第13話 オバケさん、はじめてのスタジオ

 




 あっという間に一学期は終わり、夏休みを迎える。


『着きました』

『着いたぜ、てか暑ちぃ』


 盛夏、午後二時。

 県内楽器店の大手、神崎楽器が経営する「ミュージックスタジオK 」の前には既に二人が立っていた。

 今日の目的は、大葉さんに生演奏に慣れてもらうこと。

 録音された音源とバンドの生音では、同じ構成同じ曲でもまったく勝手が違う。

 それに合わせて歌うとなれば、なおさらだ。


「お待たせ」

「おう、待ったぜ。あちぃぜ」

「こ、こんにちは、龍ノ瀬たつのせ、くん」


 社交辞令を知らない、チャラいゴリチョはさておき。

 大葉さんの私服に目が止まる。

 いつか見た大葉さんの部屋着と同じ、ネズミ色の大きなパーカー。

 それ、どう考えても暑いよね。

 あと普段着のパーカー率が高い。

 まあ、大葉さんにとっては自分を守る鎧みたいなもの、か。


「今日は気合いを入れて、早起き、しちゃいました」


 対するゴリチョは、黒のTシャツに膝丈のゆったりハーフパンツ。背負うベースのケースのポケットにはペットボトルが押し込まれている。


 かくいう俺は、白いシャツにチャコールのチノパン。背中にはテレキャスター。

 この統一感のない集団を見て、同じバンドと思う奴はいないと思う。


 まあ、服装はどうでもいいか。練習だし。


「じゃ、入ろうぜ」


 なぜかサポートメンバーのゴリチョが先陣切って貸しスタジオのドアを開ける。


「ふいー、涼しい。生き返るぜ」


 それに続く俺と大葉さんに、スタジオ内にいた男たちの目が集まる。

 ヒソヒソと声がするが、気にしてはいられない。

 大葉さんは、やはり固まっている。

 大丈夫、の意味で肩に手を置くが、触れてしまったことに今更ビックリした。

 俺がドキドキしてどうする。


 ゴリチョは、レンタルしたスタジオブースに走っていった。


「ま、今日は気楽に楽しもう」

「……はい、お願いします、ね」


 周囲の目が鋭くなった気がするが、気にせず大葉さんを伴ってスタジオブースへ。

 重く厚い二重ドアを開けると、早くもゴリチョは備え付けのアンプにベースを繋いでいた。

 弾いていいか、まだか。

 そんなソワソワ顔のゴリチョを見て「待て」をされている犬みたいだなと少し和む。


「今日はこれを使って練習しよう」


 俺はギターケースのポケットから小さな機械を出して見せる。

 首を傾げる大葉さんの向こう、ゴリチョが叫ぶ。


「お、リズムマシンか!」


 正確には、めちゃくちゃ小さなシンセサイザーだ。

 俺たちにはドラムパートがいないので、コイツにドラムパートを数種類、打ち込んできたのだ。


「生音とは違うけど、雰囲気は出るだろ」

「いい、ウドっちナイス!」


 ゴリチョのテンションはすでにマックスだ。

 てかウドっちってなんだよ。ゴリチョと呼ばれることに対する報復か。

 かたや戸惑う大葉さんに簡単な説明をしながら、すべてのスタンバイを済ませてしまう。


「おお、やっぱ慣れてんな」

「ここは三つ前のバンドで何度か来てるからな」


 ギターアンプのゲインを調整しながら応えると、大葉さんが俺のシャツの背中を引っ張ってきた。


「あの、あれが、マイク、ですか」


 大葉さんの指差す先には、四角いコンデンサマイク。


「ああ、カラオケのマイクとは形が違うけど、こっちの方が高性能だ」


 もちろん値段も格段に高い。

 マイクをスタンドに差してスイッチを入れると、ボゥン、と特有の音がスピーカーから響いた。


「とりあえず今日の目的は、慣れること。あと、楽しむことだ。じゃあ二時間、たっぷり演ろう」


 電子音のドラムを流して、ゴリチョに目を向ける。

 頷くゴリチョは、適当にベースを鳴らす。

 それに合わせて、俺もテレキャスターをかき鳴らす。

 適当に一分ほど弾いて、ウォーミングアップ終了だ。


 大葉さんを見ると、案の定固まっていた。


「すごい……です」


 固まってはいるけれど、大葉さんの瞳はキラキラして見える。


「なに言ってんだ大葉ちゃん、イチバンすげーのはオバケさんの歌だぜ」

「間違いないな。さあ、どの曲を演ろうか」


 大葉さんに楽譜をいくつか見せる。


「じゃあ、これ、を」


 さあ、俺たちの初バンド活動、開始だ──




 ──スタジオからの帰り道。


「ダメダメ、でした……」


 大葉さんは俯いて歩いていた。

 俺とゴリチョは、その大葉さんの後ろを歩く。


「家で歌う時はもっと……」

「家とは違うよな、音の跳ね返りも違うし」


 ゴリチョがフォローするが、その通りだ。

 スタジオに限らず、音の反響というのは感覚を狂わせる時がある。

 それ以外の環境の違いも影響する。

 自分の家では、自分のタイミングで歌える。

 しかしバンドは違う。

 人が作り出すタイミングに歌い出しを合わせなければならない。

 リズムが走ったりモタついたりして上手く歌えなかったのは、そのせいだろう。


「なあ、大葉さん」

「は、はい」

「文化祭って、いつだった?」

「じゅ、十一月、です」

「そうだな。今は七月、少なくみて、あと三ヶ月もある」

「でも」


 大葉さんは、今にも泣きそうな顔で立ち止まってしまう。


「自転車に乗れるまで、けっこう練習したよな」

「は、はい、そうですね。でも、なんで自転車」


 俺はゆっくりと、説いて聞かせる。


「最初から上手く出来ないのは、当たり前なんだ」

龍ノ瀬たつのせくんも、そう、だったんですか?」

「ああ、そりゃもう酷くて、思い出したくもないくらいだ」

「ご、ごめん、なさい」

「気にすんな。つかそこじゃない」


 苦笑した俺は、一拍置いて話を続ける。


「慣れていないなら、慣れればいい」

「慣れることが出来なかった、ら……」

「慣れないことに慣れればいい」

「慣れないことに、慣れる……ですか」


 当初、俺は誤解していた。

 ネットで歌姫と言われるオバケさんなら、歌は完璧だと思っていた。

 けれど違う。

 大葉さんがオバケさんとして高レベルで歌唱できたのは、そこが自分の場所だったから。

 一番安心できる、慣れ親しんだ場所だから。

 しかし、環境が変わればパフォーマンスも変わる。

 大葉さんは、繊細な普通の女の子なんだ。


「文化祭のステージは、その日だけだ。完全に慣れるのは不可能だ」


 だから、考えた。


「なら、どんな場所、どんな状況でも、慣れないなりに全力を出せるようにする」


 その経験を大葉さんに、オバケさんに積んでもらう。

 今まで大葉さん──オバケさんは、自分の領域の中で歌ってきた。

 その世界を、広げていく。

 そして最終的には、どこでも全力を出せる状態を目指す。

 今日のスタジオは、そのはじめの一歩、なんだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る