第6話 オバケさんと楽器店

 


「ここだ」


 着いたのは、俺の行きつけの楽器屋だ。

 ここは奥に貸しスタジオもあって、前のバンドの奴らとも良く来ていた。

 それもあって最近は足が遠のいていたのだが、ここは楽器類やバンド用の譜面も数多く置いてあって、まるで音の楽園なのである。


「わぁ、楽器がたくさん」

「楽器屋だからな」


 楽器店に来るのが初めてなのか、大葉さんは見るものすべてに目を輝かせていた。

 大葉さんを譜面の棚に案内して、大葉さんの声質に合わせていくつかピックアップしてきた曲の楽譜を探す。


「こんなに、薄い本が……」

「ただの楽譜だよ」


 薄い本、という響きに思わず反応してしまったのは、余計な知識を俺に植え付けた茶町のせいだ。


「あ、あの」


 突然大葉さんは俯いて、恐々と俺をうかがってくる。


「どうした」

「実は、私、音符、読めない、んです……」

「うん、で?」

「ですから、そんな私が、楽譜を買っても」


 ああ、そういうことか。


「大葉さんの歌は、聴いて覚えたものだろ」

「そ、そうです、ごめんなさい」

「謝る必要はない、そういう耳コピなら俺もよくやるし」


 聴いて覚えるのは、ひとつのスキルだと思っている。

 そも覚えたものを歌うか、弾くか。それだけの違いだ。


「弾くのは俺だから、大葉さんは譜面を読めなくていい」

「そう、なのです、か?」

「ああ。歌詞を覚えてくれれば、それでいい」

「あ、ありがとうございます」


 永久機関のように何度もぺこぺこと頭を下げ続ける大葉さんに、なんだか可笑しくなってしまう。

 そりゃそうだよな。

 ネットに投稿された大葉さん、オバケさんの楽曲は、どれもカラオケ音源だったし。


「……やっぱり、楽譜読めないと、ダメ、ですか」

「ん、どうして」

「だって今、笑い、ましたよ」

「……笑ってないけど」


 すまし顔を繕って答えるも、現在進行形で笑いそうになっている。

 そんな俺の顔を見た大葉さんは、少し頬を膨らませて不満を表す。


「う、ウソです。笑い、ました」

「笑ってない。我慢したし」

「ほ、ほら、やっぱり」


 教室よりも抑揚のある喋り方をする大葉さんだが、こちらが本来なのだろう。

 若干の涙目を向ける大葉さんに、悪かった、とだけ詫びて、手に持っていた楽譜を棚に戻し──


「うわ、なんか女とイチャついてる声がしたと思ったら、龍ノ瀬たつのせじゃねーの。ウケる」


 ──聴き覚えのあるムカつく声が、背中に浴びせられた。


「黄川……」

「黄川センパイ、だろ?」


 立っていたのは、同じ高校の三年生。

 俺をバンドから追放した黄川、だ。

 嫌な奴と会ってしまったな。

 しかしバンドをクビになった今、黄川とは何も関係ない。

 俺は大葉さんに行こう、と目で合図をして、その場を立ち去ろうとした。


「え、逃げんの? 女連れてるのに? カッコわりぃなぁ」


 無視だ、こんな奴と関わる時間がもったいない。

 が、黄川は、去ろうとする俺の肩をグイと引き戻してくる。

 触るな、と口に出しかけて、寸止めする。


「つーかさぁ。あんだけ女に興味ないみてぇな顔してたクセによ。なんだよそりぁ」

「あんたには関係ない」

「しかもよりによって、こんな地味なメガネチビ女とはなぁ」


 ……こいつ。

 俺だけでなく、大葉さんまで。

 向き直って文句を言ってやろうと振り返ろうとする俺の服を、大葉さんは引っ張って制止あいてきた。

 顔を見ると、大葉さんは緊張した顔を小さく左右に振っていた。

 そこで思い出す。

 黄川は小さな頃から空手を習っていた、と言っていた。

 ここは大葉さんの身の安全を最優先しよう。


「とにかく、もう関係ないんで」

「関係ねーわけねーだろ。元バンド仲間じゃねーかよ」

「元、ですから」

「おい、龍ノ瀬たつのせぇ!」


 怒鳴る黄川に、周囲の客や店員が振り向いた。

 今しかない。

 俺は大葉さんの手を引いて、走って楽器屋を出た。

 そのまま走り続けて、適当な角を曲がる。

 もっと遠くに離れたかったが、大葉さんはもう限界だった。


「ふぇ、はぁ、はぁ」


 もう一度近くの路地を曲がった俺は、そこで足を止める。

 ゼェゼェと息を鳴らす大葉さんに、俺は頭を下げる。


「すまなかった」

「はぁ、はぁ……何が、ですか」

「気分転換になれば、と思って連れてきたのに」


 肩で息をしつつ、大葉さんは首を傾げる。

 教室での大葉さんの扱いのことを話すと、困ったように大葉さんは苦笑した。


「気づいて、いたんですね」

「今日の大葉さんの様子に気づいたのは、俺じゃない。でも、大葉さんが一部の奴らに理不尽な扱いを受けているのは、この数日だけで理解した」


 大葉さんは制服の胸元で、小さな手をキュッと握って俯く。


「……大丈夫、です。慣れてますから。でも」


 渇いた喉に声を擦れさせ大葉さんは、俺に向けて頭を下げた。


「ありがとうございます。嬉しいです」


 大葉さんは、弱く微笑んだ。

 その翌日から、大葉さんは学校を欠席した。

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