第2話 負けすぎの女
この世界の仕組みについて、ヒョーマは
この世界には『魔法』がある。
体内の
この世界には『モンスター』がいる。
町の外に存在している異形の怪物群をそう呼ぶのだが、この世界唯一の危険といって差し支えない。彼らは人を襲うのだ。町の外に出た人間を襲う。斬撃も魔法も効くし、でたらめに強いわけでもないが、毎日何人もの住民が彼らの毒牙にかかっている。言わば、人にとっての天敵とも呼べる存在だった。
この世界には『地図』がない。
否、町の中の地図はあるのだが、外の地図がないのである。自分たちが把握しているのは、町からせいぜい半径十数キロ程度まで。ゆえにこの世界がどれだけ広いのか、ほかにどんな町があるのか、どんな人たちが暮らしているのか、何ひとつ分かってはいない。この町の住民にとって、外の世界は完全未知の領域だった。
と、これらがこの世界を形作る三大要素であるとヒョーマは理解している。この三大要素を含めたこの世界の絶対不変の
どれも、
自分はどこか別の世界から来たのではないか、とそんなくだらない妄想が脳裏をよぎるほどにこの世界の『当たり前』になじめない。なじめない瞬間が多々ある。
この町で目覚めて、もうじき一年が過ぎようというのに、いまだにそんな感覚があった(最初の頃よりだいぶ薄くなっては来ているが)。
と、まあこの件はひとまず先に置いていて――。
「あらあら、おかしいわねぇ〜」
「いえ、おかしいところはひとつもないですけど。お姉さんの頭の中以外」
リンの辛らつな指摘が、さびれた店内にぼそりと落ちる。
ヒョーマはあきれたまなこで彼女の言葉に追随した。
「なあ、姉さん。俺たちが頼んだのは全部オムライスなんだよ。オムライス四つ。そんなに難しい注文とは思えねえ。それを二回連続で間違えるか? おまけに持ってきた料理が、芋の煮っ転がし、そば、シチュー、ビーフオブビーフだ。間違えるにしても、せめてオムライスを一個は混ぜてくれよ。俺の言った言葉が何ひとつ頭に入ってなかったってことじゃねーか。こっちとしては一応、気ぃ使って頼むメニューを合わせたつもりなんだぜ。そのほうがそっちも助かるだろうと思ってさ」
西地区、とある宿屋の一階。
この手の場所は普通、酔客であふれているものだが、しかしこの店には自分たちしか客がいない。
東地区のいつもの店が定休だったので、新たな出会いを求めてここまで足を延ばしたのだが……。
「あらあら、変ねえ〜」
口もとに手を当て、若いウェイトレスがおっとりとほざく。
ヒョーマは小声で、隣のリンに囁いた。
「おい、ひょっとしてこの姉さん、あらあら言ってりゃなんでもごまかせると思ってんじゃねーか?」
「思ってますね、確実に。間が持たないときに『とりあえず笑っとけ』みたいな感覚で『あらあら』言ってますから」
「もういいじゃない。持ってきてくれた料理を食べれば。あたし、これでいいよ」
「いやアカリ、おまえはいいだろうよ! ビーフオブビーフだからな! 俺は芋の煮っ転がしだぞ!? こんなんでどうやって夜までしのげってんだ!? つーか、ビーフオブビーフってなんだよ!」
よく分からないが、肉を使った料理らしい。よく分からないが、めっちゃたくさん肉が入っている。よく分からないが、見た目はそんなに悪くない。
「よく分かんないけど、まずいってこと以外、大きな問題はないわよ」
「……致命的じゃねーか。飯屋でそれ以上に大きな問題にはそうそう出くわさんわ」
その他の料理も絶対まずい。
ヒョーマは確信したが、向かいの席でなんの文句も言わず『赤い色のそば』を黙々と食べ続けるシンを見て、あきらめたように目の前の料理を平らげた。
鼻血が出るほどまずかった。
「よく食べられましたね、あんな豚の餌」
「……おまえは食わなかったのか?」
「まずさマックスだったので、全部ゴミ箱に投げ捨てました」
「……スゴいな、おまえ」
さすがにそこまではできない。残すことさえ気が引ける。ヒョーマは初めて、リンの腐れ外道さをうらやましいと思った。
と――。
「よぅ、ヒョーマ。しょげたツラしてどーしたよ? ブサイクな顔をさらにブサイクにする特訓でもしてんのか?」
唐突に、出入り口の扉付近で声が鳴る。
ヒョーマは反射的にその方向を見やったが、彼よりも早く光の速さで反応したのはアカリだった。
「シューヤっ!」
がたん、と椅子を倒して立ち上がる。瞬間、彼女は「うっ」と胸を押さえて固まった。立ち上がった反動で、さっきのビーフオブビーフが食道付近で暴れたのだろう。
が、アカリはすぐに勢いを取り戻すと、
「なんであんたがここに来るのよ!?」
「来ちゃワリィかよ? どこでメシ食おうがオレの勝手だろうが」
「勝手じゃない! あたしの気分が悪くなる!」
「ハッ、滅茶苦茶な理屈だな。どのみちテメエに用はねぇよ。引っ込んでろ、猪女武者」
「猪女武者ってなに!? 猪武者で通じるわよ! 猪武者でもないけど!」
ヒョーマは、やれやれと首を左右に振った。
シューヤ。
見た目年齢、十代後半の少年である。
身長百九十センチを超える大柄な体躯。肩まで伸びた薄紅色の頭髪。切れ長の二重まぶたの下に陣取るふたつの瞳は、少年とは思えぬほどの鋭い光を放っている。右のひたいから左頬にかけてザックリと刻まれた傷あとは、彼の貫禄に一層拍車をかけていた。
「暇だねー、おまえも。今日はミサキとトラは一緒じゃないのか?」
「一緒だよー、一緒一緒」
「シューヤあるところに我らあり。勝手な早合点はやめてもらいたいものだな」
いた。
シューヤの後ろからそろりと入ってくる。ダブル眼鏡も揃ってお出ましだ。
二人ともシューヤと同程度の年齢で、女のほう――ミサキは一言で言うと優美だった。
毛先に内巻きのカールが掛かった栗色の髪には艶があり、丸眼鏡の奥で揺れるふたつの瞳は常に穏やかで優しい光を放っている。服装も清楚で、スタイルも抜群。まさに正統派の美少女そのものである。男のほうは、黒縁眼鏡以外に特徴はない。
いや、あった。
「変態黒縁眼鏡、おっぱいマスタートラ! あんたもいたの!?」
「ほぅ、貴様は毎度毎度シューヤにタイマンを挑み、九十パーセントの確率でボロ負けし、十パーセントの確率で超ボロ負けして泣いて帰っていく『負けすぎの女』ではないか」
「負けすぎの女ってなに!? テキトーな嘘混ぜないでよ! そんなに毎回ボロ負けしてない! 泣いたこともないし! 勝ったこともないけど!!」
「勢い余って無様な事実がその口から……」
ぼそりと、リン。
が、アカリは彼女のほうには一瞥もくれなかった。
シューヤに対して向けていた敵意も、すでにその八割方はトラのほうへと移行している。
おっぱいマスタートラのほうへと。
やかましい事態になりそうだと、ヒョーマはひたいを押さえて天を仰いだ。
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