第2話 「隠者」、大地に立つ。
視界が、開けた。
木、木、木。
沢山の樹木に囲まれている。
気付けば俺───甘井 紋次郎は、虫の声しか聞こえない薄暗い森に一人で立っていた。
「どこだよ、ここ」
ぐるりと辺りを見渡し、そんなことを思わず呟く。
知らない天井ならぬ、知らない森である。
と言うか、俺に知っている森など無い。
俺が今まで歩いた事があるのは精々林、もしくは登山道の整備された山くらいがいい所である。
なんとなく周りに生えた木を観察する。
……んと、杉っぽい?
葉っぱが特徴的なのでそう判断したのだが、そもそも俺はそんなに詳しい訳でないので判断できない。
しかも杉について唯一思い出せた豆知識が、杉は日本中に生えてるから位置の特定には全く役に立たないという情報のおまけつきである。
いや、今考えるべきなのはそうじゃないだろ!
混乱する思考にツッコミを入れ、冷静になれる様に深呼吸をする。
目を瞑り、音だけの世界にする。
ちゅんちゅん……チチチ……
チーチー……チー……
ホーホホッホホー ホーホホッホホー ホーホホッホホー ホッ
ォーァーォー……
鳥の声や虫の声、それに謎の音。
人の声などは聞こえない。
外部からの情報を意図的に減らす、俺なりのテクニックだ。
視覚ってのはかなり情報量が多いから、目を瞑るだけでも意外と有用なんだぜ?
目を閉じて深呼吸、これだけで思考は研ぎ澄まされるものだ。
どうしようもなくなったら試してみるといい。
お勧めだ。
俺が目を閉じた時間は、およそ10秒。
この身に危機が迫っているのなら致命的な隙だが、それでもパニックを抑えるのはそれ以上に重要と判断した。
まぁ、死んだらそれ以上考えなくていいわけだから、何も問題はないな!
どうやらすぐに死に至るような状況ではなかったらしく、俺は再び目を開くことが出来た。
森。
うーん、相変わらず森だ。
目を開けたら自分の部屋に戻っている可能性に賭けたのだが、どうやら賭けは俺の負けらしい。
それで、どこだよここ。
頭は冷えても、結局はそこに収束する。
むわりとそた木々の匂いが鼻孔に届き、圧倒的な現実感を俺に与えてくれた。
……これさぁ、絶対夢なんかじゃないよね?
正直な話、さっきの謎空間にいた時から薄々気付いていたけどさぁ!
これ、現実だわ。
しゃがみ込んで地面に生えている草を引き抜く。
草の種類は分からないが、見た事がない葉をしている。
……根っこがなんか人間の足のような形をしているのは気のせいかな?
空を見上げると、木々の隙間から太陽らしきものが見える
位置から考えると今は昼前辺りか。
……なんか太陽がちょっと青い気がする。
う、うーん。
なんとなくだが日本ではなさそうだ。
何と言うか、空気が違う。
乾燥しているというか、あまり湿度を感じない。
家族旅行でヨーロッパにいったことがあるが、なんとなくそっちに近いかもしれない。
そもそもなんで俺がそんなところに居るのかはさっぱり分からないが、何とかして家に帰りたい所である。
参ったな、ここが外国だとすると英語とか大分怪しいぞ俺。
英語圏ならともかく、ロシアとかだと完全にお手上げだ。
大学の後期が始まるまでに帰れるかな?
……うん、現実逃避はこの辺にしておこう。
そもそもの話、何もかもおかしいのだ。
まず、視点が高い。
俺の身長は170cmくらい(本当は168cm)だったのだが、それよりも10cmくらい高い気がする。
加えて、さっきからチラチラと視界に入る手。
変な事を言っているのは百も承知なのだが、この手は明らかに俺の手ではない。
俺の手はこう、苦労を知らないぷにぷにしてる感じで、あるのはペンダコくらいのはずなのだが、これはごつごつした何らかの訓練を積んだ人間の手である。
服装も俺の記憶にあるだらしないスウェットではなく、縫製のしっかりした質の良いマントのような物を纏っているし、腰には見慣れない意匠の革製の小さな鞄が付属していた。
そして、特筆すべきは。
腰の剣だ。
1m程の金属製の剣らしき物が鞘に収まった状態でそこにあった。
俺は高校の選択授業でも柔道を取ったから、剣の道とは程遠い人生を歩んでいるはずなのだが。
見た目が剣の様な傘か何かの可能性に賭けて、初めて握る筈なのにひどく馴染んだ柄を掴みそっと剣を抜いてみる。
しゃらん。
綺麗に砥がれた冷たささえ感じる刀身に、眉間に皺を寄せた金髪碧眼のイケメンが映っていた。
だれだよ、このイケメン。
ちゃきん。
しばし剣に映った人物とにらめっこした後、静かに納刀する。
はぁー………。
大きく溜息を吐く。
ここまで状況証拠が揃っているのなら間違いないだろう。
どうやら俺は、「他人の身体に乗り移るタイプの異世界転生」をしてしまったようである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……よし、とりあえず人里に出よう!」
地面に座り込みしばらく懊悩したものの、この場で悩んでいても解決はしないと判断した俺は早速動くことにした。
昔から切り替えは早い方なのだ。
交通事故に遭った時も、轢かれて動けなくなった血まみれの俺が、友達に通報や現場保全を頼んだりしたしな!
割り切りが早すぎて怖いと友達に言われた事があるが、そう言う性分なのだから仕方がない。
世の中、悩んでも仕方がない事ばかりだからな。
加えて、どんな悩みも世界規模で見れば些細なものである。
人は自分の人生においては主役だが、世界という舞台においては全員がモブなのだよ、自惚れてはならない。
それに悩む事なんて後でいくらでもできる。
今の俺は自分がどこにいるのかさえ分からない迷子、それどころではないのだ。
うん、迷子って言うか遭難ですね。
それなのに自分の状況について悩むなんて、そんな贅沢な事をしている余裕はない。
とにかく、前に進もう。
どんな状況でも、歩き出せば前に進むのだ。
1歩進めば1歩分の状況が変わる、そうすれば不可能が可能になるかもしれない。
だから、俺は常に前を向いて進みたいと思っているのだ。
倒れる時も、前のめりってな。
まぁ、今回は前に進むことが正解かどうかは分からないけどな、ハハハハハ!
はぁ……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ザ……ザ……ザ……
進むと決めたので、歩く、歩く、歩く。
こんな森を歩くのは初めてで、しかも全然知らない場所なので大丈夫か? このまま遭難して死ぬのでは? と思ったが、よく見ると獣道レベルの道らしきものがあるのでそれを辿る事にした。
もし、熊の巣とかに到着したら泣く。
歩き始めて分かったのだが、他人の身体に入った割に動くことに何ら支障がなかったので驚いた。
手足の長さとか身長も違うのだから、普通ならまともに歩くことも出来ないはずなのに。
正直、以前の身体よりも動かしやすくさえある。
……これはあの「声の主」が何らかの調整をしたのだろうか?
いや、間違いなくそうだろう。
この身体で生きていく上では大変ありがたいのだが、おそらくこれは「そうじゃないと面白くないだろう?」とかいう腐った理由に違いない。
アイツ性格悪そうだったしな!
あーもう、この状況は一体なんなんだよ!?
と言うか、あの時選んだタロットは一体何なんだったんだろ?
いや、ちょっと待て。
あの時、俺は何かに気付きかけていなかったか?
なんだっけ?
とても大切な事だと思ったのだが……。
邪魔な枝を剣で払いつつ、次々浮かんでくる疑問。
考えても答えが出るか怪しいが、気になるものは気になる。
その時。
「……ァ!……────!」
「……い!……ン……!」
何かが、聞こえた。
思わず身構え、姿勢を低くしながら耳を澄ます。
「……い!……わ……!」
また、聞こえた。
……多分、人の声だ。
しかも、声の調子からするに緊迫した状況の様だ。
どうする?
今から真っすぐ向かえば、今の声の主に会う事はそう難しくもないだろう。
相手が人間ならば交渉なりなんなりすることが出来るし、なんとかする自信はある。
言葉が通じれば、だが。
だが、言葉が通じなくとも意外と割と何とかなるものだ。
海外旅行で迷子になった時に、俺はそれを身をもって知ったのだ。
ちなみに海外で一番怖かったのは野犬。
噛まれると痛いし、病気の可能性がね?
しかし、声の主はなにやら立て込んでいる様子。
のこのこと顔を出せば、きっとそのトラブルに巻き込まれる事必至であろう。
自分の事もよく分からないのに、他人の揉め事に首を突っ込むのか?
悩む。
そもそも本当に人なのか?
推定異世界だから人間以外にも声を出す生き物は居るかもしれないし、こんな森を歩いている人間なんて、怪しい事この上ないのではないか?
いやまぁ、俺もまさにその怪しい人物の一人な訳だが。
「……ッ!……────!」
「……ぅ!…………!」
まごまごしているとその声が遠のいていく。
……どうやら俺のいる場所から遠ざかる方向に動いているらしい。
ほんの少しホッとする。
このままじっとしていれば巻き込まれる事はない筈だ。
だが、それで何か解決するのか?
このままどっちに向かえばいいか分からない状況が変わるのか?
「あぁもう!」
ぐしぐしと乱暴に頭を掻きむしる。
……髪質やわらけえ。
剣に映った姿しか見てないからアレだけど、もしかして今の俺は相当イケメンなのでは?
異世界を生きていく上で、容姿が優れているというのはかなりのアドバンテージではなかろうか。
軽くシャツを捲ると鍛え上げられた腹筋が見える。
憧れのシックスパック!
以前の俺の腹はだらしなかったので、ものすごい違和感がある。
……これ維持するにはかなりの運動が必要になりそうだな。
くそ、純粋に喜べない自分がいる。
……そんな身体を乗っ取ってしまった罪悪感の方が大きいのだ。
いや、違うだろ!?
現実逃避もいい加減にしろ、甘井 紋次郎!!!
今俺が考えるべきことは、そんなどうでも良い事じゃないだろう!
いや、どうでもよくはないが優先度は低い筈だ!
どうする?
どうする?
どうする?
今回はスルーして別の機会を待つか?
馬鹿か!
そんなものがあると思っているのか!?
「ううぅぅぅぅ! 分かってるんだよッ! 動くべきだってなァ!!」
ここで動かない奴に幸運なんて起きるものか!
虎穴に入らずんば虎子を得ず!
危ない橋も一度は渡れ!
危ない所に登らねば熟柿は食えぬ!
ちくしょうめ!
異世界転生なんだ、きっとチュートリアルみたいなイベントに違いないさ!
大丈夫大丈夫、いけるいける!!
そう自分に言い聞かせながら立ち上がり、大きく深呼吸する。
震える手で腰の剣に手を載せ、その形に安心感を覚える。
へへ、武器ってのはこういう時は心強いものなんだな。
もう声は聞こえないが、大体の方向は憶えている。
「……さぁ、鬼が出るか蛇が出るか。運試しと行こうじゃねぇか!」
震える腕を抑え、俺は無理矢理笑った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◇異世界転生お約束をやってる甘井君。
次で彼視点はおしまいで、その後からヴァサゴ君側に戻ります。
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