第31話 螺旋山へと至る道


 宿屋である。


 小さな村の小さな宿屋。


 商業都市ウィステール――つまりは前の町を出てから一月ほどがたつが、途中立ち寄った数件の集落にはこれといった珍しいものはなかった。


 やはり大きな町と違って、集落などの小さな村には目を引くような驚きはない。身体の疲れを癒すにはじゅうぶんなのだが、心の疲れを癒すにはてんで力量不足であった。


「最近、ミサキやホノカと会わないなー」


 退屈そうにテーブルに突っ伏しながら、アカリがぼそりとつぶやく。


 それに応じるヒョーマの姿を、シンはボーッとしながら遠目に見ていた。


「そうそう会うもんじゃないだろ。そのうちまたどっかで会うよ」


「まあ、そうかもだけど。あー早くミサキに会いたいなぁー。会ってお話したい。シューヤとトラはどうでもいいけど。特にトラは」


「同感です。特に変態黒縁眼鏡はどうでもいいですね」


「どんだけ嫌ってんだよ。一応、情がわいてもおかしくないくらいの長い付き合いではあるんだぞ、アイツとも……」


 まあ、そう言ったヒョーマも絶対どうでもいい存在と思っているだろうが。


 ともあれ、ヒョーマの言葉を華麗にスルーしたアカリは、近くにいたチロの身体をくいっと抱き寄せ、


「ねえー、チロ。ミサキと会ったら、三人でまた一緒に遊ぼうねー。ミサキ、チロのこといっぱい良いコ良いコしてくれるよー」


「チロロー♪」


 心なしか、チロが興奮気味に鳴く。尻尾をフリフリして、見るからにうれしそうである。


「なんでコイツ、こんな過剰に反応してんだ? 今の言葉のどこがコイツをこうした?」


 ヒョーマには謎極まりないようだったが、その答えはすぐに二人の口から提供された。


「チロはミサキさんに頭をなでられると、すごく喜ぶんです。わたしやアカリさんがやるよりも喜びます」


「ミサキは良いコ良いコのプロだからね」


「いやそんなプロねえだろ。誰が金払うんだ、その地味特技に。てか、誰が頭をなでたって尻尾振って喜ぶよ。コイツにそんな違いが分かるとは思えねえ。俺がなでてもたぶん喜ぶ」


「じゃあ、やってみてよ。ぜったい喜ばないから」


「いいぜ、見てろよ。こんな感じでなでりゃいいんだろ?」


 言って、ヒョーマがためしとばかりにリンの頭を優しくナデナデする。


「…………ッ!?」


「うん、そんな感じ。けっこう上手いじゃない。リン、力加減どんな感じ?」


 そうアカリに訊かれても、リンの反応は薄かった。薄いというより、あまりの不意打ちに思考回路がショートしているように見える。気取られないように下を向いているが、もう顔が完全にゆでだこみたいになっていた。位置的にシンの側からしか確認できないよう上手く調整しているが、おかげでシンには丸わかりである。


「ちょっとリン、聞いてるの? チロが痛がらないくらい優しくなでてもらってる?」


「……すごく、上手だと……思います」


 若干と裏返ったかすれ声で、ようやくとリンがそう答える。ヒョーマは満足したようにリンの頭から手を離した。


 解放されたリンが、トボトボと下を向いたままベッドに向かう。


 そのまま、頭からベッドの上に倒れこんだ彼女は、真っ赤に火照った顔をジロリとこちらに差し向けた。


 と、シンにだけ聞こえるような小声で、


「ジロジロ見ないでください。悟られたら、シンのせいです」


「平気だって。二人の注意はもう、完全にチロに移ってるし」


 同じような小声で、シンも応じる。


 シンの言うように、ヒョーマとアカリの意識はもう完全にチロへと移行していた。リンのほうなどみじんも見ていない。それはそれで、ちょっとかわいそうな気もしたが。


 いずれ、シンも『心臓バクバクぐったり昇天モードのリン』から、自身の注意をもうひとつの組のほうへと完全移行させた。


「おーし、チロ。ほら、なでてやるからこっちこい。なでて……」


「キシャーーーッ!!」


「おわっ!? な、なんだなんだ? キシャーーーってなったぞ、コイツ!?」


 キシャーーーってなった。


 シンも初めて見るチロの反応だった。


「アハハ! キシャーーーってなってる、キシャーーーってなってる! チロ、ヤル気じゅうぶんみたいね!」


「なんのやる気だよ!? まさか殺る気って意味か!? つーか、おまえも楽しそうに笑ってないでこのチビなだめろ! これじゃなでることさえできねえだろ!?」


「しょうがないわねー。ほら、チロ落ち着いて。このお兄ちゃんが嫌いなのは知ってるけど、ちょっとのあいだだけ我慢してねー」


「チロロ……」


 アカリになでられ、チロが一瞬でふにゃりと落ち着く。


 効果はてきめんだった。


 と、ヒョーマがここぞとばかりにチロの頭をそろりとなでる。


「キシャーーーッ!!」


「結局そうなんのかよ!?」


 結局そうなった。ヒョーマは相当嫌われているらしかった。


「ふっふっふ、これで分かったでしょ? チロは誰にでもなつくわけじゃないのよ。あんたのことは嫌いなの。ずっと一緒にいるのにねー。シンとリンにはなついてるのに」


「ホントか? 実はおまえ以外には『キシャーーー!!』ってなるんじゃないのか?」


「そんなことないって。シン、ちょっとこっち来てー」


 呼ばれて、シンはてくてくとアカリに近づいた。


「ほら、ここ座って」


「わっ!?」


 アカリの真横まで寄ると、不意に彼女に抱きかかえられた。


 そのまま、アカリと同じ椅子――正確にはアカリの両太ももの上にちょこんと座らされる。


 上半身は彼女の両腕にすっかりかかえ込まれ、シンに逃げ場はなかった。


「頭の上にあご乗せないでほしいんだけど。動きづらいよ……」


「別にいいじゃない。このほうが楽チンなんだもん。そんなことより、ほら早く。チロの頭をなでてみて」


「むぅ……」


 シンは納得できなかったが、しかたなく目の前のチロの頭をささっとなでた。


「チロロー」


 無難な反応だった。


 いつもどおりだ。少なくても、キシャーーーとはならなかった。


「ね?」


「……ハッ、しょせん獣だ。獣に好かれたところで益はねえ。どうでもいいわ」


「負け惜しみだー。シン、ヒョーマが負け惜しみ言ってるよー。うりうりー♪」


 やたらとうれしそうに、アカリが笑う。


 気持ちがアガってきたのか、シンはさらに強い力で抱きしめられた。思いっきり『ギューーーっ』てされた。彼はため息をつくほかなかった。


 ため息ついでに、そうしてずっと気になっていたことをここぞと吐き出す。


「おれたちの記憶、ぜんぜん戻る気配ないんだけど……このままで大丈夫なのかな?」


「ああ……それは俺もずっと考えてた。螺旋山ってトコの頂上にたどり着けば、その瞬間に戻るもんなのか。ここまでなんの予兆もねえと、さすがにちょっと心配にはなるな」


「平気じゃない? そこ着けば、パァーってなってみんな一気に記憶戻るわよ」


「パァーってなってって……そんな冗談みたいなノリで記憶が戻ったら衝撃だわ」


「まあ、アカリさんは謎のポジティブ思考の持ち主――ヒト呼んで『頭クエスチョンの女』ですからね」


「頭クエスチョンの女ってなに!? もうどこをどう考えても馬鹿って意味じゃない! てゆーか、あんた寝てたんじゃなかったの!?」


「復活しました」


 復活のリン。


 真っ赤だった顔も、もう元の雪肌に戻っている。だいぶ落ち着いたらしい。でも、まだヒョーマの顔は直視できない状態らしかった。


「まあでも、考えたところで答えは出ねえ。俺たちは黒マント女の言った言葉と、自分たちの直感を信じて進むしかない。ほかの連中もおそらくそうだ。ブレずに行こうぜ」


「……そうだね。弱気を言ってゴメン。ブレずに行こう」


 螺旋山の頂上。


 全ての答えは、きっとそこにある。

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