第27話 俺と終わらない夜。
「ははァー、すごいねェー? まさかあっさり人狼を倒しちゃうなんてさァー?」
それは影よりぬるりと現れた。
さも当然のように、最初からそこにいたように。
月明かりの元に姿を現したのは、美しい毛並みと均整の取れたしなやかな肢体を持つ獣人の女。
尻尾と耳の形状から察するに猫科の獣人だろうか?
その成熟した身体つきは蠱惑的で、酷く魅力的だ。
しかし。
音も無く、気配も無く、魔力すら感じない。
本当にそこにいるかも疑わしい程、そいつには存在感が感じられなかった。
どれだけ隠蔽技能に優れようとも、実際に目の前に立っていれば気付くものだ。
違和感を覚えるものだ。
目の前の女には、その微かな違和感さえない。
一瞬でも目を離せば、本当にそこにいるのかさえ怪しくなる。
女の言を信じるなら、俺がアモンと戦っているのを見た事になる。
戦闘中で極限まで集中力が研ぎ澄まされた俺の感覚に引っかからない?
そんな馬鹿な。
この俺が観察者の視線を感じないだと?
背筋が凍る。
異常だ。
不自然だ。
不可思議だ。
不気味だ。
危険だ。
ぎちり。
全身の筋肉を引き絞る。
一撃で決める。
かなり消耗しており疲労もあるが、戦闘の興奮は未だ冷めておらず即座に精神を切り替えることが出来た。
女が敵か味方かは不明だが、それは動きを止める事の理由にならない。
もし敵でないとしても、足音を殺し息を潜め自分の姿を隠していたというだけで俺の敵であると認定するには十分すぎる。
俺のような人間にとって戦闘スタイルと言うのは大きな情報だ。
暗殺者の可能性がゼロではないのならば、初撃で仕留めるべきだ。
中途半端に情けを掛けたり迷ったりして殺された人間を、俺は何人も知っている。
ここで躊躇えば、俺だけでなく後ろの二人にも危険が及ぶ可能性がある!
それは、それだけは許せない。
仕方がない。
俺の切り札の一つを切る。
最初からやたらとハードだが、後の事を考えると勿体ぶっている場合ではない。
相手の戦力が分からない以上、最も確実性の高く信頼できる手段で葬るべきだ。
喰らえ、塵一つ残さん。
赤い魔力光が奔る。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って! 待ってください! 違う! 違いますぅ! あたしは敵じゃない! カッコつけてごめんなさい!」
じゃらっ。
女は慌てて手に持っていた鎖のような物を地面に落とし、両手を上げた。
その尻尾は大きく膨らんでおり、恐怖を感じているのは間違いなさそうだ。
そう言えば前世では猫飼ってたな、元気にしているだろうか?
「あ、あの! マジで争う気はありませぇん! ちょっと茶目っ気出しちゃっただけですぅぅぅぅ!」
そう言ってびたーん!と五体投地した。
ぬぅ、隙だらけだ!
首筋を踏めば相手は死ぬだろう。
しかし、無抵抗の相手だと流石に殺すのは難しい。
特に泣いている女や子供相手だとどうしても鈍る。
それをやってしまうと俺は畜生以下だ。
というか、ここまで全力の命乞いは初めてだ。
「敵意はありません! デキる女を演出したかっただけです! あたし、戦闘は苦手です!! お金ならちょっとしかないけど、払うから許してください!」
必死の表情で非常に情けない事を言う。
……判断に迷う。
こちらも明確な隙を晒してしまっているが、相手の態度が無様過ぎて気が抜けてしまった。
こういうのを毒気が抜かれるというんだな。
身をもって知ってしまった。
「……おじさん、許してあげたら?」
いつの間にか隣に来ていたメアリーが俺の袖を引っ張り、呆れた顔で俺に言う。
「……ん、ボクも大丈夫だと思う。あの人に悪意はない。……ただの勘だけど」
ぺたりと身を寄せ、くっついてきたシトリーもそんなことを言いだした。
……「勘」か。
勘という奴はバカにできない。
それは空気や感情全てを内包した判断だからだ。
特に探索系技能の持ち主であり、悪意に対する感度の高いシトリーの勘ならば信じてもいいかもしれない。
「……その魔力やら気配を消しているスキルを切れ! 話はそれからだ!」
数秒悩んだ結果、最も脅威に感じていた点を指摘する。
今の状態で影に潜まれたら見失う可能性がある。
暗殺に怯えて暮らす日々は二度とご免だ。
……よし、拒否したら殺そう。
「あ、これ!? わかった、わかった! 切る! 切るから! ちょっと待ってね!? 今から手を胸元にやるけど、敵対行動じゃないからね!?」
喧しい奴だ。
しかし、これだけ煩くしていても目を離すと見失いそうになるのが恐ろしい。
女はゆっくりとその豊かに盛り上がった双丘に手をやり、ぶるんとゆれる胸の谷間からペンダントを引っ張り出した。
それほど高価では無さそうだが、なんとなく目を引くデザインだ。
……あの意匠、どっかで見たことがある気がする、どこだっけ?
「……おじさん、おっぱい見過ぎ」
半眼でメアリーが冤罪をかけてくるが無視する。
見てるのは乳じゃねえ。
「パパ?」
ぎちり。
尻をシトリーが抓る。
やめろ! 抓った後さわさわするんじゃない!
変な気分になっちゃうだろ!
確かに俺も男だから豊かなおっぱいには目がない。
それは認める。
大体の男はおっぱいが好きだ。
しかし!
得体の知れない女のおっぱいを凝視する程飢えてないわい!
これでもそこそこ分別のついた30代半ばやぞ!
……それにしても、でけえな(ごくり)
「よい……しょっと」
女の掛け声とともに、パキンと音を立ててペンダントが砕ける。
その瞬間、女の気配が感じ取れるようになった。
そこそこ磨き上げられた気配だ。
恐らく隠密系のジョブなのだろう、脚運びがプロのそれだ。
「いやぁ~、便利なのはいいんだけど使い捨てなんだよねぇ~これ」
女はたははと言った感じで笑いながら、砕けたペンダントを掌に載せて差し出してきた。
ちらりと見ると、それは細かい細工が施された魔石の加工品だった。
……魔道具か。
しかし、気配も何もかも感じ取ることが出来なくなる魔道具だと?
そんなもの、寡聞にして知らない。
使い捨てとは言え、尋常ではない効果だ。
索敵能力にはそれなりに自信があるつもりだが、それを欺くことが出来るなんてぞっとしない。
あんなものが出回っているのならば、世界中で暗殺し放題だぞ?
恐ろしい事この上ない。
……そんなものを惜しげも無く壊すなんて、こいつは一体何者だ?
先程とは別の理由で警戒感が増す。
「うわ、滅茶苦茶警戒されてるぅ!? あ、あのですね、実はワタシこう見えて教会の者なのデスヨ。ほら、胸の所のワッペン見て、ワッペン」
立派なモノが付いている胸元をまじまじと見ると、なるほど白神教会の印章が縫い付けてある。
なんかまたメアリーが半眼でこっちを見ている気配があるが気にしない。
見ろって言われたから見たんだ、俺は悪くない。
「教会……白神教会か。となるとアンタは教会騎士なのか?」
前に言った通り、俺は教会に対して距離は置いているが嫌いではない。
「えぇ、えぇ! そうですよぉ~! 教会騎士団の明星分団所属ですぅ!」
何とかなりそうな気配を感じ、猫獣人の姉ちゃんはぱっと表情を輝かせる。
表情がコロコロ変わってて大変可愛らしいんだけど、どうにもこいつの言葉は軽いんだよなあ……。
それに、明星分団なんて聞いたことがねぇぞ。
教会騎士とはそれなりに付き合いがあり、顔見知りも何人かいるが、そんな分団の話は聞いたことが無い。
異端審問絡みか?
それなら秘匿されているのも理解できるが……。
判断材料がワッペンと本人の言葉だけなのがなぁ。
俺が迷っている事に気付いた猫の姉ちゃんは、へらりと笑って言った。
「あたしの任務は、さっきお兄さんが討伐した人狼の居場所の捜索と足止め。つまり、あたしのお仕事はもう終わりなの。報告書を書くにあたってお兄さんたちの話が聞きたくて出てきたワケ。……まぁ、驚かせたくて『
後半は神妙な表情で深々と頭を下げながらの言葉で、耳もペタリと伏せられている。
実家で飼ってた猫を思い出して変な気分になる。
アイツもイタズラしたあとこんな態度だった。
……ちらりと隣のシトリーに視線をやると、彼女と目が合い小さく頷くのが見えた。
相変わらず悪意は感じない、か。
あと、いい加減尻を撫でるの止めてくれ。
「……わかった。信用はしないが、納得はした。あの人狼は教会騎士団に追われていたんだな?」
教会騎士団は各地の治安維持を担ってはいるが、出撃の頻度はあまり高くない。
中立とは言え、武装した人間が徒党を組んで自分の国を歩き回る事を、支配者たちはあまり歓迎しないのだ。
それでも、一国で対応するのが難しい場合や国境を跨ぐ場合、それに加え被害の規模が大きくなると支配者の意向を無視して出撃する。
『お前には任せてられん! 民の為にいざ出陣!』とかやらかしてトラブルを起こすのだ。
理由が理由だけに、民衆からの支持は厚いのが支配者達の頭の痛い所である。
今回はどれに該当するのか分からないが、教会騎士団が出張るという事は基本的に大事だという認識で間違いないだろう。
「そそ。あいつ、物資輸送の魔導車列襲いやがってね……」
うんざりした表情の猫の姉ちゃん。
なるほど、白神教会は民の生活に直結する物資輸送ルートに問題が起こることを何よりも嫌う。
『すべては民の為に』
彼らのその教えは病的でさえある。
……宗教としてはかなり真っ当なんだよなあ。
信じていい気がしてきた。
俺を騙し切るほどの演技の達人の可能性もあるが、ある程度の譲歩は必要だろう。
何より、疲れた。
はよ帰って寝たい。
「ふむ……。分かった、そう言う事なら協力する事はやぶさかではない」
まぁ、異端認定とかはされんだろう、多分。
むしろ人狼に賞金がかかっていれば、金一封くらいもらえる可能性もある。
猫の姉ちゃんは警戒を解いた俺を見て、安堵の息を吐く。
「よかったぁ~。余力を残したままアレを屠るような相手と敵対はしたくなかったからねぇ~……」
挙げていた腕を下ろし、再び胸の谷間に手を突っ込む猫の姉ちゃん。
痒いの? 掻いてあげようか?
……メアリーの視線を感じる。
あと尻が痛い。
「あったあった! ちょっと古いけど、これあたしの名刺だよ~」
汗でしっとりとした紙片を受け取り、目を通す。
そこにはこう書いてあった。
『白神教会 教会騎士団 明星分団 統括補佐
【
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◇ウルルちゃんこんばんは。
◇彼女が持ってた鎖は「
相手が人狼ってことで、クランべリアの宝物庫からパチってきました。
詳しくは前作2章にて。
◇次回のウルルとの交渉で1章は終わりになります、多分。
その後は各ヒロインのパートとかエピローグに移ります。
多分!
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