第7話 本を読んだら二秒で寝られる女


真夏の吹雪ジュライ・ブリザード!」


 氷点下の荒波が、目の前のモンスターを殴るように飲み込む。ヒョーマは、間髪いれずに追撃の斬撃を振り下ろした。


「グッ、ガァァァァァ……ッ!!」


 断末魔の咆哮。


 けたたましいうめき声を上げ、くだんのモンスターが消滅する。煌びやかな宝石のみをその場に残して。


「見た見た、ヒョーマ? 今の魔法見た? 昨日覚えたの! 魔力エネル消費70の大魔法よ!」


 得意げに、小ぶりな胸を若干とそらしてアカリが言ってくる。


 ヒョーマはひたいを押さえて、


「それをこんな雑魚相手に使ったのか……?」


「すさまじい魔力エネルの無駄づかいですね。しかもヒーラーなのに、またしても自分が最も回復魔法を使われているという謎現象。アカリさん、二秒でいいので頭使ってください」


「……いいよ、もうおれがヒーラーで。適性的にも、そんなに大きな差はないし」


 シンが、あきらめたように言う。ヒョーマもそれを受け入れるほかなかった。

 

 街道。


 それはさておき、街道である。


 記憶喪失の町を出て、およそ三日。これまでの最大行動範囲は半日で超えた。それから二日半、ひたすら一方向(全員一致でその方向に進むことは決まった)に歩き続けて、ようやくとこの街道へとたどり着いたのである。この、に。


 町。


 視界の先、数百メートル。完全無欠の『町』が見える。初めて見る、別の町。ヒョーマたちは、意気揚々とその町に入った。


 驚きは、その数秒後に彼らの身体を強襲した。



      ◇ ◆ ◇



「ヒヒーン!!」


「ひゃあ!? ちょ、な、なに!? なんなの!?」


「いきなり飛び出してくんじゃねえ! あぶねえだろ!? 気をつけろ、この馬鹿ッ!」


「馬鹿って……!? どう考えても、あんたのほうが――」


「よせ、アカリ。むやみに噛みつくな。何されるか分かんねーぞ」


 肩をつかんで、アカリを止める。ヒョーマは警戒の眼差しで『男』が去るのを待った。


 男。


 馬を駆る、中年の男だ。だが、ただの馬乗りではない。馬の後ろには荷台があり、それを二頭の馬がひいているのだ。子供のように街中を走り回っていたアカリが、つまりはその馬に轢かれそうになったのだが――全面的に彼女に非があるとも言えなかった。


 ヒョーマは、男が完全に去ったのを確認すると、


「イカれた野郎だな。まともじゃないぜ」


「幼児のようにはしゃぎ倒していたアカリさんにも多少の問題はありますが、今のはあのヒトのほうが悪いですね。町の中であんな物騒なものを走らせるなんてどうかしてます。イカれ度合いマックスです」


「ホントよ! しかも見てよ!? 走ってるの、さっきのだけじゃない!」


 アカリの言うように。


 よく見ると、それらの馬は町のいたるところを走っていた。中には、荷台に人を乗せたそれまである。ある種異様な光景であった。


「まずは宿屋を探そ。疲れた身体を休めないと。できれば、長期滞在できる宿がいいけど。馬車に轢かれないように気をつけながら――」


「……馬車・・? シン、おまえ何言ってんだ? あれ、馬車って言うのか?」


 当たり前のようにシンの口から落ちたその呼び名に、ヒョーマは怪訝に眉をひそめた。


 訊かれたシンも、両目を丸くして、


「え……おれ、今そんなこと言った? 馬車……あれ、でもあれ馬車じゃない?」


「いやだから馬車って…………ああ、いや馬車か。ありゃ馬車だな。馬車だ」


「……馬車、ですね。馬車だと分かります。さっきまでは分からなかったのに……」


「ホントだ……。なんで分からなかったんだろ。あれ、馬車じゃない。悪いの、あたしだ」


「…………」


 おかしい――というか、不思議な感覚だった。


 さっきまでは確かに、あんなものは知らなかった。記憶喪失の町では見ないたぐいのものだったし、ここで初めて見たのは間違いない。だが、今はもう『知っている』。まるで初めから知っていたかのように、今ではあれが『馬車』であるという認識が当然となっている。違和感など、何ひとつない。それが最大の違和感ではあるのだが……。


「ま、いっか。シンの言うとおり、さっさと宿を探しましょ。あたし、もうクタクタ。早くお風呂入って休みたい」


「わたしもです。お風呂入って、軽くお昼寝したいです」


「あ、ああ……そうだな。さっさと宿を探すか」


 ヒョーマは、半信半疑に頷いた。


 どう考えてもおかしい。


 このときまでは、これを妙だと思う心が確かに残っていた。


 だが、時間がたつにつれ、徐々にその感覚は薄れていき――目的の宿に着いたとき、最初に覚えたその違和感は彼の中から完全に消え失せていた。


 消え失せて、いたのである。



      ◇ ◆ ◇



「あたし、読書が趣味なんだけど……」


 第二の町、宿屋の一室。


 あのあと、ヒョーマたちはまっすぐに町唯一(小さな町ではあったが、まさか一軒しかないとは思わなかった)の宿屋へと向かった。


 ほかに競争相手がいないためか、そこは「雨露しのげれば文句は言うな」というレベルの空間であったが、疲れた身体を癒すにはそれでじゅうぶんだった。


 ヒョーマたちはその空間でまったりとくつろぎ――だが、途中でアカリがなんの脈絡もなく冒頭のセリフを突と切り出したのである。


「息を吐くように嘘つくの、やめてください。混乱します」


「嘘じゃないって! なんで嘘だと決めつけるのよ!」


「だってアカリさんは見るからに、本を読んだら二秒で寝られる女――別名『スリーピング馬鹿』じゃないですか?」


「スリーピング馬鹿ってなに!? まだ『本を読んだら二秒で寝られる女』のが良かったんだけど! てか、睡眠薬飲んだって二秒じゃ寝られないわよ!」


 正論である。


 ヒョーマはあくびをかみ殺しながら、


「で、どんな絵本が好きなんだ?」


「絵本は好きじゃないわよ! 好きなの小説! ミステリ小説!」


「ミステリ? 推理小説のことか? おまえが?」


「またまたそんなお茶目なご冗談を」


 ぼそりと、リン。


 アカリはムキになって反論した。


「ホントにミステリ好きなの! 自分で書いてもいるんだから!」


「へー、アカリ本書いてるんだ? どんな感じのシナリオなの?」


 シンが、少し興味を惹かれたような様子で訊く。


 アカリは嬉々として彼に向き直った。


「シンも、ミステリ好きなの?」


「まあ、たまに読むくらいだけど。多少、無理があっても犯人は意外なほうが好きだね」


「うんうん、分かる。あたしもそのほうが好き。えーっ、コイツが犯人だったのーって驚きたいもんね。今、書いてるヤツもその方向でいこうと思ってる」


「その方向は技術がいるんじゃねーの?」


「技術はあるわ。もう今回の作品で二作目なんだから。ベテランよ」


「ベテランの意味、分かってる……?」


 分かっていなければ問題だし、分かっていればもっと問題である。


「ちなみに前作はまだ手もとにあるんですか?」


「もちろん。記念すべき処女作よ。一生の宝物だわ。もしかして、リンも興味あるの?」


「読んでみたいとは思います。読ませてくれますか?」


「うんうん、もちろん! 読んで読んで! 感想、聞かせてくれたらすごくうれしい!」


「あ、おれも読みたいかも。リンの次に、おれにも読ませてよ」


「ホントに!? ありがとー! 荷物の中に入ってるから、すぐに持ってくるね!」


 天真爛漫、小さな子供のように両目に星を宿して、アカリが部屋を飛び出ていく。


 ヒョーマはその合間を縫って、シンを出入り口の扉付近へといざなった。


「なに、どーしたの? あ、もしかして例の確認?」


「ああ、ちょっと付き合ってくれ。リンが本を読み終わるまで、数時間はかかるだろ?」


「了解。調べる価値はじゅうぶんにあるからね。この町のヒトはどうなのか、興味深いよ」


 興味深い。


 本当にそのとおりだと、ヒョーマは心の底からそう思った。

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