第4話 「悪魔」、悩む。


『なぜ、お前が……こんなところに……』


 その言葉が耳に入り、俺の心に最初に浮かんだ何とも言えない感情。



 その名は、郷愁。



 今のは間違いなくだ。

 もう30年以上聞いていない言葉。

 懐かしき、懐かしき故郷の言葉。

 あぁ、俺の祖国の言葉はこんなに柔らかいのだな。


 反射的に浮かんだのはそんな思いだった。


 日本語自体は魔術の術式に組み込んでいたりはするが、他人の口から聞こえた意味ある日本語はまた別だと実感させられた感じだ。



 そして次に浮かんだ感情は、焦燥。


 やらかした!

 ここは気が付かない振りをするべきだった!

 畜生! 聞き慣れない言葉を聞いた外国人の反応を取るべきだった!


 いやまぁ、俺は演技はあまりできないタイプだから、とっさにそんな反応をするのは難しかったとは思うが。

 とにかく、最低でも気付かない振りをすればよかった。


 事も有ろうか俺は、声の主である男へ顔を向け、驚愕の表情を浮かべてしまったのだ。

 対応としては下の下、日本語を理解している人間のそれである。

 予測不可能回避不可能な気がしなくもないが、失点は失点だ。


 男は自身の発言に「あっちゃー」という顔をした後、俺の反応に気付き「お?」と言う表情に切り替わった。

 気付かれた。

 相手も想定外の出来事の筈なのに、俺の表情を観察する余裕があるとは……。



 この男は、間違いなく警戒に値する相手だ。



 しかしもう無かった事には出来ない。

 誰にも話したことが無い俺の秘密を知られてしまった。

 そう思って動くべきだろう。


 男は先ほど「なんでお前がここに」と言った、つまりこいつは俺を知っている。

「ラスボス」である「ヴァサゴ・ケーシー」を知っている。


 俺がここに居る事がおかしいと知っている、日本語話者。


 つまり、こいつも転生者だ。

 それもここが「アルカナ・サ・ガ」の舞台になっている世界だと気付いている手合いだ。


 危険だ。

 極めて危険な存在だ。


 俺は次に取る手段を、早急に選択せねばならない。



 最も手っ取り早く、後腐れの無い手段は「殺害」だ。

 乱暴ではあるが、死人に口なしなのは間違いない。

 

 この世界でも、死者は蘇らない。

 ゲームにあった蘇生アイテムはこの世界には無い。

 だから、死ねば……殺してしまえば、それで終いだ。



 それを念頭に間合いを測る。


 男とその連れらしき女二人との距離は目算で約5m、俺の射程の範囲内である。

 この距離なら、いける。

 瞬きする程の間に、全てを灰にできる。


 彼ら3人の関係性は分からないが、男の仲間と仮定するならば纏めて焼き尽くした方が良いだろう。


 下手に情けを掛けると延々と命を狙われたりするからな。

 勿論、俺にはそういう経験があるから言っている。

 あの時は周りも巻き込んでしまい、多数の死者が出る非常に後味の悪い結果になったものだ。

 だから、後顧の憂いを消すには殺してしまうのが一番手っ取り早い。



 だが、それでいいのか?


 ここが復讐の為の戦場だったならば、俺は躊躇なくそうしただろう。

 仲間達の復讐の為には手段を選ぶ気が無かったからだ。

 復讐の為という「大義名分」があったからだ。


 しかし、ここは戦場ではない。

 この男は、俺の復讐するべき敵ではない。


 あの復讐は、俺が為すべき事だった。

 俺がやらねばならない事だった。

 やらねば、先に進めなかった。


 今の俺の目的は神札タロットを全て集め、この下らない催しを台無しにすることだ。

 二度とこんな事が起きないようにするためだ。


 だが、それを為すのは俺でなくてもいいのだ。


 俺より少ない被害で上手く収めることが出来るのなら、俺の神札タロットを全て渡す事もやぶさかではない。

 自分が最もうまく物事を運べるなどと驕ってはいない。

 そう思う程度には俺は沢山の失敗を繰り返してきた。


 短絡的に目の前の男を消してしまうことで、そういう可能性の芽を摘み取ることになるのではないか?



 僅か数秒であるが、俺は迷った。

 迷ってしまった。


 戦闘中ならば致命的な隙だ。

 戦争中の俺ならば、決して晒さなかった隙だ。

 5年の間、普通に生きる事によって生まれた隙だ。




 【──────めんどくせえ、焼け】


 内なる声が、聞こえる。

 そうだな、それが一番……───



「おじさん、どうしたの?」


「ッ!」


 声を掛けられ、ハッとする。

 燃え盛った炎が雲散霧消する。



 美しく澄んだ緑碧眼が、俺を見ていた。

 困惑と心配に揺れるメアリーの瞳。

 きらきらと輝く、宝石のような瞳。


 そこには、悪鬼のような表情を浮かべた俺が映っていた。 



 って、近い近い近い!


 吐息が当たる距離だったぞ!?

 思わずのけぞる。


「あ、いや……」


 そうだ、メアリーがいたんだった。


 目の前で唐突に人殺しなんてやらかしたら、折角結んだ彼女との協力関係が壊れる可能性がある。

 と言うか、普通に考えて殺人はマズい。

 ここは普通の町で、町で人を殺したらそれは罪だ。

 長年戦場でい来ることで染みついた、ゆるゆる倫理観はなかなか戻らないものだな。


 ……少なくとも彼女の反応が読めない以上、男への対応には慎重になる必要がある。

 うん、初手殺害は無しだな。

 無しだ、無し。

 さらっと殺人という対処法が最初に出る自分がちょっと怖い。



「アマイモン様、どうなさったのですか?」

「おにいちゃんどうしたの? あのオッサン知り合い?」


「あー……」


 見れば向こうもこちらと同じようなやり取りをしている。


 奴の名前はアマイモン、か。

 なんかちょっと聞いたことがある名前のような……。

 まぁいい、ここはひとつ触れずに立ち去り、交渉が出来そうならばなんとか接触しておきたい。


 少なくともすぐに襲い掛かってくるような人物ではないようだし、お互いのスタンスを確認しておくべきだろう。

 ……殺すのは相容れないと分かってからでも遅くはない。

 最初は「話し合い」を試みるべきだろう。 


 交渉とは形を変えた闘争だ。


 出来るだけ有利に立ち回る為に情報を握っておきたい。

 どんな人間で、何を求め、何をするためにここに来たのか。

 ……シトリーに頼んでこの男について探ってもらうか。

 彼女ならば容易い事であろう。


 よし、ならばここはスルーの一手だ。


 そう決めてちらりと視線を送ると、男と目が合った。



 男は俺を見ていた。



 堂々と、疚しい事などないというように。


「あぁ、ちょっとした知り合いなんだ」


 男は連れの二人にそう言って、俺達の方へゆっくりと歩き始めた。

 俺はメアリーを庇うように立ち、警戒するように指示する。


 コイツは間違いなく転生者であり……「神札保持者タロットホルダー」だ。


 何をしてくるか予想もつかない。

 つーか、主人公だけあってやたら美形だな、こいつ。

 やはり消しとくか?


 俺の前に立ち止まった男は大仰に両腕を広げ、親し気な微笑みを浮かべて言った。


「初めまして、ヴァサゴ・ケーシー。俺はアマイモンジローと言う者だ」


 男は俺だけに聞こえる様な小さな声で……日本語で囁く。


『俺はアンタの知らない情報を持っている』


 思わず目を剥く。


 こいつ……!

 そう言われると俺は、目の前の男に対して最も有効な手段を取ることが出来ない!

 話を聞こう、と言う気分になってしまっている。

 もう、今すぐに彼の命を奪うようなことは出来ない。



 これを狙ってやったとするならば……───



「ここは一つ、情報交換といこうじゃないか」



 ──────……油断ならない。



 男は、笑った。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 ◇やっと話が始まった感がありますね。


 ◇ヴァサゴ君滅茶苦茶久々の登場。

  メアリーちゃんのキャラも忘れかけてたぜ!


 ◇もっと更新速度上げたい。

  うう、時間はある筈なんだけどなあ。

  メンタルがこれほど影響するとは……。

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