第47話 零


 それは、異様な建物だった。


 シンプルなドーム状の外観。


 普通の一軒家よりは大きいが、さほど巨大というわけでもない。だが、屋根の頂点部分に当たる、とある一点だけが異様極まりなかった。


 その部分から、天に向かって長い長い円筒状のくだがどこまでも突き伸びているのである。


 半径五十センチにも満たない、それはあまりにか細い尖塔だった。


「……頂上、着いたんですか?」


 背中の上のリンが、寝ぼけまなこで言う。


 おそらくは今、目が覚めたのだろう。それはこのうえなく、ベストなタイミングでの目覚めだった。


「……うん、今着いたばっかり。たぶんあの変な建物に入れ、ってことだと思う」


 ヒョーマと別れ、歩くこと数時間。シンはついに、山の頂上へと行き着いた。


 頂上付近は、だだっ広い草原になっていた。


 見わたすかぎり、草草草。誰が刈っているのか、それらは全て低い位置で揃えられ、雑多な印象はあまりない。


 が、シンの視線がその緑のじゅうたんに向いていた時間は短かった。彼の視線はすぐさま、この場で最も主張の激しい存在へと張りついた。


 つまりは、目の前のドーム状の建物へと。


「……細長いくだのような塔が、空の上まで伸びています……」


「……うん、あれが何かは分からないけど、中に入ってみれば……」


 と、だがそこまで言ったところで、リンが当然の不足に気づく。


 彼女は不安げな声で、


「……ヒョーマさん、は……?」


「…………」


 シンは無言でかぶりを振った。


 察したリンが、シンの背中に顔をうずめてむせび泣く。


 シンは、リンが泣き止むのを静かに待った。


 でも、どれだけ待っても彼女が泣き止むことはなかった。


 やがて、リンは涙声のまま、


「……大好きなヒトが、みんな……いなくなっちゃう……」


「……うん」


「……わたしも、いなく……なりたい……」


「…………ッ」


 切なさが、胸を締めつける。


 シンは、やりきれない思いを言葉に変えた。


「……そんなこと、言うなよ……。おれ、リンまでいなくなったら……どうしたらいいか、分からないよ……。そんなの……考えたくない。考えたく、ないよ……」


「…………」


 若干の間を置いて、リンがギュッと抱きつくようにシンの背中にしがみつく。


 彼女はそのまま、しぼり出すような語調で前言の撤回をおのずから言い放った。


「……ごめん。もう、そんなこと言わない。言いません。シン、ずっと一緒です」


「……うん、ずっと一緒。おれも、リンのそばから……絶対、いなくならないよ」


 そう言って、シンはリンの手をそっと握った。リンも弱い力で握り返してくる。


 二人は、ずっと一緒。


 何があっても、ずっと一緒。


 シンはその思いを込めて、もう一度、今度は強くリンの手を握った。


 そうして、扉はひらかれる。


 ラストステージが、勝者の到着を今かいまかとこいねがう。



      ◇ ◆ ◇



「……え?」


 呆けた声を上げ、シンは唖然と固まった。


 半径十数メートルの、こぢんまりとした楕円形の一室。


 部屋の最奥には、巨大で威圧的な鉄の扉が立ちふさがっている。だが、シンの意識を驚きに染めたのは、その鉄扉てっぴの存在ではなかった。


 フード付き黒マントを頭からかぶった女。


 以前に一度、会ったあの女が目の前に立っている。来客を玄関で出迎える家主のように、さも当たり前のごとくその場に立っていたのだ。


 だが、シンが固まったのは、それそのことが原因ではなかった。


 驚いたのは、その後の一連――。


「おめでとうございます」


 芝居がかった語調で、女が言う。


 その後、彼女はおもむろに自身のフードをまくった。


 思いがけない行動。


 あまりに自然な流れの中でさらされた彼女の顔に、シンは驚愕し、そうして唖然と固まったのである。


「見覚えがある顔で驚きましたか? それとも、口調の違いに戸惑っているのですか?」


「あらあら……お姉、さん……」


 シンの背中の上から、リンがかすれた声で応じる。数分前よりも、少し息が荒くなっていた。


「本名はゼロと言うんですよ。これが本当のわたしです。別に黒マントの女でも、あらあら姉さんでも、呼び名はどれでもかまいませんが」


「……驚いたよ。同一人物だとは思わなかった。同一人物を演じた理由が知りたいね」


「理由など特にありませんよ。そういう役回りだった、というだけの話です。ただ、あらあら姉さんを演じていたわたしに出会った回数が多かったヒトは、それだけ『勝ち残る可能性が高かった人物』ということなります。わたしには、そういった性質が備わっていますから。現にあの姿のわたしに複数回会った人間は数人しかいません」


 なるほど、そういうシステムになっていたのか。


 だから行く先々で彼女と遭遇した。


 が、シンの疑問には、そもそもあらあら姉さんモードが必要だったのか、という意味合いが含まれていたのだが、それについての返答はなされなかった。


 まあ、どうでもいいことではある。どのみち、それを知ったところで益はない。


「でも、想定外でしたね。勝ち残る可能性が最も高かったのはヒョーマさんで、その次がシューヤさん。あなたたち二人は、アカリさんやその他数名と並んで三番手評価でした。波乱が起きた原因はいくつか考えられますが、彼ら二人に共通していた点は徒党を組んでしまったということでしょうか。彼らにとって、それはプラス面よりマイナス面のほうが大きかった。逆にあなたがたにはプラスに働いたようですね。お見事です。ともあれ――」


 そこでいったん、言葉を切ると、零は語調を若干と事務的に変えて先を続けた。


「この部屋は最後のふるい落とし。この場所に同時にたどり着いた者たちがいた場合、従来はここで最後の戦いが繰り広げられるのです。ここにたどり着いた者たちが最後の一人になるまでこの場所で殺し合う。でも、あなたたちの場合その必要はありません」


「…………」


「あなたたち二人は、特殊な存在です。最初から稀有な存在。さあ、奥の扉に手をかけるのです。勝者にしか反応しないその扉も、あなたたち二人になら正しい道を示すでしょう」


 零の言葉は、そこで途切れた。


 それ以上、何も言わない。いくら待っても、彼女の口から次なる言葉が発せられる気配はなかった。もう、自らの役目は終えたとばかりに。


 シンは、背中のリンを見やった。


 視線が、合う。


 言葉は、いらなかった。


 互いに頷き合うと、シンは鉄扉の前に進み出た。


 ただ、無言でそれぞれが左右の取っ手に手を伸ばす。


 シンは左。


 リンは右。


 二人の手が、ほぼ同時にふたつの取っ手をつかむ。


 最後の扉が、音を立てずにひらかれた。

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