第30話 オバケさんと街ぶら

 



 夏休みの最終日の夕暮れ。

 場所は隣街の中心、青葉通り沿いのカフェ。

 俺はアコースティックギターのケースを傍らに立て掛けて、アイスコーヒーを飲んでいた。


「お、お待たせ、しました」


 小走りで現れたのは、いつもと同じネズミ色のパーカー。そのフードで顔を隠した大葉さん。

 足元はショートパンツで涼しげだが、肩に大きなトートバッグを提げた大葉さんは、汗をかいていた。

 そりゃ暑いよな。

 上半身重装備だし。


「ちょっと休んでて」


 言い残して席を立った俺は、カウンターでドリンクを注文する。

 さすが大手のカフェだ、出来上がりが早い。

 そのカップを持って戻り、大葉さんに渡す。


「あ、ありがとう、ございます」


 そう言いながら慌てて財布を出す大葉さんに苦笑しつつ、俺はやんわりと言う。


「いい、飲んでみて」


 固まる大葉さんに再度促すと、ストローを口に含んで控えめに吸う。


「え、おいしい、です」

「ハチミツを入れてもらった」


 ハチミツは喉に良いし、栄養価も高い。

 これから歌う予定の大葉さんにはピッタリの食材だ。

 今日の予定は、路上ライブ。

 大葉さんの歌と、俺のギターだけ。


「で、今日は夜になったら二曲やろう」

「え、でも、まだ五時前、です」

「ああ、ちょっと一緒に行きたい場所があってな」

「え。それって、デ……」


 俺はスマートフォンの画面を開いて大葉さんに見せ……ん?


「どうした大葉さん?」

「い、いえ、なんでも、ないで、す」


 大葉さん、何か言いかけた気がしたけれど、何でもないのか。

 言いたいことは言ってしまう方が楽になるのに。


「ここだ」


 スマートフォンに表示したのは、とある場所の地図だ。


「ビル……ラーメン屋、さん?」

「今は、な」


 地図に示されたビルが建つ場所には、かつてライブハウスがあった。

 その名を、ライブハウス・オレンジ。

 その昔、デビュー前夜に解散した、当時この界隈で伝説となったアマチュアバンドの名前から取ったらしい。

 子供の頃の俺は、そのバンド「オレンジロード」の最後のライブで、音楽の力を知った。


「そう、なんですね」

「でも無理にとは言わない。俺の思い出、というだけだし」

「いえ、行ってみたい、です」

「悪いな、付き合わせて」


 大葉さんと話しながらカフェを出て数分で、ライブハウス・オレンジの跡地に着いた。

 そこにあるのは、あの頃よりも高いビル。

 そしてライブハウスがあった一階には。


「ラーメン屋、だな」

「とんこつ、ですね」


 ビルも建て替わったようで、俺の中の記憶とは景色が違う。

 が、その時。


 ぎゅるるるる


 俺ではない、お腹の鳴る音が。


「……どんな味、なんだろうな。ここのラーメン」


 俯いてパーカーのお腹を押さえる大葉さんへのフォローのつもりだったが、なんか違ったな。


「……気になる、んですか?」

「ああ、すごく気になる」


 何もなかったように俺を見上げる大葉さんに、少し笑いそうになるのを我慢して答える。


「わ、私もちょうど、気になっていた、んです」

「なら、食べていくか」


 ラーメン屋を指差した途端、大葉さんは満面の笑みを浮かべて、すぐに気取ったように目を逸らす。


「し、仕方ない、ですね。入りましょう」


 少し頬を赤らめ、ぽしょりと呟く大葉さんに、正直グッときた。

 しかし、どうしたのだろう。

 夏の合宿から、大葉さんは劇的に可愛くなった。

 いや、初めて会った音楽室の時も可愛いかったのだが、そこからさらに可愛さが増幅された気がする。

 成長期かな。

 ラーメンは美味しいとんこつで、大葉さんは俯いて替え玉を頼んでいた。

 気に入ってくれたようで何よりだ。




 青葉通りとか青葉シンボルロードとか、いろいろ呼ばれているが、静岡市の中心には青葉という地名、町名はない。

 昼間はB級グルメとかのイベント等に使われる場所だが、日が暮れると若者たちが集まる場所になる。

 頻繁に弾き語りをする人もいたりして、それがけっこう上手かったりする。


 だが、今夜主役になるのは俺たちだ。


 青葉通りを横切る、呉服町通りと両替町通り。

 その間に位置するブロックで、俺たちは準備を始めた。

 俺はキャップを目深にかぶり、大葉さんはいつものパーカーのフードで鼻まで隠す。

 ふたりでベンチに腰掛ければ、準備は完了。

 アコースティックギターを右の太ももに乗せて、大葉さんに合図。

 大葉さんが頷けば、それがスタートのサインだ。


 ギターの弦を弾き、胴を叩く。

 よくストリートミュージシャンがやる、スラムという奏法だ。

 カッティング中心のギターに、胴を叩いてビートを刻む。

 叩くのに邪魔だからピックは使わない。

 専門家じゃないから上手くないし、刻めるビートのバリエーションも多くはない。

 が、なんとか伴奏にはなっていると思う。

 大葉さんの歌が入ると、曲の印象はガラリと変わる。

 ただのカッティングとリズムに、歌詞と旋律、そして気持ちが乗る。


 最初は足を止めて聴く人はいなかったが、二曲演り終える頃には二十人以上の聴衆が集まってくれ、演奏を終えると拍手までしてもらえた。

 はじめてにしては、上出来ではないか。

 大葉さんも、目の前の観客の反応が見られて楽しかったと言っていた。

 何より大葉さんの歌声は、合宿の練習で見せてくれたそれ・・に近かった。


 この夏の合宿、そして今日のストリートライブで確信したことがある。

 正しい表現かは不明だが、いわゆる憑依型のボーカリストだ。

 曲の世界に入り込んで、その曲や歌詞に込められた感情を大葉さんは増幅して歌に乗せる。

 時に繊細に、時に大胆に。

 喜び、楽しさ、悲しみ、怒り。

 それら曲に内包された感情を、まるで自分自身の感情のように歌う。

 大葉さんはギターやベースの増幅器アンプのようなボーカリストだ。

 

 職人型の俺とは真逆の存在だが、だからこそ俺は大葉さんに惹かれたのだ。

 だがその大葉さんの能力は、未だ未知数とも感じる。

 神崎先輩は言った。

 大葉さんのパフォーマンスを最大に引き出せるのは、俺だと。

 その真意は今でも測りかねるが、それが真実ならば。


 俺は大葉さんのことをもっと知りたい。知らなけれればいけない。

 彼女が何をどう感じて、何を思うのか。

 そこにヒントはある気がする。

 

 秋とはいえない暑い街を吹く風が、俺と大葉さんを一緒くたにして、熱と湿気を残して去っていく。

 妥協はしない。

 大葉さんが持てる力をすべて歌に乗せられるように、今日も俺は考える。

 

 帰り道。

 並んで歩く大葉さんが、小さく呟く。

 

「また、やりたい、です」


 雑踏に消えそうなその小さな声に、俺は頷く。

 どんなに小さな声でも、聞き逃したくない。

 もっと大葉さんを知りたい。

 だからきっと。

 俺は明日も大葉さんのことを考えるのだ。

 


        第2章 了







※明日からの投稿時間は、お昼の12:30とさせていただきます。

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