第32話 崩壊の足音
町がない。
商業都市ウィステールを出て以来、町らしい町がない。
最初は集落のような数十人単位の小さな村がポツポツと点在していたが、今となってはそれすらない。人がいない、小屋のような小さな建物が等間隔で存在するのみである。
三日歩くと小屋に着き、またそこから三日歩くと次の小屋に着く。それの繰り返しだった。道らしい道は一本しかないため、迷うこともなければ惑うこともないのだが(元より惑ったことは一度もないが)。
「もう、あれからどれくらいたつのかな……?」
「さあな。分からん。半年くらいの気もするし、一年くらいたってる気もする」
隣を歩くシンに、ヒョーマは正直に答えた。
時間の感覚が狂う。
おそらく今、自分たちは山を登っている。だが、ただの山ではない。とてつもなく巨大な山だ。
その山を何か月もかけて、緩やかにゆっくりと登っている。外側からちょっとずつ内側に、渦巻きのようなルートを進みながら。
必然、景色も似たようなモノばかりとなり、つまりは時間の感覚が狂って当然だった。
「シューヤたち、元気にしてるかなぁ……」
シンが、ぼそりとつぶやく。ヒョーマはこれにも「さあな」と一言だけ答えた。
あれ以来、誰とも会わない。
シューヤたちとも会わないし、ホノカとも会わない。それ以外のほかの誰ともだ。
否、あらあら姉さんとだけはなぜだか二十日に一回くらいのペースでちょくちょく遭遇していたが、あの人は数に入れてはいけない気がする。要するに、生きたまともな人間との遭遇が最近とんとないのである。
代わりに――。
「……またか。これで何人目だ?」
「五十人目だね。五十人目の『死体』だよ」
死体。
生きた人間とは会わないが、死んだ人間とは何度も遭遇している。これは別に最近に限った話ではないが、ほかに刺激が少ないためかそれらは余計に目立って感じられた。
「胸ポケットに封筒が入ってる。十万ゴーロ入ってるよ。もらっとく?」
「……使う機会が訪れるかどうかは分からんが、一応もらっとくか。にしても、ひでえな……」
「ズタボロだね。このヒトもモンスターにやられてる。これ以上ないくらい悲惨な殺されかただよ。最近、手強いのが増えてきてるね」
「次からは食糧調達も四人で行くか。たいしたロスにはならない。小屋についても、風呂焚きと軽い掃除以外することねえしな。先住民がいたことも、今のところ一度もねえし」
「だね。そのほうが安全かも――て、話してたら到着。きっかり三日ぶりの山小屋発見」
視線の先に、小屋が映る。ヒョーマはホッと一息ついた。
だが、このとき彼はまだ知らない。
この小屋での『再会』が、よもやあのような事態に発展しようとは、このときの彼には到底知るすべはなかったのである。
◇ ◆ ◇
「今回は女子組ですね。アカリさん、よろしくお願いします」
「……あたしは組みたくなかったんだけど。リン、すぐあたしのことイジるし。年下のくせに、ナマイキっ」
「気にしてたんですか?」
「してないと思ったの!?」
思った。
が、さすがにこの状況でそれを言うのは得策でないとリンにも分かった。
少ししょんぼりしたテイで、彼女はすなおに謝った。
「……ごめんなさい」
「……ま、まあいいけど。ホントはそんな気にしてないし。あたしもちょっと、言いすぎたかも。ごめん……」
(……チョロい)
と、これは心の声に押しとどめる。
相手がヒョーマだったら「もう少し申し訳なさそうに謝れや!」と逆に火に油を注いでしまいかねない稚拙さだった気もするが、見事に目論見は成功した。
もしかしたら、レベルが上がったのかもしれない。リンは少し自信を深めた。
ともあれ、二人である。
今はアカリと二人。次の小屋が近くなってきた、という判断のもと、今回も二手に分かれることとなった。自分たちの役割は食糧調達。面倒な任務だった。
「イノシシでも捕まえますか?」
「シシ鍋っ! シシ鍋賛成っ!」
「では、ちゃちゃっと捕まえてきます。アカリさんはその辺で食べられそうな草でも――」
「リン、危ない!!」
「……え?」
キョトンと目を丸くして、リンは緩慢に振り返った。その緊張感の欠如が、だが彼女を窮地のどん底に落とし込む。
見えたのは、巨大な黒。
頭のてっぺんからつま先までが全て黒の、不気味極まるシルエット。
両のまなこにも白目の部分がいっさいなく――それは、背筋がゾッと凍るほどおぞましい姿のモンスターだった。
そんな未知のモンスターが、音もなく、気配もなく、リンの目の前にまで迫っていた。
「あ……」
と、リンが言えたのはそれだけ。間抜けに固まったまま、その一音だけが空気に触れる。その後は、スローモーションだった。
漆黒のモンスターが、無言のまま、ノーモーションで丸太の腕を振るう。
切っ先の鋭い爪が、まるでコマ送りのように彼女の視界を流れた。
リンは何もできずにただ、呆然とその様を見守るほかなかった。
自身の身体が、その場から消し飛ばされるまで。
「――――ッ!?」
受けた衝撃は、すさまじかった。
すさまじい勢いで、そうして身体が横方向に飛ばされる。
激烈な勢いで体当たりしてきた、アカリに抱きかかえられるようにして。
「アカリさん!?」
「なにボーッと突っ立ってるのよ!? あんな一撃喰らったら殺されるわよ!!」
「す、すみません! ありがとう――」
「お礼なんて言ってる場合じゃ――ぁぐッ!?」
「アカリさん!? 大丈夫ですか!? どこか――」
「平気! ちょっと足首ひねっただけ! それより逃げるわよ! アイツ、絶対ヤバい! ヤバいモンスターだ! 逃げ切れるなら逃げたほうがいい! 走れる?」
「平気です!」
叫ぶように応じて、アカリの腕の中から飛び降りる。
リンはそうして、アカリと共に限界を超えるスピードで駆け出した。
モンスターとは逆方向に。
一心不乱、無我夢中に彼女たちは走り続けた。
モンスターの足音が聞こえなくなっても、まだしばらく。
足を止めたのは、さらにそこから数百メートル進んだあとだった。
「ハァ、ハァ、ハァ……振り切れた、かな……?」
「……おそらく。もう、大丈夫だと……思います」
息も絶え絶え答える。
隣のアカリも、ひざに両手をついて息を整えていた。
「……アカリ、さん。ふともも、怪我……しています。大丈夫、ですか?」
「……ああ、これ? 全然平気。たぶん、枝の先か何かにコスッたんだと思う」
アカリの右太もも、その外側に軽い裂傷があった。確かに彼女の言うように、先の鋭い枝か何かにコスッたような傷に見えた。
リンは、しょんぼりと頭を下げた。
「……すみません。わたしが油断したばっかりに。申し訳ないです。失態です」
「別にいいって。もう回復魔法かけたし。それに、あのモンスターは本当に変だった。あたしも直前まで気づかなかったし。未知のモンスターとなんてしょっちゅう遭遇するけど、あのモンスターは明らかに今までのどのモンスターとも毛色が違った。不気味って言葉が何より似合う。もう二度と出会いたくないわね」
「……そうですね。まだ少し胸がドキドキしています。早くシンたちと合流したいです」
「ここ、どこら辺かな? 夢中で走って来ちゃったけど。いったん道に戻る?」
「そうですね。食料の調達は四人で行くのが安全だと思います。一度森を出て――」
「待って! あそこ、誰か倒れてる!」
アカリの指さす先に視線を移すと、木の腹に寄りかかるようにして女が一人倒れていた。
リンはすぐさま、アカリと共に彼女のもとへと駆け寄ったが、
「……死んでますね。回復の必要はなしです。ひどい……傷です」
「さっきのモンスターにやられたのかな? もしかしたら、ほかにもまだいるのかも」
「だとしたら、早くこの場を離れたほうがいいかもですね。よく見たら、小動物の死骸があちこちに散乱しています。パッと見、近くにいるとは思えませんが……」
今度こそ、注意深く周囲を見まわす。
目に映る範囲に、さきのモンスターの姿は見えなかった。が、完全には安心できない。緊張感を保ったまま、切り立った斜面を登る。
「チロロ……」
「チロ、平気だから。そこでジッとしてなさい。ぜったい頭の上から降りてきちゃダメだからね」
後方で、アカリとチロの会話が聞こえる。
リンは集中を切らさず、草むらをかき分けながら道なき道を進んだ。森を抜けるまであと少し。だが、そのあと少しのところで彼女の歩みは止まった。
止まらざるを得ない光景が、目に飛び込んできたのである。
「……え?」
自分でも、間が抜けた声だったと思う。
後方のアカリが、すぐにその声に反応する。
「どうしたの、リン?」
リンはでも、答えることができなかった。
口をひらこうとするも、震えてしまって声が出せない。
ただ、彼女は震える指先を『その場所』に向けることしかできなかった。
その場所――。
「えっ…………トラ?」
トラ。
そこにあったのは、トラだった。
まぎれもなく、トラだった。
見間違えるはずもなく、何度も何度も憎まれ口を叩き合ったトラの姿だった。
「うそ……」
アカリが、茫然自失につぶやく。
リンは、何も言えなかった。
何も言えぬまま、ただ震える瞳で『その姿』を見つめることしかできなかった。
首から下をグチャグチャに砕かれ、ただの肉の塊と化した、かつてトラだったモノの姿を――。
心の中で、何かが音を立てずに崩れていく音がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます