第21話  Fly Me to 『月』(ザ・ムーン) (前)

 ぐしゃり。


 頭蓋骨を砕かれ、その内部に収納された脳髄が破壊された音が身体に響く。


 本来ならこの時点で、普通の生き物は死を迎える。

 こんなことを考える間もなく、死と言う安息を迎えることが出来る。



 しかし。


 

 ギ……ギ……────


 魔力による急速な再生が始まる。 

 莫大な魔力をつぎ込む事による、強引な肉体再生リジェネーションだ。


 つまり、オレにはその安息は訪れない。



 砕かれた肉体が修復されるまでの僅かな時間、オレはオレを取り戻す。

 おそらくこういう事を考えていられるのは、10秒にも満たない時間だろう。


 あぁ。


 オレは確かに強靭な肉体を願った。


 オレは確かに誰にも殺されない強さを願った。


 オレは何者にも迫害されない強さが欲しかった。



 だが、オレが欲しかったのは、願ったのは、こんな身体じゃない。


 強さの代償が狂気だというのか。

 自由に生きたいとはそんなにも難しい願いなのか。


 ギ……ギ……────ぎちり。


 あぁ。


 戻ってしまう。

 もはやこの身体にとって『狂気に犯された』オレが、『正常なオレ』なのだろう。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……────


 痛い。

 

 苦しい。


 もう嫌だ。



 願いなんて叶わなくていい。


 いつでも好きなだけ人間を喰らいたいなんてもう言わない。


 同族にも会わなくていい、番も要らない。


 ゆるして。


 死にたい。


 死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい……────



 だれか オレを ころしてくれ。


 狂気の 月から 開放してくれ────


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 オレの名はアモン。

 人狼だ。


 誇り高き人狼の最後の生き残りだ。


 もしかしたらこの世界の何処かには同族がいるのかもしれないが、生憎一度も出会ったことが無い。


 過去にはロボと言う名の人狼の王がいたらしいが、同族の内紛に嫌気が刺して何処かへ去ってしまったらしい。


 だから、下手に希望を持たない為にも最後の生き残りと思うようにしている。


 そもそもの話、俺が今まで出会ったことがある同族は父と母だけだ。


 強く大きかった父、優しかった母。

 とてもとても好きだった。

 だが、その父と母はもういない。

 殺されたのだ。


 人間に。


 教会騎士団とかいう連中が突然現れ、街に潜んでいる所を炙り出され殺された。

 オレ達人狼は一人一人の人間よりもずっと強いが、人間の数の力には勝てない。

 人間はオレ達よりもずっと数が多く、知恵がある。

 種族としての優劣をつけるならば、残念ながら人間のほうが上だと認めざるを得ない。


 あの時も満月ならばもう少し違った結果になったかもしれないが、生憎とその日は新月。

 最もオレ達の力が弱まる夜だった。


 アイツらはきっとそれを知った上でオレ達を追い詰めたのだろう。

 やはり父と母が言ったように、人間は恐ろしい。


 二人はその身を犠牲にしてオレを逃がしてくれた。


 思い出すと今でも心が痛む。

 あの時オレが成体だったならば……いや、結果は変わらないか。

 それどころか殺された人狼が3人に増えるだけの話だ。

 流石にそれくらいの認識はある。



 それからオレはずっと一人で生きて来た。


 色々な街のスラムに潜み、飯屋から出る残飯や鼠などの小動物、そしてたまに人を喰らい生きて来た。


 こそこそと、それこそ鼠のように。


 浮浪者や孤児など、街にはいなくなっても誰も気にしない人間はいるものだ。

 あまり旨くはないが、一人で生きていくだけならばそれで十分だった。


 やりすぎて人に気付かれそうになったら、満月の夜まで待って別の街に行く。


 満月の夜ならば人狼は無敵だ、見つかっても全てを殺してしまえばいい。

 逃げるだけなら簡単だ。

 まぁ、派手にやるとその後の食事がやりにくくなるから滅多にそんな事はしないが。


 これだけ抑圧されているのだ、八つ当たりに出会った冒険者を殺すくらいは許されるだろう?


 オレの人生は、ただそれの繰り返しだ。

 あてども無く同族を探し、見つからず落胆し、ヒトを襲い、別の街に行く。


 ただそれだけだ。



 人と関わるのは恐ろしい。

 人里から離れて森の中で暮らす事は何度も考えた。


 だが、人間の街での生活を知っているオレには無理だった。

 雨露を防ぐ家の作り方も知らないし、色々便利な道具を調達する方法も無い。

 何より食べ物の確保が難しい。

 野生の獣だけでは俺の腹を満たせない。


 そもそも人狼は人を喰らわねば正気が保てないのだ。

 なんでこんな生態なんだよ、神様。


 洞窟をひと時の住処にする程度なら可能だが、定住は不可能と言うのが結論だった。


 人と関わらなければ生きていけない。


 哀しいがそれが人狼という生き物だ。



 月が出ていなければ冒険者の一団にすら勝てない。

 実に半端な強さだ。


 あぁ、どれだけ肉体が強靭であろうとも、それだけで繁栄が約束される訳ではないのだ。

 オレはそれを身をもって知った。


 だから、一人ぼっちでこそこそと隠れて生きていた。

 なんの目的も無く、惰性で。




 転機が訪れたのは、オレがそんな将来に対し絶望し自ら命を絶とうとしたその時だった。

 忘れもしない、あの日も満月だった。


 なんとなくその夜は狩りに出る気がしなくて、街の裏にある山から満月を見ていた。


 ふと父母を思い出した。

 大きく強い父、優しい母。

 思い出すのは何年ぶりだったろう?


 生きるだけで精いっぱい。

 見つからないように飯を食う事だけを考える日々。



 あぁ。


 父さん、母さん。

 オレ、何で生きているんだ?



 ふらりと崖に向かい、下を見下ろす。

 そこそこの高さがあり、頭から落ちれば人狼でも恐らく死ぬことが出来るだろう。


 今まで生きて来た日々を振り返る。



 笑っちまうほど何も無かった。



 飯を食い、殺し、逃げるだけの日々。

 図体だけは大きくなったが、あの日から何も変わっちゃいねえ。




 ウォォォォォォォォォォォォン!!!!



 大きく遠吠えを上げる。

 人間に見つかる可能性を考えると普段は絶対にやらない行動だ。



 ウォォォォォォォォォォォォン!!!!



 俺の遠吠えが再び空気を震わせる。


 眼下に見える街に騒ぎが起きているのが見える。

 見る見るうちに街の外壁に篝火が増え、街が防衛体制を敷いているのが分かった。

 まるで水を流し込まれたアリの巣の様だ。


 俺は満足した。

 しょうもない嫌がらせだが、ほんの少しすっきりした。

 今の俺にできるのはこれくらいで精一杯だ。

 せいぜい居もしない人狼の影におびえて暮らせ。



 いまなら俺は人狼として死ねる。

 少なくとも惨めに追い立てられ、一人ぼっちで狩り殺されるよりずっとマシだ。


 やっと楽になれる。



 父さん、母さん。


 ごめんな。



 俺は両親へ謝りながら、崖から空中へ1歩を踏み出し……───










 >すべてを あつめよ。


 >あつめれ ば のぞみ を かなえよう。








 啓示が降りた。


 足を踏み出そうとする動きを止め、呆然とする。



 今のは、何だ?

 気付けば俺は右手に何かを握っていた。


 それは月明かりに照らされ、僅かに銀の魔力光を放っていた。



 神札タロットザ・ムーン


 満月に吼える人狼が描かれたそれは、さっきの言葉が夢ではなく現実であったことを示していた。

 神札タロットから知識が流れ込んでくる。


 オレがやるべき事とオレが出来るようになった事、そしてどうすればいいかという事。



 死ぬのは、一旦止めだ。



 オレは、これを全て揃えて願いを叶える。

 願いなどいくらでもある。

 どれだけの願いが叶うのだろうか?

 幾つでも良いのだろうか?

 直ぐに叶うのだろうか?


 それに、この神札タロットの力もすごいぞ!

 これを持っている限り、満月の力を受けられる!


 これがある限り、オレは無敵だ!

 人間よ、怯えるが良い。

 貴様らの災厄はここに誕生したぞ!!



 あぁ! オレは今、産まれてから一番心が躍っている!

 明日が来るのが待ち遠しい!


 オレはやるぞ、オレはやるぞ、オレはやるぞ!



 ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!



 もう一度、喜びを込めて遠吠えを上げた。



 それが破滅への第一歩だと知らずに。


 ───────────────────


 ◇1章の〆の敵です。

  既にボコられてますけど。

  美少女狼を期待した人はごめんなさい……。

  神札タロットの負の側面を見せるにはうってつけだったので。


 ◇神札タロットザ・ムーン

  絵柄は満月に吼える人狼。

  隠れた敵・幻想・欺瞞・失敗、そして『狂気』


  アモンに与えられた力は「月の墓標ムムムムーンサイド」。

  本来なら見えぬ幻の月を視る。

  もちろん見えぬものを見るのだから、正気ではいられない。

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