第22話 記憶力に難がある女


 追いついたのは、人目のない細い路地裏。


 誘い込まれたのは明白だったが、シンはかまわずにその場所に飛び込んだ。後ろをついてきていたリンも、躊躇ちゅうちょなく自分のあとに続く。目的の人物は、行き止まりとなっていた路地の最奥で、静かにゆったりとたたずんでいた。


「だいぶ進む速度を上げたようだね。先頭集団まであと少しと言ったところかな。では、さっそく特権の話に移ろうか。わたしを見つけた者の特権として――」


「知ってる」


 シンは、相手の言葉を中途でさえぎった。そのまま、事前に用意していた三つのそれを慎重に並べ立てる。


「続けて三つ訊くよ。おれたちに記憶がない理由は? 記憶を取り戻す方法はあるの? あるならそれを教えてほしい」


「…………」


 短い沈黙。


 数秒のそれを経て、目の前の女が口をひらく。女の口で、間違いなかった。


「さて、どの質問から答えようか。いや……きみの質問に対する答えは全て、ひとつのフレーズで事足りるな。それら全ての答えはにある。以上だ」


「そんなの答えになってない。妙な言い回しでけむに巻こうとするな」


「けむに巻いているつもりなどないが。そうとしか答えられない。もう一度言うが、それら全ての答えは螺旋山の頂上にある。そこに行けば、全てが分かるよ」


「そこにはどうやって行くんですか?」


 リンが会話に割って入る。黒マントの女は大仰にかぶりを振った。


「残念ながら君たちの質問数は上限に達した。これ以上の質問には答えられない。フェアじゃないからね」


「上限に達したのはシンの質問数です。わたしはまだ、一個も質問してません」


 リンの言うとおりだ。同時に発見したのだから、リンにもその権利があるはず。


 が、女が寄越した答えは、まったく想定外のそれだった。


「残念ながら、きみたちは二人一組だ。一人を別々にカウントすることはできない」


「……え?」


 シンは、ポカンと固まった。


 意味が分からない。二人が同時に発見したから、二人で一人とカウントされたのか。そうではなく、自分たちを『特殊な存在』として二人一組と認識したのか。


 後者だったら、完全に理解不能な一言だ。


 同じように思ったのだろう――リンが、納得できないとばかりに不平を鳴らす。


「そんなのズルいです! 意味が分かりません! ズルさ、マックスです! 反則です!」


「反則、と言われてもね。わたしは反則に当たるような言葉は一言も発していないのだが」


 言葉とは裏腹、さして困ったふうもなく、黒マントの女がたんたんと応じる。


 彼女はその口のまま、だが突と思い直したように、


「だが、そうだな。事前にそう説明しなかったわたしにも落ち度はある。特別にさきの質問にだけは答えよう。螺旋山への行く道を知る必要はない。心配しなくても、ただ心のおもむくままに進めば、いずれ必ずたどり着けるよ。きみたちは誰もがみな、そこを目指して進んでいるのだから」


「もっと分かりやすく言ってください!」


「そうか、では分かりやすく言おう。きみたちはパーティを組んでいるようだが、どちらの方向に進むかで意見が分かれたことがあるか?」


「……ないね」


 ない。


 道が分かれていた場合、進む方向は必ず満場一致で決まる。一人だけ意見が違ったことなどただの一度もない。別の方向に進んだら何があったのか、と考えたことさえなかったように思う。当たり前のように、その道を選んで進んできたのだ。ほかの選択肢など初めからなかったかのように。


 今にして思えば、不思議なことではあった。 


「そうだろう。それは、きみたちが進むべき正しい道を本能で理解しているからだ。分かりやすく言い直せば、テキトーに進んでいても問題なく目的地に着けるという意味だよ。無意識のうちに、正しいルートを選んで進んでいるのだからね。無論、それはきみたちだけに限った話ではないが」


「記憶喪失の町出身のヒトたちはみんな、わたしたちと同じルートを進んでいるということですか?」


「悪いが、サービスはひとつだけだ。これ以上はフェアじゃない。わたしは立場上、フェアであらねばならないからね。どうしても、はわいてしまうが」


 意味深なセリフを吐き、黒マントの女の姿が蜃気楼のように揺らぐ。


 そうして彼女は、さらなる不可解を最後に落として、さびれた路地裏から姿を消した。


「それにしても、きみたちは『賢いネズミ』だね」


 不可解で、なぜだか不快極まるフレーズだった。



      ◇ ◆ ◇



 宿屋の一室。


 シンとリンから受けた思わぬ報告に――ヒョーマは全力で思考を巡らせていた。


「なるほど、螺旋山の頂上か……」


 その場所に行けば、全てが分かる。おそらくは失われた記憶も戻るに違いない。明確な目標ができた。間違いなく、今までで一番の前進である。


「でもこれで、新しい町に着くたんびに地元のヒトたちに記憶の有る無しを確認する、っていう無駄な作業は完全にいらなくなったわよね。あれ、地味に面倒くさかったのよねー。知らないヒトに話かけるのもなんか嫌だったし」


「そもそもあれに大きな意味があったとは思えません」


「小さな意味はあったんだよ……」


 自分の立てた作戦がボロクソにこきおろされているようで、ヒョーマは悲しかった。


「まあ、それはいいとして――あと重要なのは距離だな。螺旋山ってのがどこにあるのかは大きな問題じゃないようだが、そこにいたるまでの距離は重要だ。数日で着く範囲まで近づいてるのか、まだ何か月もかかるほど遠いのか……」


「じゃあ、その黒マントの女ってのがあたしの前にも現れたらその部分を訊いておくわね」


「ああ、頼む」


 なんとなく、アカリの前には姿を現さないような気もするが……。


「ああ、そうだ。一応、それに加えて――」


「えっ、ちょっと待ってよ!? ふたつ以上のことを一緒になんて覚えてられないわよ!」


「なん、だと……?」


「アカリさんは『三行の女』だと伝えたはずですが」


「三行の女言うな! 三行以上は覚えられるわよ!」


「でもふたつのことは同時に覚えられないんだな……。そっちのが簡単だと思うが……?」


「勘違いしないでよね。覚えられないんじゃなくて、覚えてられないの。今日、このあと訊けばいいんだったら楽勝よ。でも、いつ会うか分からないのに、この先もずっと覚えてなんてられない。ふつう、無理でしょ?」


「いえ、むりりゃないれふ」


 リンの言葉が、途中から聞き取りにくい発音へと変化する。後ろから、アカリに思いっきり両の頬を引っ張られたからである。餅のように良く伸びると、ヒョーマは感心した。


「なんれわらひのほっへらひっはるんれふか?」


「なんとなく」


 怒っているのは明らかだった。


 と。


「シン、どうした? なんか気になることでもあんのか?」


「……え?」


 シンが、キョトンとした顔でこちらを向く。


 下を向いたまま、しばらく会話に参戦していなかった彼は、不意の呼びかけに完全に虚を突かれたテイだった。


 ヒョーマは、さらに言った。


「気になることや不安なことがあるなら言えよ。俺たちは同じパーティの仲間なんだからな。遠慮せずになんでも言え。黙るときも、遠慮せずに黙っていいけどな」


「……うん、ありがと。でも、平気。別にたいして気になってることはないから」


「そうか、ならいい。でも、さっき言ったことは忘れんなよ。アカリ、リン、おまえたちもだ」


 視線をほかの二人に移し、強く言う。


 あの頃とは違う。


 長く共に過ごした時間が、言葉では言い尽くせない、いろいろなモノを育んだ。


 絆、情、愛だけでも足りない、あまたのモノを。


 もう、戦いのためだけに組まれたパーティではないのだ。


 ヒョーマは、決意の言葉を胸中に落とした。


(俺たちは、四人一緒に目的の場所へたどり着く。誰一人欠けることなく、四人一緒にだ)


 この決意が、彼にとっての巨大なターニングポイントとなる――。

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