第29話 因果応報


 午後九時五十三分――ウィステールの町、ホテルのロビー。


 革張りの椅子に深く腰を沈めながら、ヒョーマはボソリと吐き落とした。


「……あいつら、めちゃくちゃ楽しそうに笑ってたな」


「混ざりたかったのか?」


 向かいの席に座るシューヤが、小馬鹿にしたような顔で言う。その隣に立つトラの表情にも、彼のそれと同種の色がにじんでいた。


 ヒョーマは、真顔で答えた。


「ああ、混ざりたかったね。どっかのおっぱいマスターのせいで、シン以外の野郎がはじき出されちまったけどな」


「ふん、まるで小生に原因があるかのような言い草だな。ミサキたちは一度、女子会とやらをひらいてみたかっただけだろう? そう言っていたではないか。小生がいてもいなくても、どのみち貴様ははじき出されていたと思うがな」


「んなことはねえ。現にシンは参加できてる。おまえさえいなけりゃ、俺もシンと同じように――」


「ガキと同じくくりで参加が許されて、テメエはそれでうれしいのか?」


「ああ、うれしいね。少なくても、変態カテゴリーに含まれるよか万倍うれしい」


「変態カテゴリー言うんじゃねえ! 変態はトラだけだ!」


「うむ、シューヤの言うとおり。その座は小生だけのものだ。が、できれば変態と呼ばずに『職人』と呼んでほしいがな」


 ウザいことを言いだした。


 ヒョーマはまるっと無視して、


「そういやシューヤ、さっき風呂場で話したことだが――」


「断る、と言ったはずだぜ。テメエらと馴れ合うつもりはねえ。オレらはオレらのパーティだけで先を目指す」


 にべもなかった。


 ――俺たちのパーティに合流しないか?


 今から三時間ほど前、ホテルに備えつけられた大浴場で、ヒョーマはシューヤにそう提案した。


 が、答えはノー。 今とまったく同じ、ノーシンキングでの『ノー』である。


 ヒョーマは、やれやれと首を左右に振った。時間がたって、少しは考えに変化が出たかと思ったのだが……。


「なにつまんねえ意地張ってんだよ。よーく考えてみろって。俺たちのパーティとおまえらのパーティが合流すれば、その瞬間に文字どおりの最強パーティ誕生だ。お互い、ウィンウィンだろ? 道中のリスクは大幅に減る」


「減るだろうな。が、おまえの案は邪道だ。かんたんにくっついたり、かんたんに離れたり、パーティってのはそんなお手軽なモンじゃねえ。そうだろ、トラ?」


「無論だ。小生たちは最後まで三人パーティ。五人になることも、二人になることもない。絶対にな」


「そういうわけだ。少しでもリスクを減らしてえってんなら、アイツ・・・でも誘ったらどうだ?」


「……あん?」


 言われて。


 ヒョーマはうながされるがまま、シューヤの指さす先に視線を向けた。


 黒髪黒目の美少女が、軽快な足取りでちょうど階下に降りてきたところだった。


「なんだ、もう帰るのか?」


 降りてきた少女――ホノカを呼び止め、軽く一言。


 と、気づいた彼女は、邪気のない瞳をこちらに差し向け、


「はい、もう十時を過ぎてしまいましたし――リンちゃんがお休みモードに入ってしまったので。遅くまでお邪魔しちゃってすみませんでした」


「ああ……まあ別にそれはかまわねえが。そんなことより、おまえ――」


 言いかけ、だがヒョーマは中途で言葉を止めた。


 逡巡。

 

 数秒の、迷い。


 だが、そのわずかな迷いが選択肢をつぶす。


 ほんの一瞬、不思議そうな顔で両目をパチクリさせたホノカは、でもすぐに表情をいつものそれに戻して、

 

「それでは失礼しますね。またどこかで会ったら、声をかけてくださるとうれしいです。では」


「…………」


 自分とシューヤ、それに一応トラにも頭を下げて、ホノカが軽やかな足取りでホテルの外へと去っていく。


 しばらくして、最初に口をひらいたのはシューヤだった。


 彼は「意外だな」といった表情で片眉を上げ、


「誘わなかったのか? あの食い逃げ女、けっこう使えるヤツだと思うがな」


「……ああ、いや……」


 ヒョーマは歯切れ悪く応じ、それからさらに歯切れの悪い言葉をとつとつと続けた。


「……もしかしたら、アイツもおまえらみたいに何か主義的なものがあって一人でいるのかなって、一瞬そう考えちまってさ。途中で言葉が止まっちまった。俺は自分基準で物事を考えちまうへきがあるからな。相手の気持ちを読むのがあんまり得意じゃない。それによく考えたら、アカリたちにも相談してなかったし」


「アイツらなら間違いなく、満場一致で賛成すると思うがな」


 まあ、間違いなく賛成するだろう。


 嘆息し、ヒョーマは観念したように言い直した。


「……いや、やっぱ俺が迷っただけだ。とっさのことだったし。まあ、どうせまたどっかで会うだろうし、そのとき機会があったら誘ってみるよ。当人の意思もよくよく確認したうえでな」


 あせる必要はない。


 生きていれば、いつかそのうちまた会える。


 いつになるかは分からないが、縁があれば必ずまた――。


 三度あることは、おそらくきっと四度ある。



        ◇ ◆ ◇



 午後十時十二分――ウィステールの町、大通りから少し外れた細い路地。


 楽しかった。


 本当に楽しかった。


 アカリたちと別れて、宿へと帰る道中――ホノカは、十数分前までの興奮を強く心のうちに浮かべていた。


(リンちゃんが強すぎて、結局、神経衰弱も、大貧民も、七ならべも、一回も勝てなかったけど、でもホントに楽しかったな)


 過去一楽しかったと断言できる。


 それに――。


(あのときの借りも返すことができました。今日は有意義すぎる一日でしたね)


 心の底からそう思う。


 もう会えないかもと思っていたのに、偶然にもまた会えて、あんなにも楽しい時間を共に過ごせた。さらには借りを返せる機会まで訪れて――今日は飛びきりうれしい一日だったと、ホノカは微笑んだ。


 だが。


 その微笑みは、数秒後には弾けて消える。 


 ズンッ!


(…………え?)


 最初に感じたのは、にぶい衝撃と身体が浮き上がるような妙な感覚。


 次いで、全身の力が急速に抜け落ちていくような突飛な虚脱感。


 認識が追いついたのは、その直後だった。


「ごぼ……ッ!!」


 大量の鮮血が、地面を濡らす。


 それが自分の口から吐き出されたものだと理解したときには、ホノカの身体は冷たい地面に崩れていた。


「ワリィな、嬢ちゃん。こいつは俺がいただいとくぜ」


「ぁ……」


 生温かい感触。


 自分の吐いた血が、自分の肌に触れるという感触は滑稽だった。


 否、それ以上に滑稽なのは――。


(……声が、出ない。何も、見えません……。わたし、刺されたのかな……?)


 この期に及んで、そんな悠長なことを考えている自分。


 刺されようが、叩かれようが、撃たれようが、そんなことはもうどうだっていい取るに足りない小さな違いでしかないのに……。


(……ああ……そうか、わたし……死ぬんだ……いま、から……ここ、で……)


 この冷たい地面で。


 誰にも看取られることなく。


(……すこし、さみしい……です、ね。ひとり……ぼっち……は……慣れてる、けど……でも……)


 涙が一滴、頬を伝う。


 因果応報、という言葉が脳裏をよぎった。


 あの城で、自分もたくさんの兵士を殺した。


 あれは悪い人たちなんだと、あげく人間ではなかったなどと都合よく思い込もうとしたが、殺した事実に変わりはない。


 変わりはないのだと、今あらためて思い知る。


(……でも……アカリさん、たちに……お礼、できた、あと、で……よかった、な……)


 本当に。


 それだけは掛け値なしに思う。同時に、わずかばかりの後悔もあった。


 わたしも仲間に入れてください、の一言がどうしても言えなかったこと。


 三度もチャンスがあったのに、少しの勇気が出なかった。一人は淋しいと、ずっと思っていたのに……。


 ホノカは、残された力で精一杯の笑顔を作った。


 それは微笑にも満たない、極小の笑みだったかもしれない。


 でも、つらい表情や苦しい顔をして死ぬのは嫌だった。


 淋しい顔をさらして死にたくはなかった。


 だから、笑って。


 最期は、少しでも良いから笑って……。




  薄幸の美少女が儚く散り、これで残る候補は百余人となる。

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