第46話 旅の終わり


(ここまで、か……)


 後悔はない。


 リスクを取らざるを得ない状況だった。


 回復不可、長期戦不可となれば、リスクを冒して短期決戦を挑むほかない。


 一度訪れるか、訪れないかのチャンスを見逃さず、その瞬間に賭けるしかない。この相手、この状況において、ほかに取れる戦術はなかった。


 その結果が、これだ。最善には遠いが、後悔などあろうはずはなかった。


(……シンのがんばりのおかげでチャンスは訪れた。そのチャンスを逃さず、ヤツを仕留めることにも成功した。アカリの仇を、討てたんだ……。この状況で、ここまでできればじゅうぶんだろ……? ってのは、悪い結果じゃない……)


 血まみれの胸もとに視線を落として、ヒョーマは苦笑した。


 見事なまでに、悪魔の爪にザックリやられている。


 ここまで完璧にやられれば、ノーチャンスだったと分かる。無傷で勝つのは不可能だった。思ったよりも、最初に負ったダメージが大きかったのだろう。


 この動きで相打ちに持ち込めたのは、むしろ幸運だったと言えるかもしれない。どのみち、この結果は自身の未熟が招いたこと。後悔はなかった。


 と。


「ヒョーマ……?」


 キョトンとした顔で、シンがつぶやくように言う。いつのまに戻っていたのか、その背中にはグッタリとしたリンが背負われていた。


 ヒョーマは、言った。


「リンの具合はどうだ? 回復魔法は効いたか?」


「……ううん、応急処置はしたけど……身体の傷は回復しなかった。でも、痛みを緩和する魔法は効いた。今は、落ち着いて眠ってる。それより……」


 シンの声音が怪訝の色を帯びる。ヒョーマは観念したように彼のほうを向いた。


 刹那。


「ぇ……」


 シンの表情かおが、まるで幽霊でも見たかのように蒼白く固まる。


 ヒョーマは冷静に言った。


「……見てのとおりだ。完膚なきまでに広く、深くえぐられてる。全身、毒まみれだな。もう痛みもほとんど感じない。つまりは……俺の旅はここまでだ」


 反応は、すぐには戻ってこなかった。


 数瞬遅れて、か細い声と共にようやくと返る。


「……そ、んな……。こんな、の……。な、んで……? おれ、こんな、の……」


「……シン、冷静になれ。冷静になって、俺の話を聞け。これは俺の勘だが、おそらく頂上は近い。デカい木がそこらじゅうに生えてて、上を向いても山の終わりは見えねえが、なんとなく俺には分かるんだ。おまえにも、それは分かるだろ?」


 確固たる根拠はないが、ヒョーマには確信に近い感覚があった。


 ヒョーマは、まだ口が滑らかに動くうちにと、さらなる言葉を口早に続けた。


「頂上が近いと信じて、可能なかぎりのスピードでひたすら山道を登れ。頂上につけば、もしかしたらリンの回復手段も見つかるかもしれない。いや、見つかると信じて進め」


「だったら、ヒョーマも……ッ! 頂上につけば、その毒を消す方法だって見つかるかもしれない! そうすれば――」


「……シン、冷静になれと言ったろ。冷静になって、現状を正しく認識しろ。俺はもう、まともに歩くことさえできない。おまえはリンを捨てて俺をおぶるつもりか?」


「それ、は……」


「……くだらねえ思考は時間の無駄だ。どのみち、おまえのその小さな身体で俺は背負えないし……それに、俺はもう五分と持たない。登頂は不可能だ」


「で、でも……ッ! こんな場所に、ヒョーマを見捨ててなんて……ッ!」


「見捨てるわけじゃない。俺が、俺の意思でこの場に残るんだ。気に病むことはない」


「でも……ッ! おれ、やだよ……ッ! おれ、こんなの……もう、やだよッ!!」


 大粒の涙を浮かべて、シンが嫌々をするように首をブルブルと左右に振る。


 ヒョーマはシンの頭に手を伸ばそうと右腕に力を入れたが、それがほとんど動かないことに気づいて中途で動作を取り止めた。


 代わりに、言葉だけを送る。


「……シン、涙をふいて前を見ろ。今、おまえがしなきゃいけないのはリンを背負って前を向くことだ。俺の顔がある方向に未来はない」


「…………ッ」


「……いいか、これが俺がおまえに送る最期の言葉だ。理解したら即座に実行しろ」


 言うと、ヒョーマはできうるかぎりの力強い語調で最後を締めた。


「今すぐ前を向いて、前に進め。一度前を向いたら、絶対に振り返るな。絶対にだ。俺はここからおまえの背中をずっと見てる。もし目が合ったら、俺はおまえを軽蔑するぜ」



      ◇ ◆ ◇



 ヒョーマは倒れこむように土の地面に腰を落とした。


 シンは約束を守った。


 前を向き、前に進んだ。一度も振り返らずに、そうしてヒョーマの視界から消えた。それゆえに、彼は安心して地面に腰を落としたのである。


(……けっこう、キツいもんだな。アカリは……こんな気持ちを何十日も味わってたのか……?)


 死へのカウントダウン。


 思っていたよりも激重な感覚だ。たった数分でも、気が狂いそうになる。それをアカリはあの瞬間まで、いっさいの弱音を吐かずに、いつもと変わらぬ態度で過ごしていた。それは驚異的なことだったのだなと、ヒョーマはこの段になって初めて思い知った。


(……アカリにまた会えるかは分かんねえが、もし会えたら、心の底から褒めてやらねえとな。おまえはすごいヤツだよって。調子に乗りそうだけど。ま、今はそれよりも……)


 ヒョーマは思考を変えた。


 結局、失った記憶は取り戻せなかった。


 そのために最初の町を出て、こんな辺境の地にまでやってきたというのに。


 それが心残りと言えば心残りだった。


 シューヤが言ったように、この段になってほかのあらゆる衝動は嘘のように消え失せた。不安も、あせりも、正体不明の使命感も、何もかもが消えてなくなった。


 自分にはもう、必要ないとばかりに。


 晴れやかな心境だった。この気持ちのまま、最初の町に戻ってみんなと暮らせたら、とそんなたらればが脳裏をかすめてしまうほど、それは清々しい感覚だった。


 でも、そんな中でも消えない欲求がひとつだけあった。


 失った記憶の奪還である。


(……結局、ソイツは最後まで分からずじまいか。ほかのことはもうどうでもいいが、コイツだけはやっぱ気になるよなぁ。俺って、いったい何者だったんだろうな……)


 もう知ることは叶わぬと分かっていても、この欲求だけは不思議となくならなかった。


 ヒョーマは、静かに両目を閉じた。


 全身から力が抜け落ち、ついにそのときがきたのだと直感する。あとどれくらい、思考を続けることができるだろうか。もしかしたら、もう数秒とないかもしれない。


 しかし、その段階になって、彼の身体に突如として異変が起こった。否、厳密に言うと異変が生じたのは身体ではない。頭の中である。


 光が弾けるように。


 とてつもない数の情報が、彼の頭を駆け巡る。


 この世界の真理が、望む答えが、なんの前触れも、なんの脈絡もなしに、彼の脳内を渦巻くように走り抜けたのである。


 それは一瞬にも満たないような刹那の出来事だったが、ヒョーマはそれら全ての情報を余すところなく理解した。


 理解、できたのである。


 明らかな超常。


 だが、大事は無論そこではない。      


(……ああ、そうか……。そういうこと……だったのか……)


 消えゆく意識の中、ヒョーマはニヒルに微笑んだ。


 明らかになった真実に、空虚な笑みが自然とこぼれる。


 記憶が戻ることはない。


 シンであっても、リンであっても、ほかの誰であっても絶対に。


 なぜなら――。


 なぜなら、

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