第34話 箱の底に残ったモノ


 吹く風は冷たく、よどんだ心を刺激する。


 小屋を出てしばらく進んだ先の、軽くひらけた山の広場。ヒョーマはこの場所で、旧知のスカーフェイスと相対していた。


「始める前に、一個だけテメエに忠告しておくぜ」


 忠告。


 そう言って、眼前の男――シューヤは、シリアスな口調でその先を続けた。


「全身黒の不気味なモンスターに出くわしたら、戦わずに逃げろ」


「全身黒のモンスター?」


「……ああ。ヤツは足音も気配もなく近寄ってくる。どういう仕組みになってんのか分からねえが、これからは注意深く周囲を警戒しろ」


「そんなにヤバいヤツなのか?」


「オレら三人がかりでも、腕一本切り落とせなかった。最初にミサキが傷んだのもデカかったが……それがなかったとしても、倒せる相手じゃなかった」


「……特徴は?」


「毒だ。ヤツの爪には毒がある。一撃でも喰らったらアウトだ。ミサキは深手を負ったが、オレは左腕を軽くえぐられただけ。それでも……このザマだ」


 言って、シューヤが左の袖を深くまくる。ヒョーマは眉根を寄せた。


 二の腕からひじの先にかけて、どす黒い毒のシミが見るも無残に広がっていた。


「たった数日でこれだ。おそらく、そう遠くないうちに……オレもミサキみてえになっちまうだろうよ」


「……だから、か?」


「ああ、だからだ」


「……そうか」


 声を落として、剣を抜く。


 相対するシューヤも、同様に自らの大剣を背中の鞘から引き抜いた。それが何を意味しているのか、それは子供にでも分かる単純な構図だった。


「この傷を負ってから、強くなりてえって欲求が嘘みてえに消え失せた。あんだけオレの心を四六時中突っついてたのによ。笑っちまうだろ?」


「…………」


「妙な焦燥感もキレイサッパリなくなった。残酷な本能だぜ。もう、必要ねえってことだ。オレにはもう必要ない。それらの思いは何も。が、いまだ残った思いもある――」


 シューヤの瞳が、熱い矜持の色を帯びる。


 彼はそのまま、たぎる思いを爆発させた。


「ヒョーマ、テメエとのケリだ! どっちが強いか確かめてえってピュアな思いだッ!!」


「――――ッ!」


 ぎぃん!


 甲高い音を立て、二本の刃が重なり合う。


 踏み込みは、同時だった。勢いはだが、わずかに相手がまさる。シューヤの気迫とパワーに押され、ヒョーマはジリリとあとじさった。


(コイツ……! マジで毒に冒されてんのか!? 過去一のキレとパワーじゃねーか!)


 元からパワーはヒョーマのそれをしのぐものがあったが、キレも一級。毒の影響で確実に動きがにぶっているはずなのに、信じられない反応だった。


 ヒョーマは、意識を鋭敏に変えた。ここから先は瞬時の判断。思考の遅れは許されない。彼は迷うことなく、リスク承知で仕切り直しを選んだ。


 剣を引き、後方にステップ。


 勢いを受け流される形で剣を引かれたシューヤは、だが体勢を崩されながらもかまわずにそのまま巨大な刃を振り抜いた。


 ざしゅっ!


 血しぶきを上げ、ヒョーマの左太ももがザクリと裂かれる。想定した以上に、深い傷を負わされた。が、後悔はなかった。これはベターな被ダメージだ。判断ミスではない。


 問題なのは、それよりも――。


(アイツの動きが鋭いんじゃねえ。明らかに俺の動きがにぶい。気合いはすさまじいが、あの状態のシューヤを圧倒できないのはおかしい。原因は俺のほうにある)


 疲れの蓄積?


 いやない。それは相手も同じ。シューヤはそれに加え毒のハンデも負っている。


 力関係が逆転した?


 この旅のあいだに彼我の力差が逆転し、さらに大きく離されたという可能性は無論あるが……。


(……違うな。そうじゃない。無意識にブレーキをかけちまってる。今のアイツに全力で斬りかかったら、殺しちまうかもしれないって心のどこかでそう思ってる)


 甘い考え。


 この状況で、そんな思いをわずかながらも浮かべていた自分に辟易する。全てをかけ、今出せる全力で挑んできているシューヤに対して、その非礼はありえない。


 ヒョーマは、己のヌルさとシューヤに対する非礼を冷たい地面に吐き捨てた。


 そうして、視線をまっすぐに『敵』へと定める。


 直後、ヒョーマは破裂の勢いで一歩を踏み出した。


 ピュッ!


 風を切る音が鳴り、またたくうちに二人の距離が消滅する。ヒョーマは躊躇ちゅうちょなく、音速の一太刀をシューヤの胴体目がけて繰り出した。彼の身体を、そのまま両断する勢いで。


 が。


 放たれた一刀は、シューヤの身体を真っ二つに斬り割くことはなかった。


 砕かれたのは、接触地点に振り下ろされた刃のみ。シューヤ自慢の大剣、その漆黒の刀身のみだった。


「……やっぱおまえはスゲーよ、シューヤ。マジで胴体真っ二つにするつもりで放ったのに反応しやがるとはな。万全の状態で、もっかいやり合いたかった……」


「嫌味にしか聞こえねーんだよ。瞬殺しといて、ムカつく野郎だ……」


 勝負が、決まる。


 真っ二つに折られた切っ先が、クルクルと回転しながら地面に突き刺さった瞬間、二人の短い戦いは幕を閉じた。時間にして、わずか数十秒の出来事だった。


 シューヤは、満足そうに苦い笑いを落として言った。


「完敗だ。もう思い残すことはねえ。あとは――」


「なんでこんなトコでこんなことしてんのよ、馬鹿シューヤ!!」


 割って入った怒りの声が、新たな局面への橋渡しとなる。

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