閑話 1 ガリア王はかく語りき。
「のう、アガレス。余は一体いつまで書類にハンコを押せばよいのだ……?」
ぺたしぺたし。
「そもそもこういうのってさぁ、中身を精査してから押すもんじゃないの?」
ぺたしぺたし。
「ほら、もう余は今日15時間もハンコ押してるから右手がプルプルしててさ、そろそろ休憩を……──」
「陛下、黙って押してください。終わらないと儂も眠れませんので」
「はい……」
ぺたしぺたしぺたしぺたし……
大国ガリアの王の執務室とは思えぬほど質素な部屋で、余……ガリア王バアルは今日も執務(ハンコ押し)に励んでいた。
既に日はとっぷりと暮れており、窓の外は闇が満ちている。
先の戦争によって一介の小国に過ぎなかったガリアは、南部でも比肩する国が無いほどの大国となった。
しかし、その実情は依然として小国の寄せ集めであり、建国5年経った今も大小の問題が発生し続けている。
大変ではあるのだが国民は皆、ガリアという括りになってから目に見えて生活の質が上がり、それが国として大きくなった事によることによる恩恵だと気付いているから、分裂する様な方向に行っていないのは幸いだ。
ただ、この奇跡のようなバランスが保たれているのは恐らく数十年が良い所であろう。
どれだけ恵まれた生活でも人は忘れ慣れる生き物だ、いつかきっと野心を持って余となり替わろうとするものが出てくる。
その前に、余は国としての基盤をしっかりと固める必要がある。
1000年王国とは言わない、せめて余の子供達の世代くらいは平穏で幸せな生活を与えてやりたいのだ。
まぁ、その為には余が死ぬほど頑張らねばならないのだが!
分かってるけど辛いよぅ!
執務室にいるのは余と宰相である禿爺のアガレスだけで、静かなものである。
他の上層部連中は忙しく走り回っているし、官僚共も今の時間は死んだように眠っている筈だ。
睡眠と食事はしっかりとらないと効率が落ちるし、さらなる問題を産むからの。
書類の山をアガレスが入れ替える僅かな隙に、ちらりと隣の机を見る。
その机の主は一度も席に着いたことはないのだが、塵一つなく綺麗に磨き上げられていた。
見る者はいないはずなのに、花瓶まで置いてあり可憐な花が飾られている。
きっと城のメイドが毎日用意しているのだろう、彼は彼女たちにも人気があったゆえ。
机の上にはちょこんとドラゴンのぬいぐるみが置いてあり、その手には小さな看板が握られていた。
『
そう、この机の主は5年ほど前に「外遊」に出たヴァサゴである。
対外的には「周辺国の視察に行っている」事になっているのだ。
さすがに建国の英雄が出て行ったというのは外聞が悪すぎるからな……!
それはいいんだけどさぁ、余の机にも花瓶飾ろう?
我は王ぞ? この国の王ぞ?
なんで小汚いインク壺と書類とハンコくらいしかないの?
「何をよそ見しているのです、陛下」
どさり。
眼前に書類の塔が現れる。
おぉう……神よ!
もしかして自分は騙されているのでは?と考え、余はぺらりと一番上の書類を手に取り、軽く目を通す。
『多国間通商に関する協議体設置に関しての作業部会議録……────』
おおぅ、マジで必要な書類っぽいじゃんね……!
頭を抱える。
ちなみに内容はよくわからなかった。
王の仕事は最終的な判断だから、全部を把握しておく必要はないのだ!
分かっておいた方が良い?
それはそう。
書類になにやらサラサラと記入しながら、アガレスが話し始める。
孫もいる様な歳のわりに元気な奴だ。
もういっそのこと、お前が王やらない?
余はいつでも喜んで譲位するよ?
「先ほどの陛下の疑問に対する答えなのですが、これらの書類は陛下に提出される段階でもう精査は済んでおります。むしろ変に首を突っ込まれると大変面倒な事になるのでご了承ください」
つまり、黙ってハンコ押せと?
それなら余は要らなくない?
その考えを読んだように、アガレスが溜息を吐いて続けて言う。
「王自ら捺印したという事実が大切なのですよ」
「そういうモノかァ……」
「そういうモノです」
「余は帝王学とか学んでおらんから、その辺はよくわからぬのだよ。余は、元々王族の傍流の傍流の……末娘ぞ? 本来ならどこかに嫁いで子供産むのが仕事じゃったはずじゃが」
小さい頃から「お前は政略結婚の弾だ」と言われ、そう言うものかと思っておった。
なので、教養とか審美眼とかそっち系の勉強しかしておらぬ。
いきなり人の使い方とか言われもわからぬよ!?
そんな余であったが、色々な出会いや事件が重なり、あれよあれよという間に気付けばガリアの王になってしまった。
女であるから女王なのかもしれぬが、わが国では「王」で統一されている。
その方がハッタリが効く、らしい。
良くわからぬが、アガレス達がそう言うのならばそうなのだろう。
余は神輿だ。
担ぐのに最適であった、程よい重さの神輿である。
王という地位にいる事も、本来ならばあり得ぬことである。
しかし、余はそれを理解した上で担がれたのだ。
そうすることでしか生き残る事が出来なかったという事情があったにせよ、己で望んで担がれたのだ。
ならば余は、精一杯その勤めを果たさねばなるまい。
それが散っていった仲間達に対しての礼儀であろう。
……ヴァサゴの奴との約束でもあるからの。
いつか戻ってきた彼に、失望だけはされたくない。
お前が居なくても私は頑張ったんだ、と胸を張って言えるように。
腕まくりをしてハンコを手に取る。
「……やるかァ!」
「ふ、陛下。今日はその山でおしまいです。終わったら食事と余暇にしますので」
「っしゃァ! やるぞォォォォォォォォ!」
サンドイッチ以外のごはん!
やる気がもりもり湧いてきたぞぉ!!!!
ぺたしぺたしぺたしぺたし……
ば ぁ ん !
執務室の扉が吹っ飛んだ。
「ねーねーねー! バアルちゃん! バアルちゃん! バアルちゃん! 大変大変大変だよぉ!」
ぎゃあぎゃあ騒ぎながら部屋に入ってきたのは一人の眼鏡を掛けたエルフの女だった。
翠色の長い髪を無造作に括っている、青い瞳を持つぱっと見儚げな美人だ。
その身体つきはエルフらしく華奢であるが、妙に露出度の高い服装で、ちらりと覗く入れ墨が妖しい色気を放っている。
「……グレモリー、陛下の御前ですよ。慎みなさい」
どーせ言っても聞かねぇんだろうなあ……という諦めを漂わせながらアガレスが注意する。
つかこいつ、何度扉壊せば気が済むんだ。
タダじゃねーんだぞ、タダじゃ。
「あっはっは! 固い事言わないの、アガちゃん!」
そう言ってへらへら笑い、爺であるアガレスを子ども扱いするグレモリー。
ほわほわしているように見えてもこの女、数百年の時を生きているハイ・エルフなのだ。
何歳か聞くとはぐらかすし、しつこく聞くとぶちギレるので何歳なのか知ってる人はいない。
はぁ……と大きな溜息を吐き、アガレスが訊ねる。
「それで、一体何用ですかグレモリー?」
そうだそうだ、余は仕事を終わらせてご飯を食べるんじゃ!
馬鹿の相手をする時間はないわい!
まぁ、馬鹿と言っても行動が馬鹿なのであって、そのおつむの出来はかなりのものだ。
頭が良すぎて馬鹿に見えるというか、「迷いの森の賢者」と呼ばれ数百年単位で引きこもっていただけのことはあるということだ。
眉唾ではあるが、白神教の教皇が持つ「
どーにもこーにも胡散臭く得体が知れないが。
悪人ではないのでいくつかの条件の元、国の運営を手伝って貰っている。
ちなみにこやつを味方につける時、迷いの森にヴァサゴ単身で向かい「
一体何なのだ、それは。
「うん、あたしの使い魔がね、ヴァサゴちゃんを見つけたのよ!」
馬鹿がニコニコしながらとんでもない事を言いだした。
「はぁ!? 北の方に向かったって事以外何も分かってなかったって聞いてたんだけど!? それなら今すぐ連れ戻せ! 可及的速やかに! あやつにやってもらいたい仕事山ほどあるんじゃ!!」
それにさぁ!
色々考えたけど、アイツ以外結婚相手いねーんだ余!
近隣諸国から王配とか怖くて取れないし、国内からだとまだまだ安定してないからな!
それなら英雄と呼ばれたヴァサゴを婿に取るのが一番丸いんだ余!
余もそろそろ嫁き遅れとか言われる歳だしさぁ!
さっさと子供作って王位継がせて引退したい余!
「ヴァサゴちゃんを無理矢理連れてこれる人なんていないよ、バアルちゃん」
「無理ですな。引き留めたとき出て行くなら儂を殴って行け!と言ったらマジで殴りましたからな、あやつ」
口々に否定される。
わかっとるわい!
「……で、ヴァサゴの奴はどこにおるのだ?」
「ふふふ、アースの町っていう片田舎よー。たまたまその辺を飛んでた鳥の使い魔が見つけたのー」
うっとりと頬を染め微笑むグレモリー。
きっしょ。
「アースねえ……? どこだそこ。とりあえず人をやるか、コンタクト位取っておきたい」
脳内でやるべきことを指折り数える。
……野垂れ死んでいなくてよかった。
心の底からホッとする。
ここを出る時のヴァサゴは見ていられなかった。
まるで灰のように燃え尽き、抜け殻のようであった。
すこしは彼の心の傷も癒えたのだろうか?
復讐で一番傷ついたのは、結局彼自身だったのだから。
余は、余だけはヴァサゴの願いを知っていた。
彼が何を考え、何を成すために戦争を起こしたのか。
余を神輿にすると決めたその時、話してくれたのだ。
『貴女を俺の復讐に巻き込む事をお許しください、バアル様。俺は成さねばならぬのです、成さねば先に進めぬのです。あの子達がそんなことを望んでいないのは百も承知です、ですが、それでも! 俺は、アイツらを滅ぼさずにいられない! そうでなければ、生きていることが出来ないのです!』
私は、鬼気迫る表情で涙を流す彼の願いを断ることは出来なかった。
彼が涙を流すのを見たのは、後にも先にもそれっきりだったが。
私は憶えている。
忘れられない、私が余となったのはまさにあの時なのだから。
「……誰を使者に出すのがいいだろうか? そうだ、余自らが……「駄目です」……ですよね」
秒でアガレスに否定されてしまった。
そらそうよな。
うん、わかってた。
「……しかしのう、ヴァサゴの顔を知っていて、彼に警戒されない人物となるとかなり限られるであろ?」
変なのを送ると余計こじれる気がする。
本当は余が行くのが一番良いのだが……。
アガレスはどうだろうか?
いや、禿爺に抜けられると余がヤバい。
マジで国が回らなくなる。
なら、他の四天王に頼むか?
……でもヴァサゴとあんまり仲良くなかった気がするな。
うーん、なら
たしかそろそろ山賊退治が終わって帰って来るはずだけど……。
でもなあ……。
うんうん唸っていると、能天気な馬鹿が声を上げた。
「はいはーい! 提案がありまーす!!」
「何だ、グレモリー。言って見ろ」
嫌な予感がするので聞きたくないが、一応こいつも四天王だった事を思い出して尋ねる。
あ、こいつが
風魔術が得意で戦争中は頼りになったものである。
平時は控えめに言ってゴミカスですね……。
知識しか貸してくれねーんだ、こいつ。
「あたしがむかえにいくー!」
「……だれを?」
「ヴァサゴちゃん!」
「なんで?」
「会いたいから」
屈託なく笑うグレモリー。
……こいつに任せるかぁ。
魔術の腕なら拮抗していたし、仲は悪くなかったような気もする。
コイツは最近遊んでばっかりだし、いい機会かもしれない。
「それにね、そろそろヴァサゴちゃんと作ろうと思ってたんだあ!」
「……何をですかな?」
アガレスの問いに、グレモリーは笑う。
今までの笑みとは少しだけ質の違う、湿度を感じる笑み。
ねっとりとした、粘度を感じる。
心なしか部屋の気温が下がった気がする。
部屋にほんのり影が差す。
魔女が、嗤う。
その美しい顔を歪め、嗤う。
「あかちゃん」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◇時系列的にはメアリーちゃん達と会う直前ですね。
◇グレモリーは数千の使い魔を大陸全土に放っています。
学術都市は魔術的な護りが固く、使い魔では見えませんでした。
◇バアルちゃんの本番は多分3章あたりかな……。
グレモリー? あはは。
◇次も閑話。月曜更新予定。
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