第22話  Fly Me to 『月』(ザ・ムーン)(後)





 神札タロットが盗まれた。







 いや、実際に盗まれた所を見た訳ではないのだが、朝起きたら神札タロットが無くなっていた。


 何もしてないのに無くなった!



 ざぁっと血の気が引く。


 あぁ、慣用句としては知っていたけど、これは本当に血の気が引くとしか言いようがない感覚だ。


 今の状況が夢ではなく現実だと理解してしまい、膝ががくがくと震え始めた


 『■■■・■■■■!■■■■■■■■■!■■■■■■■ん!■■■■■■■な!』


 くらりと酷い眩暈に襲われ、思わず尻もちをついてしまう。

 視界がぐるぐると回っていて酷く気持ちが悪い。



 呆然としながらも必死に考える。


 何処かに落としたか?


 そんな馬鹿な。


 ありえない。


 なんで。


 あぁ。


 嘘。



 意味のない行動とは分かっていたが、その辺に落ちてたりしないかな?と考え、半身を起こしてぐるりと辺りを見渡す。


 俺が今いるのは、熊がねぐらにしていた洞窟だ。

 生意気にも子熊を連れていたので、母親をオヤツ代わりに食べてやった。


 子熊は逃がしたが、親の庇護がない子熊は遅かれ早かれ野垂れ死ぬだろう。


 ははは、ざまぁねえなあ!

 ケモノ風情がよぉ!!

 神札タロットがあればオレは熊にだって勝てるんだ!



 ……失くしたんだった。


 ……いや、違う。

 それはどうでも良い。

 いや、良くはないな。


 探せ、探すんだ!


 血眼になり洞窟を探し回る。


 アレが無ければ……アレを失くしてしまったら俺は……俺は!

 またドブネズミの様に、こそこそと町の路地裏で暮らしていくだけの存在に戻ってしまう!


 それは嫌だ! オレはもう、惨めな思いをしたくなんてないんだ!


 探す。

 全てをひっくり返して探す。


 無い。

 やっぱり無い。

 当然のように無い。



 薄暗い寝床には、前日の食べ残しと瓶が転がっているだけだ。


 あるのは饐えた血と肉、そして酒の匂いだけ。



 考えてみたら神札は身体の中にあったのだから、どこかに落とすわけないよな。


 ははは。


 再認識した思考が空転し、視界が歪む。



 ぐにゃぁ。



 あァあぁぁァアアアアあぁアアァァアああぁぁぁぁ!



 慟哭が口から漏れだす。



 そんな…あんまりだよ、こんなのってないよ!


 こんなの絶対おかしいよ!



 酷く気分が悪い。

 昨日食べた物を戻してしまいそうだ。



 いや、吐くな。


 勿体ない。


 腹いっぱいになったんだ、そんな勿体ないことは出来ない。


 神札タロットを失った今、オレはもう……───



 恐ろしい事実に気付きそうになり、必死に誤魔化す。

 考えちゃだめだ!


 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!

 考えては駄目だ!!

 気付いては駄目だ!


 その先にはもう何もないんだ!!!



 『に■■・■■た■!■■■■■■■■■!■■■■■■■ん!■■■■■■■な!』



 ……こんな時は直前の行動を思い返せと母は言っていた。

 例え見つからなくとも頭が冷える、とにかく冷静になることが必要だと。


『坊や、愛しいわたしの坊や。困ったことがあっても慌てては駄目よ? 一旦立ち止まって考えるの。考えて、考えて考え抜くの。考えるのを止めた時、死は迫ってくるものなのよ』


 もう顔も朧げな母の笑顔と言葉を思い出し、少しだけ落ち着く。


 そうだ、焦っても仕方がない。

 事実は事実として受け入れるんだ。

 落ち着け、落ち着いて思い出せ。


 俺はズキズキ痛む頭を押さえ、必死に昨日の記憶を掘り起こしていった。


 昨日は確か……───



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「敵だァァァァァァァ! 総員戦闘配備! 非戦闘員の身柄だけは守れッ!」


「「「「応ッ!」」」


 物資を運ぶ多数の魔導車の護衛達が、武器を構えてオレの前に立ち塞がる。

 なかなかの手練れのようで動きに無駄がない。

 これならばちょうどいいだろう。


 オレはほくそ笑み、連中の命と貨物を奪うために飛び掛かった。



 幾つかの村や町を襲い自信をつけた俺は、大陸物資郵送魔導車群を襲撃していた。


 この魔導車群は都市間の必要物資を運んでおり、教会が運営しているらしい。

 父母からは決して手を出すなと言われていた。


 教会には人狼を炙り出す秘跡があり、見つかったら逃げることが出来ないらしい。


 だが!


 今のオレは違う!(ギュッ)


 神札「ザ・ムーン」がある今ならば、教会騎士団が来ようがきっと皆殺しにできる!

 逃げる必要などないのだ!!




 なので、真正面から襲った。


 結果は大成功。

 その場に残った護衛達を皆殺しにすることが出来た。


 護衛の連中が思いの外粘った為、輸送車をそれなりの数取り逃がしたが、どうせ奪っても大部分は放置するだけだから構わん。


 そもそも物資の調達はついでで、目的はオレの力が通用するかどうかのテストだ。

 多少傷を負ったが、神札「ザ・ムーン」の力により月の下の状態であり、多少の傷などすぐに癒える。


 護衛の死体を貪りながら笑う。



 確信した。

 やはり、今のオレは最強だ。


 どんな名剣より鋭い爪、樹木さえへし折れるほどの膂力!


 これからは怯える事もなく、太陽の元でも大手を振って生きていくことが出来る。

 誰にも邪魔されず、邪険にされることも無い!

 力があるという事はどれだけ素晴らしい事か!



 ……そうだ、神札を集め終わった時の願いは「つがい」にしよう。

 それも一人や二人ではない、沢山だ!


 子を成し、人狼の国を作るのだ。


 偉大なる人狼王ロボのように!

 安心して暮らせるオレ達だけの国を!

 もう父母のような悲しい思いをすることが無い、そんな場所を作るのだ!



 素晴らしいアイデアを思い付いたオレは、襲った魔導車に積んであった酒を担いでねぐらに戻り、勝利の美酒をしこたま味わったのだった。



 お酒って怖くてこれまで飲んだ事無かったけど、おいしいのな!


 ぐびぐびぐび、ぷはー! ウマイ! 

 そう言えば、ツマミも喰わないと身体に悪いって聞いたことがあるな!


 ムシャア! ウマイ! これはオレの好きな人肉だ!……───


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ───……飲み過ぎて酔いつぶれた後に何かあったという訳か?


 初めての酒で酔っぱらっていたとはいえ、最強の人狼たるオレの五感を欺けるヤツがいるとは考えにくいが……。

 しかし、現実問題俺の手元から神札タロットザ・ムーン」が失われている。


 ……落としたにせよ奪われたにせよ、その在処を探す必要がある。


 『に■る・■■たん!■■■■が■■■な!■ゃ■・■■■ん!■■■■■■んな!』


 折角夢が出来たのだ、惰性で生きてきたこのオレに!


 何もなさぬうちに、何もしていないうちに諦めてなどたまるものか!!


 俺はまだ村と町、そして魔導車の車列を襲っただけだぞ!?

 考え無しの山賊程度の事しかやっていないのだ!

 もっとビッグな事をやりたいのだ、オレは!




 ……あれ?


 襲った事が教会に伝わって、神札タロットザ・ムーン」が無い状態で鉢合わせたらかなりマズくないか?


 流石に神札「ザ・ムーン」が無い状態だと手練れの冒険者にも勝てるか怪しいのだが……───



『……このあたり……───おそらく……人狼……───』



 偶然だろうか、風に乗って微かに何者かの声が聞こえた。




 もうきてりゅ!?




 くそ!

 逃げねば!


 業腹だが、逃げながら神札タロットザ・ムーン」を探せばよいだけの話だ!

 見つけてから追手を皆殺しにする。


 うん、これでいこう!!


 というか、他に手を思いつかない。



 『に■る・■■たん!に■■・が■■■な!■ゃ■・■■■ん!にゃ■■し■んな!』



 幸い神札タロットザ・ムーン」の魔力の匂いと波長は憶えている。

 これを辿ればみつかるはず。


 ダメだったら死ねばいいのだ。

 元々そうするつもりだったから何も問題はない。


 二日酔いの頭痛も忘れ、慌ててねぐらから飛び出した。




 オレは気づいていなかった。



『にゃる・し■たん! にゃ■・がしゃんな! にゃる・■ゅたん! にゃる・がしゃ■な!』


 いつの間にか無意識に口から零れる呪文を、大声で叫んでいた事に。



『にゃる・し■たん! にゃる・がしゃんな! にゃる・■ゅたん! にゃる・がしゃんな!』



 失ったはずの神札タロットザ・ムーン」の力、「月の墓標ムムムムーンサイド」がこの身に宿っている事に。



『にゃる・し■たん! にゃる・がしゃんな! にゃる・しゅたん! にゃる・がしゃんな!』



 己の正気が失われつつあることに。





『にゃる・しゅたん! にゃる・がしゃんな! にゃる・しゅたん! にゃる・がしゃんな!』


 オレの中に潜んだが、嗤った気がした。


 ───────────────────

 ◇神札タロットザ・ムーン」とアモンは相性が良すぎて、あっさりと取り込まれてしまいました。


 ◇次はVS ヴァサゴです。まぁ、アモン君に勝ち目はないんですけど。

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