第5話 なんかよく分かんないけど、旅に出たがる女


「……どういう、ことだ?」


 ありえない。


 視線の先に広がる光景に、ヒョーマは呆然と両のまなこを震わせた。


「ね、ヒト少ないでしょ?」


「減ってるね、確実に。歩いてる人間が昨日きのうまでより明らかに少ない。たまたまってレベルじゃないくらいに」


 減っている・・・・・


 シンの言葉を受けるまでもなく、昨日より確実に行き交う人の数が減っている。


 減っているレベルが、尋常ではなかった。


「五分の一、いや下手すりゃもっとか? どこもかしこもヒトであふれてたのに、ポツンポツンって言葉が使えちまうまでに減ってやがる。今日、なんか変わったことあったか?」


 誰にともなく、訊く。


 答えをくれたのは、リンだった。


「ない、と思います。外からモンスターが押し寄せてきた、という雰囲気でもありません。たんにヒトが少ないだけですね」


「リンの言うとおり、今日は特別なことなんてひとつもない。毎日、町のイベントはチェックしてるもの。七日後の、トンボの羽むしり競争までは特別なイベントはないって断言できるわ」


 自信満々に、アカリが言う。


 今まであらゆる(どうでもいい)イベントに参加してきた彼女が言うのだから、間違いないのだろう。


 でもだとしたら、考えられる可能性は――。


「昨日一晩で、町を出た人間が大量発生した。調べてみないと分からないけど、その可能性が一番高いんじゃない?」


 シンが、言う。


 まさか、とは思いながらも、実はヒョーマも同様の可能性を脳裏の端に浮かべていた。


 町を出る。


 ここ最近、そういった連中がちょこちょこと現れ始めていた。ちょっと町を出ただけでも相応の危険が待ち受けているのに、荷物をまとめて完全に外の世界を目指そうという奇矯な輩どもである。


 何があるか、どんな世界が広がっているのかさえまったく判明していない未知の領域に旅立つ。こんなにも平和で、安定しているテリトリーを捨てて。


 ヒョーマにはおよそ理解のできないことだったが、少数の変人ということでこれまでは特段気に留めていなかった。


 だが、それが昨日一日で――。


「確かめよう。町中を探し回って、本当に町からいなくなったのか……町の外に出て行ったのか、を」


 心の片隅で、ざわざわと不穏な音が鳴っていた。



      ◇ ◆ ◇



「確定だね。シューヤたちも、武器屋のおじさんも、道具屋のおばさんも、みんないなくなってた。一緒に住んでたヒトの話だと、突然思い立ったようにって感じで行動に出たみたい。以前から計画してた、みたいな感じじゃ全然なかったって」


「ああ、こっちもそんな感じだ。町の外をずっと進んでいったら何があるんだろう、って今までンなこと一度も言ってなかったヤツが突然言い出して、その数分後には荷物まとめて町を出て行っちまったって。そんなヤツらが大量にいやがる」


「それが数人程度なら今までもありましたけど、一気に八割以上の住民が、というのは明らかにおかしいですね。まあ、ここ最近増えてはいましたけど」


 自宅に戻り、いつもの大部屋で持ち合った成果を話し合う。


 おおむね、予想していたとおりの内容だった。


 消えた人間のほとんどは、自分の意思で町を出た・・・・・・・・・・。町の住民の大半が唐突に消え去った、という事実とは別に、だがヒョーマにとってそれはなぜだかとてつもなく大きなことのように思えた。

 

 大勢の人間が同じ行動を取り、同じように町を出る。


 心が、ざわついた。


(なんだ……この感覚? 不安? 恐怖? いや違う、あせり・・・だ)


 その行動を自分が取らないことに対する、あせりの気持ち。


 なぜあせるのか、それは分からない。


 取り残される、という漠然とした思いではない。


 


 記憶がなくても、本能が告げている。


 使命感。


 長いあいだ無意識下で押さえつけられていた正体不明のそれが、ここにきて一気に爆発したような感覚だった。


 そんなこっちの気持ちを察したわけではないだろうが――それまで不自然に黙っていたアカリの口が唐突にひらく。


 放たれた言葉は完全に予想外だったが、なぜだかヒョーマはそれを落ち着いた気持ちで受け入れることができた。


「ねえ、あたしたちも町の外に出ない? なんとなく、そうしたほうが良いような気がするんだけど」


「外に出るって、それは一時的なことじゃなく・・・・・・・・・・って意味か?」


「うん。旅っ、旅に出るのよ!」


「……おまえ、昨日までそんなこと一度でも言ったことあったか?」


「ないけど。でも、今はなんかそうしたほうが良いって思うの。なんか分かんないけど」


「分かんないけど、って……」


 でも思い返してみれば、突然修行を始めたりとそのはあったか。


 それがまったくなかったのは、自分たちのほう。


 今のいままで、この妙な焦燥を自覚することさえなかったのだから。


(……いや、本当にそうか? 今まで、この感覚に襲われたことは本当になかったか? あった、ような……。だいぶ前に、こんな感覚に陥ったことがあったような気も……)


 ダメだ、


 思い出せない。


 この町で目覚めてから、『最初の数か月』の記憶がどうもあいまいだ。


 徐々にあいまいになっていったのか、最初からあいまいだったのか、それすらもよく分からない。


 今でもところどころ穴あきのように記憶があいまいとなっている時間は存在するが、あの期間のそれはあまりにも程度が段違いだった。


(……ヤメだ。今はこんな漠然を浮かべるときじゃねえ。確かな答えを出す瞬間だ。落ちたキッカケを拾い上げ、ターニングポイントを正しい方向に曲がる。その瞬間だ)


 ヒョーマは、シンとリンの二人を見やった。


 いくつかの感情が入り混じったような複雑な表情を浮かべていたが、しかしその四つの瞳に迷いはなかった。


 おそらくは自分も似たような表情を浮かべ、同じ眼差しをしているのだろう。


 背中を、押されたのだ。


 ヒョーマは、確かな瞳で言った。


「分かったよ。了解だ。出よう。この町を。このままここにいても、俺たちの記憶は戻りそうにないしな」


 穏やかな日常が終わり、そうして波乱の幻想が始まる。

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