第35話 大葉さんの涙




「おーい宇童うどうっち、コッチだよー」


 俺、龍ノ瀬たつのせ宇童うどうと神崎桂香けいか先輩が乗ったタクシーが広場前に着くと、茶町の声が聞こえた。

 視線を向けるとそこには茶町の彼氏の田中、電話で聞いていた白崎、そして白崎の仲間が、ベンチに座るひとりの女の子を囲んでいる。

 大葉さんだ。


龍ノ瀬たつのせくんは先に行きなさい」

「すいません」


 神崎先輩に会釈だけ残して、俺は一目散に走った。

 人の輪をかき分けてベンチの前に立った俺は、見た目ケガのない大葉さんに少しだけ安心する。

 大葉さんの前にしゃがんで、俺はなるべく柔らかく話しかける。


「大葉さん、大丈夫か」

「……龍ノ瀬たつのせ、くん」


 微笑む大葉さんだったけれど、そのメガネの奥の目は赤い。

 つまり。


「──大葉さんを泣かせたヤツは、誰だ」


 大葉さんを泣かせた奴が、ここにいるってことだ。

 無意識に声が低くなる。

 と、その輪の向こう、隅っこで正座する男が見えた。

 瞬間、悟った俺は、すぐに男に詰め寄った。


「おまえか」

「ち、ちが……」

「じゃあどうして大葉さんが泣いたんだ。答えろ」


 煮え切らない男を、思わず蹴りたい衝動に駆られる。というか、足を振り上げていた。


「ストップ、ですわ」


 その衝動を止めてくれたのは、神崎先輩の冷静な声だった。

 助かった。もう少しで本当に蹴るところだった。

 神崎先輩は、靴音を鳴らして歩いてくる。


「じょ、女帝……なんで」


 正座する男は神崎先輩を見て顔を青くして、反射的に逃げようとしたのだろう、立ち上がれずに転けた。

 きっと正座で足が痺れていたんだろう。

 黄川先輩も言ってたけど、本当に女帝なんて呼ばれるほど怖い存在なんだな。

 その女帝、神崎先輩は俺に目配せすると、まだ逃げようとする男の前に立った。


「あなた、三年D組の赤瀬くんね」

「お、俺は、何もしてねえ!」

「ならば何故、大葉さんは泣いているのかしら」

「知らねえよ!」


 赤瀬と呼ばれた上級生は言い返しはするものの、神崎先輩を見ようとはしない。

 溜息を吐いた神崎先輩は、声音を少し高くする。


「ところで貴方、こんなところで何を?」

「……通りかかって」

「電車通学でもない貴方が、わざわざ駅前広場の中に?」

「何もしてねえってば!」

「……教えてくださらないのね」


 そこで初めて、神崎先輩は茶町や田中のほうへ向いた。

 だが茶町はキョドッてるし、田中はなぜか顔色が悪い。


「あなた達、大葉さんのクラスメイトですわね。経緯を教えてくださらない?」


 怒気を孕んだ神崎先輩の声音に、茶町も田中も、固まった。

 そこに助け舟を出したのは、白崎涼真だ。


「神崎先輩、少し向こうで話しませんか」

「貴方は……たしか白崎先輩の弟さん、だったかしら」

「はい、姉が在学中はお世話になりました」

「いいえ、お世話になったのはわたくしですわ。それで、お話とは」

「ちょっと、ここでは」


 白崎は、俺を見て、大葉さんを見た。


「なるほど……龍ノ瀬たつのせくん。大葉さんのフォローを」

「ああ」


 言葉少なに応えると、神崎先輩は頷いて、白崎と歩いて行く。

 俺は、広場のベンチに座る大葉さんの隣に腰を下ろす。

 気の利いた台詞?

 俺が言えると思うか。


「た、龍ノ瀬たつのせ、くん」

「大葉さん。ケガとかしてないか?」

「田中さんと茶町さん、あと白崎さんが、助けてくれて」

「そうか、あとでお礼をしないとな」


 はい、と微笑む大葉さんは、いつもの大葉さんだ。


「ちょっと、あんな大葉ちゃん、見たことないんだけど」

「鈍感ってすごいな。自分だけに向けてくれる笑顔に気づかないとは」


 茶町と田中は、何やら好き勝手言っているが、今は大葉さんが最優先だ。


「何か飲み物でも買ってこようか」

「大丈夫、です。いてくれる、だけで」


 そんなやり取りの間に、白崎涼真と神崎先輩は戻ってきた。

 神崎先輩は、現在四つん這いの元正座男を睨む。


「あなた、大葉さんのストーカーでしたのね」

「違う、黄川に頼まれて……」

「あら、ようやく喋る気になったのかしら。けれど、遅いわ」


 神崎先輩は、スマートフォンを取り出して、正座男に向けた。


「白状するのなら、電話の向こうの生徒会長に、どうぞ」


 正座男は慌てて神崎先輩に土下座をした。

 そうじゃないだろ。

 おまえが謝る相手は……もういいや。


「ゆ、許してくれ、もうすぐ受験なんだよ」

「あら奇遇ですわね、わたくしも受験生なんですの」

「だったらわかるだろ。大事な時期なんだよ」

「……などと、容疑者は意味不明な証言をしておりますが」


 スマホに向かって神崎先輩が話すと、小さな声が漏れ聞こえた。


『わかった。学校には報告しておこう』

「そん、な……」


 立ち上がりかけた正座男は崩れ落ち、再び正座の格好となった。

 というか、なんで正座してたんだ?


 「涼真リョウマの顔を見た瞬間、自分から正座したんだよ」


 白崎涼真……リア充恐るべし。






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