーヌは変わった人間だったのだろう。


 病人にも怪我人にも、浮浪者たちにも隔てなく公平に人間として扱った。

 そんな彼女の姿はまさしく聖女のように見えたのかもしれない。カトリーヌは拒むことを知らなかったし、すぐに他人にほだされるような女だった。


 純粋無垢というのは、ある意味で厄介だ。


 カトリーヌは誰が父親ともわからない子どもを、その腹に宿していた。

 言わずもがな、修道女とは生娘でなければならない決まりがある。処女でもない女は穢れの元、しかし胎児もまた教会では許されていなかったため、カトリーヌは十月十日後に、男の子を産み落とした。


 まあ、その子どもが僕なんだけれども。


 正直、カトリーヌには何の感情も抱けないけれど、気の毒なのはサミュエルだ。

 将来の約束を交わした女は背信行為をした挙げ句、不義の子まで残して死んだのだから。


 と、言うのが浮浪者たちのお喋りの内容だ。


 僕はそれをまるで他人事のようにきいていたわけだけど、そういうわけにもいかなくなった。サミュエルが、教会に僕を迎えに来たからね。


 僕は馬鹿だから、サミュエルが本当のお父さんだと、そう思い込んでいた。


 何度かそう口走ってしまったこともある。そのたびに、サミュエルはなんとも複雑そうな表情をして、それから隠すように微笑んだ。


 でも、本当にそうだったらいいだなんて、思っていた僕はやっぱり馬鹿だったんだ。


 だけどね、サミュエルは優しかったよ。最初の頃は本当に。


 何も持たず、何もできないただの子どもだった僕に、なんでも与えてくれた。

 あたたかい食事も、あたたかいベッドも、人のぬくもりも、ぜんぶだ。おまけに学校にも入れてくれたんだけど、僕はどうしても集団に馴染めなくて、七日と持たずに引き籠もってしまった。


 それでも、サミュエルは僕を見捨てずに、いろんなことを教えてくれた。

 

 彼は敬虔な教徒で学もあった。学校なんか行かなくても、サミュエルが教師でよかったと、僕はそう思っていた。


 僕はこんな容姿だから、迂闊に外に出てしまえば厄介ごとにすぐ巻き込まれる。

 だから、身を守る術も彼から習ったんだよ。そう、師匠の腕がいいから、僕もこんなに強くなれた。そこだけは、サミュエルに感謝しているところかな。


 たのしいばかりの生活が一変したのは、僕に第二次性徴が現れたときからだ。


 僕はどうやらカトリーヌに瓜二つだったらしい。


 白金の髪も、宝石のような真っ赤な目も、肌の白さも、顔立ちもぜんぶだ。

 だからね、サミュエルは僕を通してカトリーヌを見ていたんだよ。つまるところ、僕はカトリーヌの代わりだ。


 でも、残念ながら僕はカトリーヌじゃないし、なによりも男だ。


 そんなものは、サミュエルにとってお構いなしだったのだろうね。

 彼に愛されている時間が嫌で堪らなくなったのは、サミュエルが愛しているのが僕ではなくて、カトリーヌだと気付いたからだ。


 逃げようとしても、もう遅かった。


 僕はとっくに、サミュエルから逃げられない身体になってしまった。

 組織のネズミたちには、気の毒なことをした自覚はあるよ。僕に試す薬の実験台に、まず奴らが選ばれたのだから。


 サミュエルだって、もうとっくにわかっていたはずだ。僕がカトリーヌなんかじゃないってことくらい、気付いていたはずなんだ。


 だからあいつは、もう一度カトリーヌを作ろうとしたんだ。

 言っている意味がわからないよね。僕もそうだよ。つまりね、僕に生ませようとしたんだよ。女の子が生まれたら、今度はちゃんとカトリーヌになるはずだからって。


 ああ、ちなみにできるらしいよ。

 残念ながら、僕とサミュエルはそんな関係ではなかったみたいだけど。


 うん、わかってる。おかしいよね、こんなのは。

 でも、僕がサミュエルの狂気に触れたのは、ここからだった。

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