第11話 オバケさんとゴリベース



 俺と大葉さんは酒井を許し、罰としてゴリチョと呼ばれる十字架を背負わせた。

 その翌日である。


 教室に入ってきた酒井改めゴリチョに、俺から朝の挨拶に向かう。


「おはよう、ゴリチョ」


 酒井改めゴリチョ──もうゴリチョでいいか。

 ゴリチョは面食らった顔をしている。


「お、おはよう」


 どうにか挨拶を返したゴリチョには、新たな試練が待っている。

 自分の席に着いたゴリチョに忍び寄るのは、大葉さん。

 深呼吸をして、決意の表情を固める大葉さんは、少し大きな声を発した。


「お、おはよう、ゴリチョ、くん!」


 途端にゴリチョの席の周辺が静かになる。

 そして、呟きが聞こえてきた。


 ──ゴリチョって、なに?

 ──恥ずかしいあだ名だなw

 ──ゴリラなん? 野生なん?

 ──でも、ピッタリかも


 よし、成功だ。

 最初は小さな波紋でいい。

 やがてその波は、クラスに染み渡るだろう。

 と思っていたのだが。


「おいゴリチョ!」


 昼休みには、クラス中にゴリチョと呼ばれていた。

 元々チャラい嫌われキャラだった酒井の恥ずかしいあだ名に、みんな飛びついたようだ。







 その日の放課後。

 またしても大葉さんに集合をかけられた。


 場所は、いつもの第二音楽室。

 大葉さんと初めて歌った場所であり、昨日ゴリチョが誕生した、つまり聖地だ。違うか。

 違うといえば、今日のメンバーには、大葉さんと俺の他にゴリチョもいるのである。

 バツの悪そうなゴリチョを捨て置いて、大葉さんに目を向ける。

 大葉さんは黒板の前に立ち、既視感溢れる動きで黒板に文字を走らせた。


【ゴリチョくんオーディション会場】


 文字で書かれたのが恥ずかしいのか、ゴリチョの顔は真っ赤だ。


「これから、ゴリチョくんに、ベースを弾いて、もらいます」

「え、ベース持ってきてない、けど」


 驚いた顔を見るに、ゴリチョも聞かされていなかったようだ。


「第二音楽室の備品で、我慢して、ください」

「え」

「許可は、取って、あります」


 おお、心なし大葉さんが堂々としている。

 意外と場を仕切るタイプ、なのか。

 大葉さんは備品のエレキベースを高々と持ち上げて、ちょっとよろける。

 その姿に思わず笑いそうになるも、大葉さんに睨まれて飲み込んだ。


「ベースは、重い、のです」


 すまん、知ってる。

 ベースも少し触ってたから。


「つか、ベースだけで弾いてもらうのか?」

「大丈夫、です。ピアノが、あります」

「そのピアノは……誰が弾くんだ?」


 そこで大葉さんはハッとする。

 そして、面倒な予感が大葉さんの潤んだ瞳から押し寄せてくる。


「た、龍ノ瀬たつのせくん……」

「分かった、弾くから。そんな顔すんな」

「あ、ありがとう、ござい、ます」


 申し訳なさそうな大葉さんに笑顔が戻ったところで、俺は渋々という顔を作って、ピアノの前に座る。


「ウドっちって、ピアノも弾けるのか」

「とりあえず音を出せる程度にはな」


 俺は準備運動よろしく、適当に弾いて見せる。


「お、けっこういけるじゃん!」

「褒めるな。本職には遠く及ばない」


 穏やかな空気が音楽室に流れ始める。

 ゴリチョも大葉さんに渡されたベースのチューニングを始めた。


「で、何を弾けばいいんだ?」

「え」


 ゴリチョのその言葉で、大葉さんが固まった。


「ふ、譜面……用意、し忘れ、ました」

「オーケーわかった、そんな泣きそうな顔するな大葉さん」


 またしても瞳を潤ませる大葉さんに応えて、俺は黒板にギターのコードを羅列していく。


 Fmaj7 E7 Am7 C7


「え、それって……」


 ゴリチョは気づいたようだ。

 チョッパー弾きには少々意地悪なコード進行に。

 このコード進行は、1980年に「クリスタルの恋人たち」と和訳された曲の、基本的なコード進行だ。

 原曲は静かな大人の曲で、ややスローなテンポ。

 今の流行の音楽とは一線を画す名曲だ。


「丸サ進行じゃん!」

「は?」

「けっこう有名だよな!」


 なんだ丸サって。

 何故かテンションが上がるゴリチョに違和感を覚えたけれど、まあいい。


「これをメトロノームに合わせて32小節、あとは流れ、でいいか?」

「おっけーどんと来い!」


 どうやらゴリチョはやる気だ。

 さて、あとは大葉さんが気づいてくれるか、だけど。

 実はこの曲、大葉さんちの喫茶店のポスターで見た曲だ。

 有名な曲だから、歌詞を知っていても不思議ではない。

 この場を作ったのは大葉さんだ。意地でも巻き込んでやる。

 ピアノの上のメトロノームをテンポ100に合わせ、振り始める。

 同時に俺もピアノでコードを弾き始める。


「4小節後から入るぞ」

「おしっ」


 緩やかにコードストロークから弾き始めると、雰囲気を察知したのかゴリチョのベースは大人しい。

 が、しっかりと下を支えてくれる。

 というか、上手いな。

 適当に弾く俺のピアノに、しっかり合わせてくる。しかし意図的に音の隙間を作れば、ちゃんとそこを埋めにくる。

 ピアノとベースだけなのに、厚みがある。

 そこで大葉さんが気づいたのか、ソワソワし始めた。

 俺が目線を合わせて頷くと、大葉さんの英語のボーカルが走り出す。

 ゴリチョは不思議な顔をしているが、構わない。

 少しずつピアノにアレンジを加えてやると、ゴリチョもそれに応えようと追随し、時に先読みして追い越してくる。


 なんだ、マジで上手いじゃないかよ。


 そして32小節を完走した俺たちは、余韻に浸る。


「……楽しかったぁ」


 大葉さんが笑顔を溢す。

 ゴリチョは物足りない顔をしているけれど、今は我慢してくれ。


「どうだった、大葉さん」

「すごく歌いやすくて、すごく楽しかった、です」

「ゴリチョはどうだ?」

「いや、なんていうか……大葉さんの歌にびっくりした」


 そうだろそうだろ。


「動画で聴く感じとは違って、すごく大人の雰囲気でさ」


 は?

 ちょっと待て。


「ゴリチョ、大葉さんの正体を知ってたのか?」

「いや、今気づいたんよ。オバケさんだろ。声はオバケさんだったけど、動画より表現がすごくてさ」


 語り続けるゴリチョだが、大葉さんにとっては目の前で褒めちぎられる羞恥プレイだ。

 案の定、顔を真っ赤にして俯いてしまう。


「え、オレなんか失礼なこと言った!?」

「いや、そうじゃないよ。な、大葉さん」


 俯いていた大葉さんは、少しずつ顔を上げる。

 そして。


「はい、嬉しい、です」


 その瞬間、笑顔の花を咲かせたんだ。

 そして、オーディションの結果発表は。


「ゴリチョ」

「……はい」


 ゴリチョはいつものチャラさを消して、俺を見る。


「ミーティングに参加できる日を教えてくれ」

「え、じゃあ……」

「ああ」


 ゴリチョの表情がみるみる溶けていく。

 そして、


「やったぜ!!」


 体いっぱいに喜びを表した。


「おう、頼むよ。サポートメンバー」

「任せとけ……え、サポート……?」

「当然だ。もともとこれは大葉さんと俺のユニットだからな」

「そんなぁ……」


 この時のゴリチョの情けない顔を、俺はきっと忘れない。


 しかしまたひとり、ステージ上での大葉さんの味方が増えた。

 というか。

 あとドラムがいれば、バンド組めるじゃん。

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