第23話 オバケさんと俺の夜





「……やっぱり龍ノ瀬たつのせくんも、神崎先輩みたいな女の子が好き、なんですか」

「……は?」


 予想すらしなかった問いに、思わず固まる。


「どうしてそうなる」

「だって、神崎先輩は、綺麗だし、ドラム上手、です」


 俯く大葉さんは、口唇くちびるを尖らせて小さく主張する。


「たしかにその通りだな」

「やっぱり……」

「でもそれは、大葉さんも同じだろ。歌は正直ずば抜けてるし、綺麗──」

「えっ」


 長い前髪とメガネで隠された大葉さんの素顔は、神崎先輩と同じくらいに容姿は整っているのではないか。

 いや、神崎先輩は美人系だけど。


「──いや、大葉さんは可愛い感じだな」

「ふぁ!?」


 比較するのは違うとは思うけれど、可愛さ基準ならやっぱり大葉さんだ。

 少なくとも俺にはそう映る。

 きっとそこには、ボーカリストへの個人的な畏敬の念もあるのだろう。

 俺の声は、ボーカル向きではない。

 だからなおさらに、歌が上手い大葉さんを尊敬し、敬愛するのだ。

 自分がしたくても出来ないことを出来る人は、俺にとっては偉大なのだ。


「俺さ、本当はギターボーカルがやりたかったんだ」

「え……」


 気がつけば、俺は本心を吐露し始めていた。


「でも俺にはボーカリストとしての才能は無かった」

「才能、ですか」


 大葉さんには歌の才能があると、俺は思っている。

 その理由は、ただひとつ。


『君の声には、説得力がない』


 以前、とある音楽関係者に言われた言葉だ。


「説得力、って、どういう」


 まあ分からないよな。言われた俺ですらピンとこなかった。

 大葉さんが分からないのは当然だ。


「聴く人の心に“世界”を叩きつける力、と言っていたな」


 前述のとある音楽業界人の言葉を借りて説明するが、大葉さんはキョトンとしっぱなしだ。

 仕方ない。


「ちょっと聴いててくれ」


 神崎先輩に借りたアコースティックギターを弾きながら、俺はメロディを歌って見せる。


「うわ、上手いです!」

「ありがとう。でも、これじゃダメと言われたよ」

「え、上手いのに、どうして」

「上手いだけ、らしいよ。俺の歌は」


 その人はこうも言った。

 上手いことは、プロになるための最低条件。

 その先は──


「どれだけ人の心を動かせるか」


 ──だと。

 それが出来て、初めてプロへの門が開かれる、と。

 もちろん、突き抜けた歌の上手さも感動の原動力になる。

 が、今はそういう話ではない。


「顔も知らないその人の歌を聴いて、泣いたり笑ったり」


 俺にもそんな力が、心に響かせる力があれば。

 あの頃は思い詰めたな。起きている間は、ずっとそればかり考えて過ごしていた。

 そんな時に見つけたのが、オバケさんが投稿した動画だった。

 興味本位でそのオバケさんの歌を聴いた瞬間、激しく心を揺さぶられて。


「オバケさんの歌に、心を動かす力を感じたんだ」


 その時、俺の目標は決まった。


 いつかプロになってオバケさんと巡り会えた時、隣に立っても恥ずかしくないミュージシャンになろう、と。

 だからこそ互いにプロへ至る前に出会ったオバケさんに、困惑した。

 早い、俺はまだオバケさんと同じステージに立てない、って。

 さらに、その目標だったオバケさん自身の目指す目標がプロではなく文化祭だと知って、軽い失望を覚えたのも事実だ。


 けれどオバケさんの歌に魅了された気持ちは、消えなかった。

 それどころか、もっと聴きたい、もっと知りたい。

 そして、考え始めた。


「だから、俺の頼みを聞いて欲しい」

「え……」


 大葉さんに、オバケさんのために、曲を書きたい。


「大葉さんに、俺が作る曲を歌って欲しいんだ」


 そんな熾火おきびのような見えない炎が、心を焦がし始めたのだ。


「どう、かな」


 大葉さんは、口唇くちびるを半開きに、ぼんやりと俺の顔を見ている。

 ダメ、か。

 考えてみれば当然だ。

 大葉さんは、俺の作曲の能力を知らない。

 そもそも俺が誰かのために曲を書こうなんて、初めてのことだ。

 未知の事柄に、すぐに答えは出せない。

 俺の視線は大葉さんから逃げて、暗い湖畔の彼方を泳ぐ。


「突然で悪かった。答えはよく考えてからで──」

「う、歌いましゅ! 歌わせてくらしゃい!」


 俺の言葉を遮ったその声に振り向くと、大粒の涙を流す大葉さんが、俺を見つめていた。

 え、なんで泣くんだ。

 そんなスイッチ、押したつもりはないんだけど。

 慌ててポケットを探るも、ハンカチなんて気の利いた物はない。


「もう、こんな不意打ち、卑怯です……」


 あれ、俺いま責められてる?

 やはりハンカチくらいは常備しておくべきだったか……え。

 肩に微かな重みを感じる。

 次に訪れたのは、ほんのり甘い匂い。

 そして、温もり。

 肩に、大葉さんの頭が寄りかかっていた。


「ごめん、なさい。心が……喜んじゃいました」


 メガネを外す大葉さんの前髪が、湖畔の夜風に揺れる。

 俺は自制のため、肩に温もりを感じたまま動かずにいる。

 夜空に貼り付いた天の川に視線を泳がせながら。











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