第37話 黒き魔物


「――思ったんだけど、ここが『螺旋山』なんじゃない?」


 アカリが、唐突にそんな言葉を吐き落とす。


 彼女は続けて、


「すごく大回りだけど、なんかクルクル螺旋を描くように進んでる感じするし」


「ああ、だろうな」


「でしょうね」


「そうだと思うよ」


「なんでよ!? じゃあ、なんで今まで誰もそれ言わなかったのよ!?」


「いえ、全員一致の共通認識だとばかり」


「おまえ、もしかして今、そう思ったのか?」


「今だけど!! 悪い!?」


 別に悪くはないが。


 ヒョーマは短く息を吐いた。


 相変わらずの山道である。前の小屋を出てから、今日でちょうど二日。傾向に変化がなければ、あと一日はまともな休憩なしにひたすら歩き続けなければならない。今しているように、ちょっと地面に座って疲れを取る、という簡易休憩がより大事になってくる頃合いだった。


 ヒョーマは、正面に座るアカリに言った。


「どうでもいいけど、なんでおまえ長ズボンはいてんだ?」


「なんでって……蚊に刺されないように、だけど?」


「上半身は半袖なのに?」


「……上半身まで長袖着たら暑いじゃない」


 まあ、一理あるが。


「アカリさん、馬鹿は蚊に刺されないって言いますよ」


「聞いたことないけど!? てゆーか、当たり前のように馬鹿って言うな!」


 ものすごく自然に出た『馬鹿』だった。


「まあでも、確かに蚊は多いよね。蚊より気をつけなきゃいけない相手も多いけど……」


「ここにきて、出くわすモンスターのレベルも一気に上がったな」


「らこへきとよれうへきはいなくらりまひたね」


「いやなに言ってっか分かんねえよ」


 アカリに両頬を限界まで引っ張られたリンの言葉は、もはや聞き取り不可の領域だった。


「とにかく、手強い敵も多くなったから気をつけないとね」


 パチン、と伸ばしきったリンのほっぺたから豪快に手を離し、アカリが言う。


 両頬を真っ赤にはらしたリンは、少し涙目になって、


「特にアイツには気をつけなきゃです」


「シューヤが言ってた全身黒のモンスターか……」


「リンとアカリは一回戦ってるんだよね?」


「……戦ってはないけど。すぐ逃げたから」


「ソッコーで逃げを判断するくらい、ヤバいヤツだったってことか……?」


「……うん」


 アカリの表情が、そこで若干と曇る。ヒョーマは続けてリンを見やった。


 こっちは、わりと強気な表情かおをしていた。


「次はあんなぶざまはさらしません。リベンジできます」


「ちょっとリン、アイツと会ったら戦う気!?」


「当然です。次は油断しません。アラーム最大で、ちゃんと戦って倒します」


「ダメよ! ぜったいダメ! アイツとは戦うべきじゃない!」


「逃げるべきだと? アカリはシューヤと同じ考えってわけか」


 二人のあいだで、意見が割れる。ヒョーマは、アカリの意見を採用した。


 彼女がここまで弱気になるのは珍しい。それは強気の申し子であるシューヤにも言えることだった。その二人がこうまで言うのだ。逃げの選択が正解なのだと即断できる。


「オーケー、出会ったら逃げよう。二対一だ。リン、それでいいな?」


「……むぅ。アカリさん、いつからそんなに弱気になったんですか?」


「……弱気なわけじゃない。あたしはみんなが危ない目に遭うのは嫌なの」


「それを弱気というのでは?」


「……なら、弱気でもいい。とにかくアイツはダメなの。危険なの。リン、分かってよ……」


「……了解、しました」


 しぶしぶ、リンが頷く。納得いってないのは明らかだった。


「まあともかく、これでソイツへの対応は決まった。出くわしたら、躊躇なく逃げるぞ」


 言って、ヒョーマは立ち上がった。


 取るべき選択は、逃亡。


 このときの、この決定を何があっても貫くべきだったと、だが彼はのちになって後悔することになる。


 過ぎた時間は、二度とは戻らない……。

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