第7話 神札。
「じゃあ、ちょっくら行って来るわ」
「は?」
俺は出立前に時間を取り、ロッテ・リードマン女史に別れの挨拶に来ていた。
時刻は早朝であったが、彼女はいつも通り書斎で執筆活動に勤しんでおり、インクと紙に塗れていた。
……俺がいなくなったら、ここは誰が片付けるんやろか。
「ほら、前に言ってた野暮用って奴だ。そろそろ始まるはずだから、少し早いが出発するんだよ」
彼女には全てでは無いが、ある程度の事情は話してある。
さすがに転生とかはぼやかしてはいるが。
この人は信頼できる、良い意味でも悪い意味でもな。
「あ、あぁ~……もう5年も経つのねえ。時間が経つのは早いわね」
彼女は思い出したらしく、ペンを動かす手を止め椅子の背もたれにもたれ掛かり、大きく背伸びをした。
5年経ったが、彼女はあの時出会った時の姿のままだ。
何らかの長命種である事は間違いないだろう。
赤い瞳の事を考えるに、ヴァンピールの類だろうか?
ほら、夜になったらやたら元気になるし。
まぁ、例えそうだとしても彼女は彼女だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
俺の大切な友達だ。
「貴女には世話になったから、何も言わずに出立するのは流石に不義理と思ってな」
先生にも旅立つ事は先日伝えてある。
『君の事は息子のように思っている、いつでも戻って来なさい』と言われ、不覚にも少し涙ぐんでしまった。
「そうねぇ、アンタはそう言う奴だったわね」
二人顔を見合わせて笑い合う。
うん、素晴らしい人達と知り合えたこの5年は、決して無駄では無かった。
心からそう思う。
「それで、アンタその野暮用とやらが終わったら、ここに戻って来るんでしょう?」
彼女は目を細め、そう問うてきた。
言外に、帰って来なかったら許さないという圧を感じる。
「……そう、だな。無事に終わったら帰ってくるつもりだ。研究もまだ半ばだし、他にも学びたい事が沢山ある。それに、この町は俺にとって第二の故郷だ。だから、帰ってくるつもりさ」
良い町だった。
刺激的で、包容力があって、活気があって。
目の前の少女を筆頭に、沢山の素晴らしい人がいる。
だから、必ず帰ってくるつもりだ。
彼女は俺の答えに満足したように頷き、机の引き出しから何かを取り出して放ってきた。
「おっと……!」
慌てて空中で受け止め、まじまじと観察する。
それは魔銀で出来た小さなロケットだった。
「餞別よ、私の魔力が刻んであるわ。魔除け位にはなるでしょ」
「……ありがたく頂いておく」
やはりこういうモノは、その場で身に着けるべきだろうか?
女性からプレゼントを貰う機会はなかったからなぁ。
丁寧な作りのそれは。俺にピッタリのサイズであった。
おそらく俺の為に事前に準備していてくれたのだろう。
なんとも有難い事だ。
「それじゃあ、行って来る」
「あー……」
もう一度別れの挨拶をしたのだが、彼女はまだ言いたい事があるらしい。
普段は言わなくていい事までハキハキ主張する彼女が、珍しく何か言い淀んでいる。
が。
意を決したように続けた。
「……帰ってきたら、紹介したい人がいるから」
……ん!?
え。
ちょっと、これはまさか。
「あ! なんか勘違いしてない!?」
たじろいだ俺の態度に気付いた彼女が、何故か頬を紅潮させて声を上げる。
「だ、だよな!? 違うよな!? いやぁ、俺はてっきり親父さんでも紹介されるのかと……」
ふーッ!
びっくりしたぁ! 勘違いする所だったぜ!
あぶねーあぶねー!
俺、こういう時の経験値は不足しているから、どう答えるのが正解かさっぱり分からねぇぜ!
「……は? アンタ何言ってるの? 父さんにならもう会ってるじゃない」
彼女はあっけらかんととんでもない事を言いだした。
「え」
「大学でアンタが師事してる教授。あれが私の父さんよ、血はつながってないけどね」
「えええええええええええええええええええええええええ!?」
衝撃の事実である。
5年も世話になっていたのに、知らなかった!!
「知らなかったのね……。まぁ、父さんもその辺の話は自分からはしないだろうし、仕方ないね」
呆れたような顔で笑うロッテ・リードマン女史。
先生が妙に厳しかったのはそのせいだったりするのか、まさか?
いや、そう言う人じゃないとは思うんだが……。
ううむ、次どんな顔をして会えばいいか分からん。
「まぁ、家族なのは合ってるわ。会わせたいのは弟と妹達、それと母さん達。あと親友が一人」
……母さん達!?
大分複雑な家庭環境であるらしい。
つか、先生複数の嫁さん娶ってんだな、 この世界では珍しくはないけど。
「アンタ孤児だったって言ってたわよね? だから、見せてあげたいのよ」
優しく微笑む彼女の顔に思わず見惚れる。
こんな顔で笑えるんだなあ。
「家族って、良いものだってね。まぁ、私と違って、弟と妹達はかなりヤンチャで癖が強いけどね」
貴女も大概やんちゃで癖が強いから安心しろ。
「だから、必ず帰って来なさい」
「もちろんだ」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その日、俺は見晴らしの良い山頂付近に陣取っていた。
ここに来てかれこれ3日程経つが、特に変わったことは無い。
なぜこんな時に山で呑気にキャンプしているかと言うと、別に遊びたくなったというわけではなく、当然だが理由はある。
一つ目は、
ゲーム中では
出来るだけ情報は伏せたほうが良い、戦場ではそうしなければ生き残れなかった。
まぁ、誰にも知られず啓示が降りる可能性もあるが、「誰にも知られず啓示が降りる」という情報が手に入るから、それはそれで無駄にはならない。
二つ目は一つ目と多少被るが、もし目に見えて啓示が降りる場合、見晴らしの良い場所からその地点が分かる可能性がある。
俺はwikiで全員の居場所を知っているわけだが、それが正解かどうか補強する材料となる。
そう、この場所は
わざわざここを選んだ理由ももちろんある。
もし、この街に
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
陽が傾き、世界が朱に染まる。
世界は夜の黒に染まり、人々に安息の時が訪れようとする、逢魔が時。
それは、唐突に起きた。
ギチギチギチギチ……。
聞きなれない音が聞こえた。
……とうとう始まったか。
何が起きているかは分からないが、おそらく俺が待ち望んだモノであろう。
フォォォォォン……
……!?
大地から、魔力の燐光が薄っすら浮かび上がる!
それだけではない、山の頂上にいる俺だから見えるが、眼下に広がる平野に超巨大な魔法陣が浮かび上がっている!
これは……これが、
余りの巨大さに呆然と眺める事しかできない。
よく見れば、目に入る範囲でも魔法陣の一部であることが分かる。
……マジかよ、デカすぎんだろ。
冷や汗が背中を流れる。
大学で勉強を数年やって、ようやく魔道学の入口に辿り着いたような若造の俺であるが、一目見ただけで分かる。
この魔法陣は、人が作れるようなものではないと。
緻密にして繊細、無駄が無く美しさすら感じる。
製作者の美学がそこに見えた。
そんなとんでもない魔法陣が、国をまたぐほどの大きさだと?
……なんか嫌な事に気付いちゃったよ。
これ、魔法陣の内部の人間から魔力吸い取ってない?
前世で読んだ漫画に出てきた「国家錬成陣」を思い出し、背筋が凍る。
……いや、ゲームの中でそういう事件は起きていなかった。
恐らく多少疲れる程度で済むのだろう。
そうだと言ってくれ。
よく見ると地脈の流れも魔法陣の一部として成立しており、全てを分かった上で作成されたものだと分かる。
一番性質が悪いのは、これが普通の人間には見えていないって事なんだよなあ!
俺が今見えているのは、魔道具の眼鏡を着けているからだ。
魔道工学では必須である魔力の流れを見る為のものだが、こういうモノが無ければ「無色」の魔力は見えないのだ。
知らないうちに起動し、知らないうちに魔力が奪われる……。
それに気づくこともできない!
健康な人間ならば少し疲れる程度だろう。
しかし、病気の人なら?
歳を取って身体が弱っている人間は?
産まれたばかりの赤子なら?
……この下らない催しの為に、どれだけの命がが奪われる?
ギリ……。
奥歯を噛み締める。
ここで俺が一人憤っても何も変わらない。
それにもう、既に発動してしまっているのだ。
俺にできる唯一の事は、それを無駄にしない事だ。
魔力が渦巻く。
無色の魔力が空間に満ちる。
この状況を例えるならば、コップにギリギリまで注がれた水のような感じだ。
何か切っ掛けがあれば……溢れ出るに違いない。
俺には固唾を飲んで見守る事しかできない。
そんな嵐のような魔力が、急に鎮まった。
「……ッ!?」
キィン…………。
陶器を指で弾いた時のような、澄んだ音が聞こえた。
思わず身構えた瞬間、俺を中心に魔力が爆発的に膨れ上がり、視界を真っ白に染め上げた!
「……ァッ!」
いかん、魔力視眼鏡を着けていたのが仇となったか!
慌てて眼鏡をはずすが、視力がなかなか戻らない。
くそ、目潰しを治す魔術なんて存在しないぞ……!
……コンセプトとしては悪くないな、今度組んでみるか。
スタングレネードみたいなやつ。
そんなことを考えていると、脳内に声が響いた。
>System start-up
>Tarot fortune telling
>Spread hexagram
>すべてを あつめよ。
>あつめれ ば なんじ の のぞみ を かなえよう。
無機質な、感情のない。
ただ、僅かに愉悦を感じる声。
視界が少しずつ元に戻る。
呆然としながら、己の掌を見ると。
そこに描かれし意匠は、頭部に黄金の角と冠、背中にコウモリのような羽をもち、手には鋭い爪を備え、左手に柄の無い剣を持つ悪魔。
それが正位置において指し示すは「裏切り」、「拘束」、「憤怒」、「破滅」!
そして、逆位置に置いては「覚醒」、「新たな出会い」、「リセット」、そして「転生」!!
それが俺に降りた啓示。
「……ッ!」
息を飲む。
原作通りだ。
動揺するな、お前が次にやる事は何だ!?
理性を総動員し、再び眼鏡を掛けて街を見る。
僅かに魔力光の残滓が見える!
間違いない、あそこに1枚降りて来た!!
俺は身体強化魔術を発動し、全速力で眼下の町まで走る。
願いを叶えるために。
────────────────────
◇やーっと始まった!
長い前振りでしたけど、ヴァサゴ君の戦いがとうとう始まります。
次回は1話の続きになります、主人公ちゃんも出てくるよ!
◇
正解者が出なくて「あっ、やらかした!?」って思いました!
ヴァサゴって名前自体が悪魔(ソロモン72柱)なんですよね。
序列3位で「慈善な性格」の悪魔です、ヴァサゴ。
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