第6話 幕間 ①
「姉ちゃん、なに読んでんの?」
「本」
返事は、シンプルだった。
「……悪かったよ、読書の邪魔して。ごめんなさい」
俺は投げやりに言って、ぷいっと姉貴から顔を背けた。
そのまま、天井を見やる。
暇だ。
恐ろしいほど暇だ。
せっかくの祭日なのに、マジでなんにもやることがない。
姉貴がどんな小説を読んでるかなんて、正直どうでも良かったが、そんなどうでもいいことすら訊いてしまうほどに他にすることがない。
三日前みたいにまた虎谷を誘って酒でも(あんまり好きじゃないのだが)飲むか、と思った矢先、だが姉貴の口から期待していなかった内容の返しが放たれた。
「ミステリ。推理小説だよ。お父さんの書斎から引っ張り出してきたの。まだ読んでないのあったから。八割近く会話文だから、あんたでも読めるんじゃない?」
「……馬鹿にしてんのか?」
「別に。あたしも会話文多いほうが好きだし。会話文多いから子供向けってわけじゃないよ」
まあ、そうなんだろう。姉貴が言うなら。
が、俺はどうにも馬鹿にされたような気がして、
「……俺だって、文学作品ってのを最後まで読んだことくらいあるんだぜ。ほら、親父が持ってた文学大全集。あんなかの一作品。俺は中学のときにひそかに読破してたんだ」
「一作品だけってのが悲しくなんだけど。――で、それって誰が書いた作品?」
「誰? あ、ああ……作者のこと? あれだよ、あの……なんかドラクエの中ボスにいたような名前の……」
「バルザック?」
「そう、そいつだ! バルザック!」
「バルザックの、なんていう作品?」
なんていう作品?
タイトルのことか?
なん、だっけか……。
確か、けっこう特徴的な題名だったはずだが……。
俺は記憶の糸をたぐった。
思い出せ。
思い出せないはずはない。
姉貴に馬鹿にされないようにと、一か月以上かけて読み切った唯一の文学作品だ。
その、タイトル。
題名。
……………………………………………………………………………………。
俺は、答えた。
「マスオ兄さん?」
「ゴリオ爺さんね」
違った。
俺は天を仰いだ。
超絶どうでもいいことだが、地味に悔しかった。
さん、は合っていただけに……。
と、姉貴がため息まじりに言ってくる。
「……ヒョウ、あんたさ、こんなとこにいていいの?」
「実家にいて何がワリィのよ?」
「……あんたがいいなら、別にいいけど。メイちゃん泣かしたら、マジでぶっとばすからね」
「泣かさねーよ。つーか、ケンカしたわけでもねーし。あいつ今、家族旅行に行ってんだよ。オランダだか、どっかに。ばあちゃんの母国なんだとよ」
「そ、ならいいけど。あっ、そう言えば、さっきあんたのスマホ鳴ってたよ」
言われて、俺はソファーの上に置いてあったスマホを手に取った。
画面を見る。
着信が二件あった。そのうちの一件、珍しい発信元だった。
「……虎谷の家からだ。家電なんて珍しいな。つーか、電話自体珍しいな」
「スマホ、どっかに落としたんじゃない? ノブくん、そそっかしいとこあるし」
「ああ……かもな。しかたねえ、かけてみっか。家にかけんのなんてガキの頃以来だから緊張すんな」
「お母さんとか出たら、ちゃんと挨拶すんのよ」
「分かってんよ。いくつだと思ってんだ、俺を。高校生じゃねーんだぞ」
もう二十三だ。
社会人も二年目に突入している。緊張はするが、非常識はやらない。
俺は小さく一度、深呼吸すると、意を決して虎谷の家に電話をかけた。
十秒後、俺は生まれて初めて茫然自失を味わった。
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