第52話 オバケさん、告る



 ついにラストとなる三曲目が来た。

 最初で最後かもしれない、俺たちのオリジナルの曲だ。

 この曲では俺はシンセサイザー、つまり鍵盤を担当する。

 しかし神崎先輩のアレンジは大胆だ。

 イントロが、約一分間もある。

 しかも俺の鍵盤パートは、イントロの途中から。

 俺が作った曲は三分だから、いきなり四分の曲に伸びたことになる。

 静かにシンバルが鳴り始めた。

 そこに、スラップを封印したゴリチョの柔らかな低音が追随する。

 すごい。

 ドラムとベースだけで、こんなにメロディアスに出来るのか。

 俺の出番だ。

 ハモンドオルガンの音色が、ゆったりとステージに充満していく。

 

 その時。

 大葉さんは語り出す。


「みなさん、ありがとう、ございます。

 今から歌う曲は、オリジナルです。

 歌詞は私が、曲は、私の大事なひとが、作ってくれました。

 この曲には、私の想いを、ぎっしり詰め込んだ、つもりです。

 どうか、みなさんに、届きます、ように。

 そして、私の大事な、大好きな、ひとにも──」


 大葉さんの、ひとつひとつ言葉をしたためるように紡がれる語りに、俺の頭は真っ白になる。


 大事な人?

 大好きな人?

 誰だ、どこのどいつだ。

 俺は、混乱と動揺の極地にいた。

 しかし、この曲は俺たちの、GhosTripゴーストリップの最後の曲だ。

 無様な姿は見せられない。

 余計なことを考えるな。

 大葉さんのことだから、きっとこのライブを望んだ大葉さんのお母さんに宛てた歌詞だ。

 俺は俺の仕事をするだけ。

 鍵盤を弾く機械になれ。


 言い聞かせて、鍵盤の上に指を踊らせる。

 すぐに、大葉さんの歌声が重なってくる。


  ──愛しています これまでも これからも

 ずっと ずっと──


 ……ありきたりな歌詞だ。

 耳障りの良いだけの、親愛の言葉。

 なんの捻りもなく、比喩もない。


 大葉さんを理解し、どれだけ彼女が悩み苦しんでいたかを知らなければ、そう思われても仕方ない。

 つまりこの歌詞は。


 やはり大葉さんを知る人物だけに、宛てられたものだ。

 そんな歌を、文化祭のステージという公衆の面前で歌っているのだ。

 すごいな。

 出会った頃から思えば、ものすごい成長だ。

 思わず笑みが溢れる。


 他人に気を遣いまくって、迷惑を掛けないように生きてきた。

 そんな今までの大葉さんとは、まったく逆の行為。

 およそ大葉さんらしくない、身勝手で独善的な行為。


 恐れ入る。

 これだけの聴衆を目の前にしながら、伝えたい相手はたった一人。


 大葉けやきの、母親のみ。


 何が控えめ、だ。

 何が大人しい、だ。


 とんでもなくワガママじゃねえかよ。


 さすが大葉さん、いやネットの歌姫オバケさん。

 スターの素質、充分じゃねーか。


 やっぱ音楽って、こうで無くちゃ。

 いいぜ、付き合ってやる。


 大葉さんのワガママにな──





 曲が終わった。

 鍵盤を弾き終えた俺は、スポットライトの中に立つ大葉さんに目を向ける。

 え、なんで素顔なんだ。

 仮面はどうしたんだ。

 眼鏡もしてないじゃないか。


 なんだよ、泣きそうな顔でこっち見んな。

 もっと堂々としてればいいんだ。


 このステージを支配しているのは、大葉さんなんだ。

 その場所を、余韻を、存分に堪能すればいいんだ。


「ありがとうございました」


 大葉の言葉で歓声が高まる。


「そして、ごめんなさい」


「この歌の歌詞は、ある人のためだけに書きました。優しくて、勇気をたくさんくれて、歌うことを教えてくれて、たまに怒られることもあるけど、私の大切な人──」


 会ったことのない、大葉さんの母親が浮かんでくる。

 大葉さんの記憶の中の母親は、きっと笑顔の優しい、良い母親だったのだろう。

 そんな母親と大葉さんが離れて、八年。


 聴いたか、大葉さんの母ちゃん。

 この会場の何処かにいるんだろ。

 あんたの娘はすごいぞ。


「──この曲を、そんなあなたに、贈ります」


 うんうん。

 よかったよかった。


 ……え。大葉さん、なんで俺を見つめてるの。



 眼鏡をつけていない大葉さんが、近づいてくる。

 そして、俺の前に立った。


「私を、ここに、連れてきてくれて、ありがとう。大好き、でしゅ」


 そう言った大葉さんは、俺に近づいて、俺の素顔を隠す仮面に、キスを──え?




 その瞬間、今日一番の大歓声が体育館を揺らした。






「えー、皆さま……」


 大葉さんの代わりにボーカルマイクに向かうのは、神崎先輩。

 なにか言っているが、混乱のせいか大歓声のせいか、まったく耳に入らない。


「──静かになさいっ!」


 神崎先輩の叫びが、マイクにハウリングを起こす。

 しかしそのおかげで、客席は静まった。


「申し訳ありません。少々感情的になってしまいました」


 深々と頭を下げる神崎先輩に、客席がどよめく。


「色々と甘酸っぱいシーンもありましたが、わたくしたちのライブはこれにて──」


 その時、客席から予定にない、予想もしない声が上がる。


「アンコール、アンコール」

「「アンコール、アンコール」」

「「「アンコール、アンコール」」」


 その声はだんだん大きくなって、ついには客席全体から響く。


「……だ、そうですけれど。ボーカルさん、いけますか?」

「は、はい、大丈夫れす」

「ふむ、ギリギリいけそうですね。鍵盤さんはどうでしょう。姫のキッスで動揺していると思いますが?」


 神崎先輩の右半分の素顔は、にやりと笑う。

 つまり、まだこのバンドで曲を演れるってことだ。


「あ、ああ。俺もギリギリ大丈夫、だ」

「んん、実にマーベラスですわ。では、皆さまのアンコールにお応え致しましょう」

「でもよ、お嬢。曲はどうすんだ」

「そうですわね……夏祭りのライブで演った曲は、いかがでしょう」

「俺は何でもいい、このバンドでまだ演奏出来るなら」


 というか、今の俺は頭が働かない。


「決まりですわね。では、わたくしたちGhosTripゴーストリップが、初めてステージで演奏した曲、いきますわよ」



「では、聴いてください──」



 その後、アンコールは繰り返され、追加で三曲を演奏して、GhosTripゴーストリップのラストライブは終わった。


 そのあと予定時間オーバーで先生にめちゃくちゃ怒られたけど、仮面越しのキスで夢うつつの俺は、まったくのノーダメージだった。




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