閑話 保護者たちの苦悩


 文化祭二日目、午後一時半。


「──うん、ええ。もうすぐ着くわ」


 通話を終えた数分後、一台のタクシーが文化祭の校門に着く。

 大葉一穂かずほが母校を訪れるのは、三〇年振りだった。


「懐かしいわぁ」

「……何が懐かしい、じゃ。けやきを何年もほったらかしにして」


 一穂の横には、けやきの祖父であり喫茶店のマスター、大葉源二げんじが不機嫌丸出しのしかめっ面で立つ。


「……けやきには悪いと思っているわ。でも、こうして約束は守ったのよ。それだけは認めて欲しいわ」

「ふん。まさかこれであの子への罪滅ぼしになるなど、思うなよ」


 そんなこと、けやきの母である一穂も判っている。

 仕事が忙しいのが理由にならないことも承知だ。


「けやきはな。おまえに自分の声を聴かせたいと言って、インターネットで歌うようになった。歌なら、仕事にかまけるおまえでもいつでも聴けるから、とな」


 一穂の目に涙が滲む。

 声を聴きたいではなく、聴いてほしい。

 こんなにけやきは優しい子に育ってくれた。

 けれどもその子育てを、私は十年近く放棄してしまった。

 仕事は成長し、大きくなり、海外に拠点を持つようになった。

 仕事で世界を飛び回るうちに、私がけやきにしてやれるのはお金で苦労させないことだけと思うようになった。

 今さら言い訳なんてしないし、したくない。

 私がけやきを犠牲にして仕事ばかりしていたのは、事実なのだ。

 そう思って一穂は、けやきから送られた文化祭のパンフレットに目を落とす。

 私たちの高校生時代のような、手作り感満載のものではない。

 デザインも凝っていて、フォントも綺麗。

 今の高校生はすごいな、と一穂は感服する。


「──けやきのバンドは、これね」


 ゴーストリップ、と読むのだろうか。

 さあ、今日はどんな音楽を聴かせてくれるのかしら。

 一穂は自身の高校時代を思い出して、思わず笑みを浮かべた。







 懐かしい体育館。

 かつて一穂も、この体育館のステージで歌った。

 当時のバンド名は「オレンジ・ロード」。

 ギターの男の子が当時好きだった漫画のタイトルだ。

 高校生バンドとして運良くメジャーデビューできたものの、なかなか芽が出ずに二年で解散。

 解散ライブを演った小さなライブハウスは、今はラーメン屋だとか。


「来たのね、一穂」


 懐かしい声。

 時々電話では聴いていたけれど、実際聴くのは何年振りだろう。

 声の主は、中森有紀。オレンジ・ロードでキーボードを担当した、かつての仲間。


「久しぶり、有紀」

「久しぶりじゃないわ。あの子が、けやきが、どれだけ寂しくしていたか。貴女にはわからないでしょうね」


 仲間からの苦言は、心に来る。


「今日のライブは、しっかりと見届けなさい。反省を込めてね」

「わかったわよ。悪かったと思ってる」

「なら、それを態度で表しなさい」


 それだけ言うと、有紀は一穂の隣に立った。


 今の一穂は、数万人規模のライブも扱うイベンターだ。

 日本の音楽を海外に紹介するのも、一穂は自分の使命のように感じている。

 それでも、この体育館は特別だ。


『いよいよ最後のバンドです。今ネットで話題のバンド、ゴーストリップです!』


 バンドのメンバーがステージに出てきた。

 みんな仮面をつけている。


「ああいうのが流行っているのかしら」

「黙って見ていなさい」


 有紀に叱られた一穂は、目と耳をステージに集中させる。


 そして、演奏は始まった──





 ──演奏が終わって、一穂は困惑していた。


 まさか、小さくて可愛いかったあのけやきが、ステージで男子に告白するなんて。

 内気で控えめだったあのけやきが、大胆になったものだ。


「どう? けやきちゃんの歌は」

「……最高よ。でも、けやきに好きな男の子がいるなんて」

「今まで子育てを放棄した罰ね。たっぷり悩んで苦しみなさい」


 一穂は、足早に体育館を飛び出した。

 この感情が何か、わからない。

 嬉しいような、寂しいような。

 しかしこれは有紀の言う通り、自分への罰なのだ。

 仕事ばかりに夢中になって、けやきとの時間に長い空白を作った、自分への罰なのだ。


 一穂が見上げた空は、苦しいくらいに高く晴れていた。



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