2章 

第1話 「PL1」


 闇。



 一面の、闇。


 ふと気が付くと、はゆらゆらと闇を漂っていた。


 闇と言っても恐ろしい闇ではなく、安息の闇だ。


 ここには恐怖や不安など、俺達を苦しめる物は何もない。


 何も考えず、ゆらりゆらりと闇を漂う。








 >選べ。


 そんな居心地のいい場所に、唐突に声が響いた。


 同時に、闇以外何もなかった空間へ一つの大きな光の玉が現れた。

 ぼんやりとそれを眺めていると、すぐにそれは分裂していくつもの小さな光の玉となった。


 そして、それらの光は俺の前で輪になる。


 なんとなく数えると、全部で22個に分裂したようだ。

 ……半端な数字だなあ。

 なんかこの数に意味でもあるのか?


 そんなことを考えながら俺は何をするでもなく、相変わらずそれをぼんやりと眺めていた。


 光の輪はゆっくりと回転し、きらきらと光を放っている。

 その光はかすかに脈動するように明滅しており、どれだけ見ていても飽きなかった。



 >選べ。



 再び声が響いた。


 あぁ、そう言えばさっきもそう言ってたな。


 無機質な声ではあったが、どこか「苛立ち」のようなものが感じられたのは気のせいだろうか?

 もしこの声の主が本当に苛ついているのならば、短気にもほどがあると思う。

 ちょっとぼーっとしてただけじゃねぇか。



 しかし、「選ぶ」か。


 このきらきらした光のどれか一つを選べばいいのかい?

 選んだら何か起こるのかい?

 そもそも、どうやって選んだらいいのかい?


 全てにおいて余りにも不親切である。

 もう少し説明が欲しい所だ。


 それに、俺と君は初対面(?)な訳だし命令口調はやめて欲しい。

 そういうのはもうちょっと仲良くなってからにした方が良い。


 仲良くなるにはどうしたらいいかわかるかい?



 対話だ。



 対話とは、お互いの価値観を擦り合わせ、自分という存在を相手に知らせ、相手を知るための素晴らしい手段だ。



 さぁ、対話しようじゃないか!



 しかし、とても残念なことに今の俺に許されているのは、目の前に並んでいる光を見る事と選ぶことだけのようである。


 なぜならば、今の俺には身体と言う物が存在しないようなのだ。


 つまり、口もないので声を出す事も出来ない。

 でも光が見えているって事は、視覚だけは存在しているって事なんよなあ。


 どゆこと?


 改めて今の俺の状況を言語化するならば、真っ暗な闇の中に意識だけが漂っている感じである。

 ふわふわ浮いているというか、実体がないというか。

 吹けば飛んで行ってしまいそうな心許なさがある。


 海を漂うクラゲはきっとこんな感じに違いない。

 クラゲのきもちになるですよ!




 で。


 一体何なのさ、この状況。

 さっぱり分かんないんですけど!

 説明をしろ、説明を。




 …………。



 ははぁーん、わかったぞぅ?


 勘のいい俺ちゃんは気づいちゃったもんね。



 たぶんこれは、だな?



 俺は昔からこういう変な夢を見る事が多いので、こんな状況も慣れたものである。

 そう、だ。


 ……あーえーっとそう、俺は。



 思い出せ。

 こういう「夢」では自分を確固たるものにすれば、目が覚めるまで好き勝手できるのだ。

 所謂一つの明晰夢と言う奴だな。


 可愛い女の子とイチャイチャも可能だぜ、うひひ。


 俺は……俺は……俺は、何者だ?……────



 それは究極の自問自答の一つの形だ。

 過去どれだけの人間がそれを追い求めたか分からないほど、根源的な問いだ。



 いやまぁ、俺の場合はもっと切実かつ俗な理由なのだが。



 >選べ。


 そんな俺に、「声」が三度響く。

 その声には、はっきりと苛立ちが感じられる。


 夢の癖にうるせぇなぁ。

 もうちょっと待てよ、カルシウム足りてねぇんじゃねぇの?


 選ばないとは言ってないだろ?


 ただ、俺は少しだけ時間が欲しいだけだ。

 瞼はないが瞑目するような心持ちで、先の自問自答を繰り返す。



 俺は、何者だ?


 俺は、何者だ?


 俺は、何者だ?



 おれは だれだ。



 俺の、名前は、何だ?


 名前さえ思い出せれば、それに紐づいた記憶が引っ張り出せる予感がある。




 しかし。




 自分の名前を思い出そうとすると、なにか「壁」の様なものがあると感じる。

 その壁は堅く、正攻法で突破するのは難しそうだ。


 ふむ。


 これは、



 それなら、遠回りするだけだ。

 馬鹿正直に壁を突破するのではなく、壁を避ければいいだけの話だ。



 >出来るものなら、やってみろ。


 俺の心を読んだのかように、声が響く。

 その声にははっきりと嘲りの色が感じられた。



 お前『選べ』以外に言えたのね。

 つか、心が読めるのなら対話も出来そうだが、向こうはする気が無いという事らしい。


 ならば、お言葉に甘えてやってやりましょうかね。




 俺は自分が何者かも分からないが、そういう自信満々な奴を凹ましてやるのが大好きなんだ。



 気分を切り替え、思考を切り替える。

 憶えてはいないが、いつもこうやっていた気がする。



 最初は身近な所からいこう。


 無意識に使っている「俺」という自称。

 これは大体「男」が使う自称だ。


 つまり、俺は男だ。

 偶に女でも使うと俺のゴーストが囁くが、レアなパターンなので無視していいだろう。


 俺は、男。

 多分、男。


 ……うん、しっくりくる。


 よし、一歩進んだ。

 この一歩は小さな一歩だが、俺にとっては偉大な一歩である。



 さぁ。

 時間ならいくらでもある。


 この壁、乗り越えてみせよう。



 俺は、笑った。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ……が好きだった気がする。


 そうだ、あれは確か……俺の誕生日に……───



 不意に、誕生日のケーキに灯された蠟燭の匂いが感じられた。



 かちり。


 何かの扉が開いた。




 思い……出した!



 一気に視界が広がったような感覚。

 よく眠った日の目覚めの様な、そんな感覚。


 同時に、「何かのルールを破った」ようにも感じたが、これはよく分からない。


 今はそれよりも大事なことがある。

 俺は思い出したのだ。


 自分が何者であるかを。



 ざぁっと記憶が巡る、巡る、巡る。

 記憶が蘇る。


 俺の今までを思い出す。



 それと並行し、腕が足が身体が構成される。

 そうそう、こんな感じだったこんな感じだった。


我思う、故に我在りego cogito, ergo sum」という奴だな!

 でも脚なんかは、元よりちょっと長くてもいいのよ?



 >……!


 姿は見えないままの声の主が、驚愕したような気配がした。

 見えないのに、その動揺する様が手に取るように感じられた。。


 はっはっは、ざまァ見ろ!


 俺は自力で俺を取り戻したぞ!



 俺は手を握ったり閉じたりしながら、自分の事をゆっくりと思い出す。



 俺は甘井 紋次郎。


 何処にでもいる、大学3回生のモラトリアムど真ん中の21歳♂だ。

 古臭い名前は祖母の趣味だ。

 有名な時代劇の主人公から取ったらしい。


 趣味はアニメを見る事とゲームをする事という、どこに出しても恥ずかしくない立派なオタクボーイである。


 ……この辺は別に思い出さなくてもよかった気がするなあ!

 思ったよりしょっぱいぞ、俺!

 もうちょっとこう、なんか無かったん?


 あえて言うなら俺の家系は歴史だけは長く、ウソかホントか平安時代まで遡れるらしい。

 家系図を見せられたけど、正直だから何と思ったぜ。

 苗字の甘井は転じて天意であり、ご先祖様が占いを生業にしていたかららしい。

「天の意を知る」という事らしいが、傲岸不遜にも程があるだろ。

 だからこそ漢字を変えたんだろうけど。


 まぁ、胡散臭いことこの上ないね!

 占いとか俺は全然信じてないし、俺にとってはただの苗字と言うだけである。


 祖母は占術界隈では有名な存在らしいが、何分その界隈が狭いからね……。



 ま、それは別にいい。


 しょっちゅう明晰夢を見たり、ちょっと先の事を夢で見たりなどほんの少し不思議な力はあるが、それもまあ人様に言えるほどのものではない。

 そもそもその力でわかるのは、翌日の晩飯の献立とかだしな!


 >選べ。


 はいはい、選びますよ。

 改めて目の前の光の環を見る。


 目を凝らすと、その光の中に何かがあるのが分かった。


 ……これは、か?


 丁度目の前に浮かんでいたのは「鎌を持った死神」が描かれたカードだった。

 えーっと、正位置が停止、終末、破滅辺りで、逆位置は再生、起死回生、覚醒だったような。

 一応、祖母が現役の占師という事でその程度の知識はある。



 数が22である理由がようやくわかったぜ。

 しかし、なんでタロット?



 指で環をなぞるとクルクルと回転した。


 ……なんか何かのゲームの「リングコマンド」みたいだな?



 何か、ひっかかる。


 なんだ?

 この違和感は。

 じっくり考えるようとしたその時。




 >選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ。選べ……────



 うっわ。

 発狂しやがった!


 頭にガンガン響く「選べ」という無機質な声。

 もう我慢ならぬと言わんばかりに、叩きつけられるそれには物理的な衝撃さえ感じられる。


 なんなんだよ、一体!?

 この夢は何を暗示しているっていうんだ!?


 どうやら選ばないとこの声は止まらないようなので、頭を抑えながら環を回す。

 ……なんか幾つか黒く塗りつぶされたものがあるな。

 並びから推測するに、「愚者」や「悪魔」あたりか?


 つか、碌なの残ってないな……。


「死神」や「吊られた男」は選びたくないが、「審判」「世界」辺りは仰々しすぎる。


 やはりここは、身の丈に合った啓示を選ぶべきだろう。



 ……決めた。






 1枚のタロットを選び、手に取る。






 正位置が示すは経験則、秘匿、精神、慎重。

 逆位置が示すは消極的、無計画、悲観的劣等感。







 俺が選んだのは「隠者ザ・ハーミット」だ。





 >楽しんでくるが良い。


 声が響く。

 その声から感じ取れるのは隠し切れない愉悦。


 ……夢のくせにおしゃべりだな、こいつ。


 それにって、何だ?

 これから俺はどうなるんだ?



 これは「夢」なんじゃないのか?



 >楽しめるものなら、な。



 俺の意識が途切れる直前に響いた言葉。

 その言葉の意味を、俺はすぐに理解することになる。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ◇はい、2章開始です。

 紋次郎君が誰かはもうバレバレだとは思いますけど。

 あ、別に主役交代というわけではないです、2章は彼の話ではありますけど。


 ◇当面は週1更新でいきます。


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