第16話 オバケさんの決意




「強くなりたい、です」


 弱々しい宣言だけれど、それが本質でないことは解っている。だが、大葉さんの求める強さ、とは。


「大葉さん……」

「動じない、心」


 神崎お嬢様は、呟く。


「そ、それ、です」


 大葉さんはさらに続ける。


「ずっと私は、私の安全圏テリトリーの中で、歌ってきました。それはすごく幸せで、楽しくて、楽、でした」


 わかる。自分の居場所が一番安心安全だよな。


「けれど、それでは、私の目標は、叶えられない、です」


 スタジオ練習で気づいたこと、だな。


「人見知りの私が、人前で歌う。これに慣れる必要が、あると、思うのです」


 違った。

 大葉さんは、もっと先を見ていた。

 言葉にするのも怖いのだろう。指先が、肩が、震えている。

 それでも大葉さんは、語り続ける。


「文化祭で歌いたいという私の願望は、龍ノ瀬たつのせくんと出逢うことで、目標となりました」


 やめてくれ。

 あの時一度は断ってしまったことを、今の俺は後悔しているんだ。


「そして、ゴリチョくんや神崎先輩と出会って、目標は目的になりました」

「そうですわね、人員的、技術的には、もう実現可能な領域ですから」


 神崎お嬢様の相槌に、大葉さんは強く頷く。


龍ノ瀬たつのせくんは、言ってくれました。皆さんは、私のために集まってくれた、私の味方、だと」


 そんなたいそうな意味でもないんだけどな。


「だったら、私も、成長しなければ、いけない。皆さんに、応えなければ、いけない」


 語る大葉さんの瞳は、いつもよりも強く感じる。


 しかし、驚いた。

 喋るのが苦手な大葉さんがここまで話すのを見るのは、初めてだった。

 当然だ。俺はまだ彼女の、大葉さんの一部しか知らない。

 だけど今、大葉さんは胸の内を吐露している。誰でもない、俺たちの前で。

 それは大葉さんにとっても俺たちにとっても、大きな一歩だ。


「だから、お願い、します。協力、してください!」


 叫ぶ様に言い終わった大葉さんは、勢いよく頭を下げた。

 呆気に取られるゴリチョと、何故か涙を流す神崎お嬢様。


「まだ仲間になって間もないわたくしを、ここまで信用してくださるなんて……」

「だな。オレなんて、大葉さんを利用しようとしたのに……」

「ちょっとゴリチョさん、それは聞き捨てならないですわね」


 さっきまで涙目だった神崎先輩が、今はゴリチョを睨んでいる。

 その姿に少し笑ってしまった。


「笑い事ではありませんわ。我らが担ぐべき歌姫を、こともあろうに計略に利用するとは」

「その件はもう解決済みなんだ。詳細はあとでゴリチョに訊いてくれ」

「判りましたわ。とことんまで詰問して差し上げますから、覚悟なさい」

「は、はい……」


 顔を見合わせて、大葉さんたちと笑い合う。

 ゴリチョだけはシュンとしていたけれど、あの時大葉さんにしたことを考えれば、ちょっとは思い出して落ち込め、とも思う。


「さて、大葉さんの所信表明演説が終わったところで、方針は決まったな」

「そうですわね」


 まずは、経験。

 場数を踏むに限る。


「なら、ちょうど良いステージがあるぜ」


 神崎先輩にビクビクしながら、ゴリチョが手を挙げる。


「来週、うちの地区で夏祭りがあってさ、参加するバンドを募集してるんだ。小さなステージも作るみたいだぜ」


 地域の夏祭りか。

 アマチュアのステージだから、決して注目度は高くない。

 今の大葉さんには、ちょうどいいかも知れないな。


「どうする、大葉さん」

「怖い……です」


 ステージを想像したのか、大葉さんは小刻みに震えている。


「そうだな、もう少し対策を練ってから……」

「でも」


 全身の震えを抑え込むように、大葉さんは小さな拳を握りしめる。


「やって、みたい……です」

「でも」


 大葉さんの気持ちはわかる。

 文化祭のステージに立つのなら、いつかはクリアしなきゃならない壁だ。


「大葉さん」


 神崎先輩は大葉さんの前に立つ。


「ステージという場所は、一度立ったら後には引けませんわよ」


 神崎先輩が突きつけた現実に、大葉さんは俯いてしまった。

 見ると、大葉さんの握った拳の中、爪が手のひらに食い込んでいる。

 思わず大葉さんに駆け寄った俺は、自分の左手の指先を見せる。


「大葉さん、この指先を触ってみてくれ」

「え」

「毎日ギターの弦を押さえ続けてきた指先だ」


 大葉さんの指先が、俺の指先に触れる。


「かたい、です」

「これが俺の自信だ」


 大葉さんは、まだ俺の指先を触り続けて、撫で続けて……ちょっと長くない?


「不思議、です」


 大葉さんは、俺に微笑みを向ける。


龍ノ瀬たつのせくんの指に、触れていたら、震えが……止まりました」

「失敗したっていい。というか、失敗しよう」

龍ノ瀬たつのせ、くん」


「やります。やらせて、ください」


「んん、グッドですわ。ならばきっちりと対策を練りましょう」

「よし、決まりだな。ゴリチョ、エントリー頼めるか」

「任せとけ、親父は自治会長だからな」


 おお、プチ権力者のコネか(笑)


「いやー助かったぜ。まだ応募ゼロみたいでさ。企画して参加バンドゼロ、なんてカッコつかないからな」


 まあ、地域の小さなお祭りだし、若い奴らが積極的に上がるステージではない、のかも知れないな。


「おし、持ち時間とか調べて、みんなに送るぜ!」

「その前に」


 意気揚々と立ち上がるゴリチョの勢いを、神崎先輩がゴリっと削いでいく。


「我らが歌姫を利用しようとした件、たっぷりと聞かせていただきましょう。大丈夫、夏の夜は長いですから」


 こうして活動方針は決まり、ゴリチョは神崎先輩に引きずられていった。



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