第54話 俺の歌姫オバケさん




 時刻は午後五時過ぎ、青かった空は薄暮に差し掛かっていた。

 いくら文化祭のあとだからといえど、もう学校は閉まっているだろう。

 というか。忘れ物ってなんだ。

 明日、は文化祭の代休か。なら明後日ではダメなのか。

 そんなことを考えながら、走る、走る。



 高校の正門に着いた。

 門は、まだ開いている。

 俺は大葉さんを探すべく、人気ひとけのない校内へと足を進める。

 茶町の話では、大葉さんは「忘れ物を学校に取りに行く」と言ってカラオケを抜け出したと言っていた。

 さて、どこかな。

 メッセージで聞こうかと思ったけれど、やめた。

 大葉さんなら、きっとあそこに行くはずだ。

 リノリウムの廊下を、速足で歩く。

 目指すは、第二音楽室。

 今日、忘れ物をしたのなら第二音楽室だ。


 ──声が、聞こえる。

 歌だ。

 しかもこの曲は、あの時と同じ。

 自然と足が速くなる。

 行かなきゃ。早く行って、弾かなきゃ。

 この夕闇に侵される学校。

 ひとりで歌わせるなんて、ダメだ。


 ──Fly Me to the Moon


「大葉さん」


 暗い第二音楽室。

 俺の声に、人影は歌うのをやめて振り向いた。


龍ノ瀬たつのせ、くん」

「ピアノ、弾かせてくれ」

「は、はいっ」


 俺と大葉さんは、暗い音楽室で心行くまで歌い、弾いた。






 薄闇が覆う道を、大葉さんと並んで歩く。

 秋の名残りと冬の気配を感じながら、俺たちは無言で進む。

 俺にとっては心地よい静寂だけど、大葉さんはどう思っているのだろう。


 たどり着いたのは学校近くの公園。

 スマホには田中や茶町から何度もメッセージが来てるけど、今さらカラオケに戻る気分じゃないし、それよりも大事なことが目の前にある。

 かれこれ二十分ほど、俺と大葉さんは無言のままで並んで座っている。

 といっても、ベンチの端と端。

 大葉さんとの間には、北風が運んできた肌寒さと、沈黙だけが充満していた。


「ごめんなさい」


 沈黙を破ったのは、大葉さんの呟きだった。

 でも、なんで謝罪?


「私、舞い上がって」


 え?


「自分ばっかり、気持ちを、押しつけ、て」


 いや、俺も。


龍ノ瀬たつのせくんの気持ち、考える余裕、なくて」


 だから俺も大葉さんが。


「なのに、自分ばっかり」


 そうだ。

 今さらだけど、気がついた。

 俺は、大葉さんの告白を聞いた。

 だけど大葉さんには、俺の気持ちは伝えていなかった。


「ストップ、大葉さん」


 俺は、大葉さんの話をぶった斬る。


「まず、前提だけど」


 まさか人生で初めての告白が、こんな感じになるとは思わなかったけれど、今は気持ちを伝えない限り、これ以上の相互理解は叶わない気がした。


「俺は、大葉さんが、好きです」

「え、え」

「ずっと好きで、大好きで、もう、どうしたらいいか……」


 好き、と言葉にした途端、大葉さんへの気持ちが溢れて止まらない。


「……そう、なの?」

「ああ。でも俺は、大葉さんと約束したから。文化祭のステージに立たせるって。俺の伴奏で歌ってもらうって。だから、我慢してた」


 これ、めちゃくちゃ恥ずかしいな。

 情けない心情を曝け出しているだけ。

 全然カッコよくない。

 そして俺は、さらに情けない本音を吐き出そうとしている。

 

 俺には、それしかできないから。


「大葉さんに嫌われて、目標が果たせなくなるのが嫌で……いや違うな」


 口に出して、違うと気づいた。

 遠くの空にはすでに夜の闇が訪れている。


「ただ、大葉さんに嫌われたくなかった。幻滅されたくなかったんだ」


 本当に情けない。

 バンド練習の時には、あんなに偉そうにアドバイスとかしてたのに。

 相手に自分の気持ちを伝えるって、こんなに怖くて心細いものなのか。

 さっきまで心地よかった僅かな沈黙にすら勘繰ってしまう。

 大葉さんの呼吸の音が、吹き去った風の隙間から聞こえる。


「わ、私も、同じ、です。龍ノ瀬たつのせくんともっと、一緒にいたくて、でも、嫌われるのが、怖くて」


 俯く大葉さんは、決して俺を見ない。

 けれど大葉さんは、きっと今俺が感じている以上の怖さや心細さを乗り越えて、歌にして伝えてくれたんだ。


「だから、嫌われてないって、それだけでも、嬉しい、のに。龍ノ瀬たつのせくんも、好きでいてくれた、なんて」


 ベンチの端で、大葉さんが顔を上げて、こちらを見る。

 日が暮れた公園、頼りはベンチの脇の外灯のみ。

 その頼りない灯に照らされた大葉さんは、泣きながら笑っていた。


「生まれてきて、生きてきて、歌ってきて、よかった、です」


 大葉さんは、涙と笑みを湛えたまま、俺を見つめる。

 そんな大葉さんを見た瞬間、俺の中の何かが外れた。

 思いっきり大葉さんを引き寄せて、両腕でガッチリホールドする。

 もう、誰にも大葉さんを渡したくない。

 ぜんぶ、独占したい。


「あ、あの……もしかして私、今、抱きしめられて、ます?」

「ごめん……嫌ならすぐ離れるけど」

「嫌じゃないから、嬉しいから、困ってるん、です」


 拗ねたように呟く大葉さんの耳は真っ赤で、熱を持った吐息が俺の理性を吹き飛ばしそうになる。

 互いの鼓動が響き合いそうなくらいに強く抱きしめると、大葉さんはふふ、と笑う。


「なんか、私が私じゃ、ないみたい……」

「そう、だな。なんか、体ぜんぶがふわふわしてる」


 大葉さんの腕が、俺の腕の下から背中に回される。


「このまま、飛んで、いっちゃいそう」

「それは困る。せっかく両想いだとわかったのに」

「はい。ですから、しっかり、掴まえていて、ください、ね」

「頑張る。俺も一緒に飛んでいかないように……しかし」


 俺に顔を見上げる大葉さんの瞳は、眼鏡の向こうで揺れている。


「どうかしました?」

「俺さ。自分がこんなに独占欲が強いとは、思わなかった」


 情けなく、恥ずかしい吐露だ。

 俺の理性なんて、どこかに旅立ってしまったらしい。


「笑顔も声も、大葉さんのぜんぶ丸ごと、誰にも渡したくない」


 なんとも幼稚な考え。

 大葉さんには大葉さんの歩んで来た道があり、そこで構築された世界がある。

 それは俺も同様で。

 なのに……なんて考えていると、俺の背中にぎゅっと触る感触が。

 その感触はさらに力を込めて、俺の背中を掴んだ。

 耳元で、大葉さんは呟く。


「独占、して?」

「いいのか」


 俺の腕の中、大葉さんは小さく頷いた。


「俺、嫌われないかな」

「え?」

「怒られたら、謝る。泣かれるのは、困る。でも、嫌われたくない。嫌われるのが、拒絶されるのが一番怖いんだ」

「だ、大丈夫、です。怒ったり、泣いたりは、する、かも、だけど」


 腕の中の大葉さんは、大きく息を吸い込んで、叫ぶ。


龍ノ瀬たつのせくんを嫌いになることだけは、絶対にありませんっ!」


 言い切られてしまった。

 しかも、絶対?

 世の中には、絶対なんてない。


「──世の中には絶対なんてない、って、思ってる、でしょ」

「え?」

「私も、そう思ってる、から。でもね」


 眼鏡の奥の甘い瞳が、大きくなった。


「私は、龍ノ瀬たつのせくんが、絶対、ずっと、好き。それだけは、自信が、あるの」


 絶対なんて、どこにもない。

 その考えは、たぶんこの先も変わらないと思う。

 けれど、大葉さんの絶対だけは、信じてみたくなった。


 大葉けやきの、ネットの歌姫オバケさんの歌は、俺の絶対だから。


「ところで大葉さん。なんでこんな時間に忘れ物を取りに?」

「あ」

「言ってくれたら、俺も一緒に行ったのに」

「あ、あの、ね」

「ん?」


 腕の中、もぞもぞと大葉さんは身じろぎする。


「ふたりっきりになりたかったけど、言えなくて」

「……それだけ?」

「それだけだけど……わがまま、かな」


 どっぷりと日が沈み切った世界は藍色に包まれて、もう大葉さんの顔もよく見えない。

 けれど、確かに大葉さんは此処にいる。

 俺の腕の中で呼吸をしている。

 そのリズムに引き摺られるように、だんだんと俺の呼吸も大葉さんの呼吸と重なっていく。

 しかし、カッコ良い言葉は出てこない。

 どうやら俺の思考は止まってしまったようだ。

 頭の中のフィルターが機能しない俺は。


「……結婚したい」

「ふぇっ!?」


 ついうっかり本心が溢れてしまった。

 








 ※本日18:30、19:30に1話ずつ投稿します。

  それの2話を最終話とさせていただきます。

  最終話なのに2話あるのは見逃してください。


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