エピローグ
「……ごめんね、ヒョウ」
白いベッドに上半身を起こしたメイが、申し訳なさそうにつぶやく。
俺はあきれた顔で嘆息し、わずかに崩れた彼女の前髪をそっとかきあげた。
「……アホかよ。なんで謝るんだ?」
謝る道理がどこにある?
こういう結果になったのは、彼女のせいではもちろんないし、俺に謝ること自体ナンセンスだ。
俺は何もしていない。ただ廊下で爪をかみ、下品に足を鳴らしていただけだ。
傍観者。
情けないくらい、第三者の立場だった。
「おまえはなんも悪くねえよ。俺はさ、おまえが無事のほうが百倍うれしいんだ。おまえにまんがいちのことがあったらどうしようって、ずっと廊下でビビってた。だから今は安堵の気持ちしかない。こんなこと言ったらおまえは怒るかもしれないけど――今は、うれしい気持ちしかないんだ。おまえが無事で、本当にうれしい」
掛け値なしに、そう思う。が、無論のこと、メイはそうではないだろう。
彼女はしばらく、沈黙を続けたあと、やがて静かなトーンでポツリと落とした。
「……でも、世界を見せてあげられなかった」
その言葉は重く、俺の胸に突き刺さった。
俺たちはどれだけ幸運だったのだろう。そして、どれだけ屈強だったのか。
「残酷な言い方かもしれないけど、運がなかったんだよ。そう思うしかない」
いや、最後の最後であと一歩強さが足りなかったのかもしれない。
それは裏を返せば、この世界に存在する俺たちは真に強く、突出した能力を備えていたということだ。ズバ抜けて、すぐれた才能を持っていたということだ。
それなのに……。
それに気づかず、自ら命を絶ったあいつは本当に大馬鹿野朗だ。あいつが選んだ結末は、あいつがいたおかげでこの世界に誕生できなかった、全ての命に対する冒とくだ。
俺たちには、生き続けなくちゃならない義務がある。そいつらのために生き続け、もがき続ける義務があるんだ。
「あたしは……ね、違うと……思うんだ。運が足りなかったんじゃなくて……」
俺は思考を止めた。
ベッドの上のメイに視線を戻す。
彼女は微笑ましい顔で、いとおしそうに『その存在』を見つめていた。
「……きっと、この子を守ったのよ」
この子を守った。
ああ……そうかもしれない。
メイの腕に抱かれた、小さな、本当に小さな命のきらめき。
失われることのなかった、もうひとつの半身。
ただの赤ん坊なのに、その姿は幻想的で、神秘的でさえあった。
「ねえ、ヒョウも抱いてみてよ」
「いいよ……俺は。なんか変な抱き方して首の骨とか折れても困るし」
「そんなかんたんに折れたりしないわよ。抱き方、教えてあげるから」
「あ、ああ……」
メイに抱き方を指南され、俺は赤ん坊の身体を抱いた。
小さな重みが、両腕を伝う。
俺は夢見心地に腕の中の赤ん坊を見つめた。
なんて弱々しく、脆そうな存在だろう。ほんのちょっと力を加えただけで、かんたんに折れてしまいそうだ。たやすく壊れてしまいそうだ。
だが。
その評価は、正しくない。この赤ん坊は、激しい競争を勝ち抜いた真の強者なのだ。
「そう言えば、おばさ――お
「えっ?」
唐突に訊かれ、俺は慌てて赤ん坊から視線を外した。
「ああ……そういや、いねえな。便所じゃねーの?」
そう答えると、メイは急に両目を伏せ、
「……がっかり、させちゃったかな。お義母さん、双子が産まれてくると思って、二人分の洋服とか、おもちゃとか、いろいろ買ってくれてたから……」
「がっかりなんかしてないさ。母さんの性格知ってんだろ? 一人なら、二人分の愛情を注ぐよ。鬱陶しいくらい、いろんなモンを買って寄越すだろうぜ。それよりも――」
俺はいったん、そこで言葉を切ると、抱いていた赤ん坊をメイに渡し、それからまたゆっくりと口を切った。
「名前、考えといたぜ」
「ホントに? 珍しく仕事が早いじゃない」
メイはそう言って笑うと、
「どんな名前? 聞かせて」
「まあ、いろいろ悩んだんだけどさ。俺の名前から一文字取って『
メイは、静かに首を左右に振った。
「どんな名前でも、反対なんかしない。あたしがヒョウにつけて欲しいって頼んだのに反対なんてするわけないじゃない。でも、学校でイジメられちゃうような名前だったら考え直してもらうけど」
「ああ、それは問題ない。たぶんな」
いたずらっぽく笑うメイに、生まじめな口調で応じる。
俺はそのまま、厳粛に告げた。
「あいつの――虎谷の名前を、一文字もらうことにしたんだ」
虎谷信人。
心にわだかまりが残っていたわけではない。
純粋に、あいつの一文字をもらいたかった。
本当に、すばらしい字だから。
すばらしい響きだから。
この子の名を呼ぶたび、俺は子供の頃のアイツを思い出すだろう。
このあだ名でアイツを呼んでいた頃の、自分を思い出すだろう。
メイの腕に抱かれた『赤ん坊』の腹にそっと手を置き、
「こいつには、揺るぎない『信念』を持った大人に育って欲しい。だから――」
だから。
一拍ため、俺は力強い口調で最後の言葉を言い放った。
「――
――了
気がついたら記憶を失くして異世界っぽいところにいた ~記憶を取り戻すため、パーティの仲間と共に未知なる世界を巡ります。ちなみに仲間もみんな記憶ないです~ kisaragi @keidouei
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