第10話 オバケさん許す



 週末の放課後。

 俺は大葉さんに呼び出された。


 場所は、理科室。


「きょ、今日は、お話が、あります」


 そう宣言した大葉さんは、理科室の黒板に文字を叩きつける。


【酒井くん救出対策会議】


 細いチョークの大きな文字は、後になるにつれ小さくなっている。

 それでも肩で息をしながら手についたチョークの粉をパンパンとはたく大葉さんは、どこか誇らしげだ。


 俺は、酒井の状況は自業自得と思っていた。

 何故クラスの連中がいる教室で謝罪したのかは分からないけれど。


 だが大葉さんは、まったく違う考えを持っていた。


「酒井くんの、あの行動は、私や、龍ノ瀬たつのせくんのため、です」


 大葉さんの説明は、こうだ。

 あえて衆目監視の中で俺や大葉さんに謝罪することで、酒井自身が悪いとクラス中に広める目的があった、と。

 その理由として、大葉さんがみんなの前で「俺と用事がある」と叫んだ件をなかったことにする、もしくはその印象を薄めるためである、とも。

 事実、俺と大葉さんの下衆な噂は聞こえてこなかった。


 つまり酒井は。


「今後起きるかどうかも分からない俺たちの噂を、事前に食い止めようと……した?」

「その可能性は、高い、です。意図的かは、わかりません、けど」


 俺は、目の前の少女を見つめる。

 大葉けやき。

 この少女を、俺は知っている。

 いや、知った気になっていた。

 素人とは思えない歌唱力はもちろん承知。

 人前で歌うどころか、話すのも苦手なほど恥ずかしがり屋なことも。

 クラス内での扱いの悪さも知っている。

 長い前髪とメガネの奥の素顔にも、正直見惚れた。

 しかし。


「すごいな、大葉さんは」


 目の前の少女の思慮深さは、初めて知った。


 自分は、音楽にしか興味がなく、音楽しか深く考えない。

 それに対して大葉さんは、あらゆる事に思考を巡らせているのだろう。

 地味なクラスメイトと、ネットの歌姫。

 俺はこの二つの大葉さんしか知らない。

 それでは大葉さんのための曲を書けない。


 ……大葉さんの、曲?


 あれ、そんな約束なんかしたっけ。

 いや、していない。

 きっと俺が勝手にそうだと決めつけていただけ。

 でも、何故。

 ……いや、今は酒井のことだ。


「私は、この配慮と、数日間の反省の様子をもって、酒井さんを、許します」

「大葉さんは、それでいいのか」


 配慮は分かった。納得も出来た。

 しかし、大葉さんを交渉の道具として扱い、傷つけようとした罪は、どうなる。


「いいのです。だって今回の件で、龍ノ瀬たつのせくんには、何も被害はなかった、ですから」


 ちょと待って。


「大葉さんは、酒井の何に怒っていたんだ?」

「もちろん、酒井くんが龍ノ瀬たつのせくんに迷惑をかけたこと、です」


 驚いた。そして、呆れた。

 自分に害意を向けられたことは、どうでもいいと云うのか。

 なら、俺が怒っていたことって……なんなんだ。


「……そうか。大葉さんがそれで良いなら、俺は構わない」

「なら、行きましょう」

「行くって、どこへ」

「第二音楽室、です」


 え、なになに。

 理科室の次は音楽室?

 校内マジカルミステリーツアーなの?

 しかし理科室や音楽室を自由に使えるとは。

 大葉けやき、見かけによらず権力者なのか?








 第二音楽室に入ると、酒井が立っていた。

 そして俺たちの姿を見るなり、


「すまなかった」


 土下座を始める。

 突然の土下座にオロオロする大葉さんの前に立った俺は、酒井に語りかける。


「あー、もういい。大葉さんは許すと言っているから」

「でも龍ノ瀬たつのせは……」

「俺は怒っていない。ただ、卑怯な奴と敵対する奴には容赦しない、それだけだ」

「ダメです、龍ノ瀬たつのせくん。顔が、怒ってますよ」


 いつの間にか俺の横に立つ大葉さんは、間近で俺の顔を覗き込んでくる。


「ち、近いから」

「ダメ、です」

「やめ、」

「スマイル、です」


 離れようとすると俺の腕を掴んだ大葉さんは、さらに距離を詰めてくる。

 やばいやばい、いい匂いが、あと柔らか──


「な、なあ……本当に付き合ってない、のか?」

「付き合ってない!」

「まだ、です!」


 俺は全力で否定する。

 ところで大葉さんや、何がまだなのでしょうか。


「そ、そうなのか」


 土下座の態勢をキープしたまま、酒井は俺たちを見上げる。


「とにかく俺はもう怒ってないし、大葉さんも寛大な心で許すと言っている」

「でも」


 再び酒井は土下座のまま顔を俯かせた。


「オレは、軽い気持ちで大葉さんをネタにして、龍ノ瀬たつのせを困らせ、怒らせた。それは事実だ」

「だからその件はもういいって」

「ダメだ。オレはバカでお調子者だから、体に叩き込まれないと分からねえ」


 酒井の口ぶりから、こういうことが過去にもあったのだと推測できた。

 そして、そんな自分を恥じている。

 だから酒井は、罪に対する罰を求めているのだろう。

 俺は大葉さんと顔を見合わせて、どうするべきか思案する。

 そこで俺は、ひとつ思いついた。


「大葉さん、酒井への罰は俺に任せてくれないか」

「いいです、けど。叩いたり、蹴ったり、縛ったり、襲ったりしたら、ダメです」


 叩く蹴るまでは理解できる。だが、縛る襲うは別の次元の話じゃないのか。

 ちょっと大葉さんの趣味趣向が心配になってきた。


「大丈夫だ、暴力はしない」

「なら、お任せ、します」


 首肯をひとつ大葉さんに返して、俺は土下座継続中の酒井の前にしゃがみ込む。


「酒井、俺がひとつ、罰を与えていいか?」

「……ああ、思いっきりやってくれ」


 覚悟を見せる酒井に、俺は頷く。

 実は、数日に及ぶ酒井に対するクラス内の無視で、酒井の罰は終わったと納得しようとしていた。

 が、当の酒井は納得しない。

 ならば。


「酒井、お前のベースは……ゴリゴリのマッチョ、だったか」

「ゴリゴリのチョッパー、だけど」

「なら、俺たちはこれから酒井を、ゴリチョと呼ぶ。それが罰だ」

「へ?」


 呆気にとられる酒井を立ち上がらせて、右手を差し出す。


「え、それ、だけ?」

「そうだ。これからよろしく、ゴリチョ」

「あ、ああ、こちらこそ……?」


 腑に落ちない表情を浮かべる酒井改めゴリチョは、恐る恐る俺と握手を交わす。

 酒井改めゴリチョよ。

 お前はこの罰の真の恐ろしさを、まだ理解していないようだな。

 だが安心するがいい。すぐにその片鱗を体験できるから。

 その俺の考えを汲んだのかどうか、大葉さんも酒井改めゴリチョの前に立つ。


「これから、よろしく、です。ゴリチョ、くん」

「え、は、あ、よ、ろしく……」


 どうだゴリチョ。

 はにかむような笑みを浮かべた大葉さんにゴリチョと呼ばれる気持ちは。

 思春期真っ最中の男子には、さぞ恥ずかしいだろう。


「じゃ、あらためてよろしく、ゴリチョ」












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