第38話 砂上の楼閣


 あれからさらに十日が過ぎた。


 終わりの見えなかった頂上への道のりも、後半部分に差し掛かってきたというのが感覚で分かる。カーブの角度もなんとなくきつくなってきたような気がするし、何より遭遇するモンスターのレベルが段違いになってきた。


 くだんの黒ずくめのモンスターとは幸いにも遭遇していないが、それ以外も雑魚と呼べるような相手はもういない。ひとたび戦闘になれば、それらはことごとく激戦となる。気の休まる時間はほとんどなかった。


「もうムリー、疲れたー、早く休憩したいー」


 隣を歩くアカリが、隠す気ゼロに弱音を垂れる。ヒョーマは、鼓舞するように言った。


「安全領域に着くまで、もう少しだ。耐えろ」


 小屋の周辺数十メートルは安全領域だ。なぜだかモンスターはその範囲には入ってこない。


 前の小屋を出てから、もうじき三日がたとうとしている。次の小屋にたどり着くまで、それほど時間はかからないだろうと推測できた。


「アカリさん、クタクタですね。だらしなさマックスです」


「しょうがないよ。アカリは魔力エネル切れ寸前まで回復魔法を使って支援してくれたんだから。そのおかげでおれたちは攻撃に専念できた」


 ここ最近、アカリは無茶な暴走をしなくなった。戦闘になると、必ず後方待機で支援に徹し、前線に躍り出るような無謀はしない。否、そんな余裕はなくなったというのがおそらくは正解なのだろう。ヒーラーが前線に突っ込むようなデタラメな戦いが通用する相手ではすでにないのだ。


「……わたしも、けっこうがんばりました。わたしだって、本当はものすごく疲れています」


 リンが、不満そうに言う。


 無論、それも事実だった。疲弊していないものなど誰一人いない。ヒョーマも、許されるなら今すぐ地面に寝転がりたい心境だった。


「アカリ、上着脱いだら? 激しいバトルの連続だから、長袖長ズボンじゃ身体に熱がたまっちゃうよ」


「ああ……そうだな。そのかっこう見てるだけで、俺のほうまで暑くなる」


 数日前から、アカリは長ズボンに加えて上着も長袖になった。そこまで蚊に刺されたくないのかとは思ったが、確かに蚊が異常に多いのも事実である。ヒョーマも刺されてない個所を探すほうが難しいほど、いたるところを彼らの口にやられていた。


「腕まくるだけでも、だいぶ違うよ?」


「……やだ。蚊に刺される。かゆいのは暑いのより気分下がる」


「アカリさん、だからバ……頭の悪いヒトは蚊に刺されないんですよ?」


「いやなんで言い直したの!? 言い直した言葉も結局おんなじ意味なんだけど!?」


 ツッコむ元気はあるらしい。ヒョーマはやれやれと首を左右に振った。


 と――。


「ヒョーマ、誰か倒れてる!」


 唐突にシンに言われ、ヒョーマはハッとして視線をその方向に向けた。


 山道から少し外れた急な斜面、その場所に男が一人倒れていた。


 見知った、男だった。


「ガイ……」


 ガイ。


 記憶喪失の町出身の男である。ヒョーマも何度か戦ったことがあった。群れるのを嫌い、どこのパーティにも属していなかったが実力は折り紙付き。自分やシューヤに次ぐレベルであると言っても過言ではないと、ヒョーマは彼のことをそう評価していた。


「まだ温かい……死後、そんなに時間はたってないよ」


 言われて、ヒョーマも触れる。シンの言うように、確かにまだいくぶんかぬくもりがあった。死後、それほど時間は経過していないように思える。


 死後。


 その言葉が示すとおり、彼はすでに事切れていた。胸部を鋭利な爪か何かで引き裂かれ、血まみれの状態で絶命している。右手に握っていた自慢の豪槍は、切っ先の部分が真っ赤に染まっており、彼が一矢報いたことを如実に表していた。


「傷あとが……真っ黒、です。この特徴は……」


「……ヤツか?」


 黒ずくめのモンスター。この近くにいるということか。


 ヒョーマは視線をアカリに移した。彼女は血の気が引いた顔で固まっていた。


「心配すんな。俺たちはコイツのようにはならない。勇ましく戦ったりなんかしないからな」


「……うん」


「即逃げだね。リン、分かってる?」


「……分かっています。決まったことには従います。暴走はしません」


 納得はでも、いまだいってないようだった。


 いずれ、ヒョーマたちは警戒度を最大級にして、その先の道中を進み――だが、結局次の安全領域に着くまでにくだんのモンスターと遭遇することはなかった。


 そして再び、月日は流れる。


 終わりのときが、着々と近づいていた。



      ◇ ◆ ◇



 変化が、あった。


 ガイの死体を発見してからすでに九日が過ぎたが、その間、大きな変化がひとつだけあった。


 数日前から、モンスターとの遭遇率がグンと下がったのである。それまでの苛烈さが嘘のように、ある地点を境に彼らとのエンカウント率が大幅に減少したのだ。


 十分の一、いやそれ以上のレベルで。


 今では数回のバトルで一日が終わることも珍しくない。それは嬉しい誤算以外のなにものでもなかったが、ある種の不気味さもヒョーマは同時に感じていた。


「今日はラッキーですね。今のところ一度もモンスターと遭遇していません。もうだいぶ歩いてるのに。このまま、ゼロ遭遇で次の小屋までたどり着けたら幸運度マックスです」


「…………」


 隣を歩くリンの楽観的な物言いに、ヒョーマはだが肯定の意を示すことはしなかった。


 この静けさが、むしろ恐ろしい。気味が悪い。どう考えても、これは意図的に作られた平穏である。リンと違い、ヒョーマはそこまでプラス思考にはなれなかった。


「……ヒョーマ、もうちょっとゆっくり歩かない?」


「ん、疲れたのか?」


「シンは軟弱ですね。戦ってもないのに疲れるなんて」


「そうじゃなくて……」


 そう言って、シンが心配そうな顔で後方を見やる。


 十数メートル後ろを、アカリが一人遅れて歩いていた。


 ヒョーマは、立ち止まって彼女の到着を待った。


 と、数秒をかけ、ようやくと追いついたアカリが、申し訳なさそうに言う。


「……ごめん、もうちょっと早く歩くね」


「チロロ……」


「……いや。つーか、おまえちょっと顔色悪いぞ。大丈夫か?」


「食あたりですか? きのう食べたシシ肉、少し焼きが甘かったのでは?」


「焼きが甘くても、アカリはそんなの関係なく今まで普通に食べてたよ。今日のアカリは、やっぱりちょっとおかしいよ」


 全員の視線が、アカリに集まる。彼女は、ブルブルと首を左右に振って息災をアピールした。


「全然平気。ちょっと寝不足気味なだけだから。ごめんね、心配かけて」


「ならいいけど――って、なんでいきなり走るんだよ!?」 


「元気アピールしてますね。二十メートルくらいでバテてますけど」


 問題ない、と言わんばかりに唐突にダッシュを始めるが、二十メートルも進まないうちにゼェハァと両手をひざにつける。


 ソッコー走って、ソッコーでバテていた。


 ヒョーマは鼻で息を落として、


「アホなことやってないで、寝不足なんだったらおとなしく――」


「ハァ、ハァ、ハァ…………けふ、けふっ、げぶっ、げぼぁッ!」


「…………………………………………え?」


 時間が、凍る。


 視界の先で、アカリがゆっくりと地面に崩れる。


 大量の血を吐き、アカリの身体がゆっくりと土の地面に崩れて落ちる。


 ヒョーマは、動けなかった。


「アカリ!!」


「アカリさん!!」


 シンとリンが、金切り声を上げて倒れたアカリに走り寄る。


 それでも、ヒョーマは動けなかった。


 一歩も動けないまま、そうして彼は絶望を見る。


 アカリの首すじに、クッキリと浮かぶドス黒い毒のシミ。


 ヒョーマは、絶望と共に起こった事象を理解した。


 当たり前の日常が、砂上の楼閣だったと彼は知る。

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