第30話 エピローグ1 「愚者」と「塔」、そして淑女協定
「ねぇ、シトリー。アンタ本当は眠ってなんかいないんでしょう?」
おじさんと別れ、二つ目の角を曲がった時に確信を込めてぼそりと呟く。
もぞり。
私の言葉が聞こえたらしいシトリーが、私の背中で身じろぎしたのが分かった。
そして肩をポンポンと叩いてきたので、手を離して下ろす。
やっぱり。
この狸め。
……兎だったか。
振り向くと、シトリーはもうあの変なフードは被っておらず、その赤い目を細め面白そうにこちらを見ていた。
確かにこの顔を晒して歩いていれば、人攫いに遭うに違いない。
……忌々しい事に、本当に可愛らしい顔をしている。
その表情以外は。
「あはは、メアリーは気づいてたんだ?」
にぃと笑うシトリー。
「あの場で気付いてないのはおじさんくらいなものよ」
まぁ、おじさんは「子供は庇護されるもの」という意識が強すぎて、その甘えすら許容している節があるけど。
「ふふ、そうだねえ。パパ優しいから、疑うことさえしないもんねえ」
だけど、この小娘はおじさんのそう言う気持ちに付け込んだのだ。
許せない。
「ありゃ、ボクのやった事が許せないとか考えてる顔だね。ふふ、おっかしいんだぁ」
私の表情を読み取り、くすくすと忍び笑いを漏らすクソガキ。
顔立ちが整っている分、その嘲りを隠さない表情は醜悪に感じる。
「メアリー貴女まさか、正しいとか正しくないとかで、人の心をどうにかできると思ってる?」
……!
生意気な事を言われ、ついカッとなる。
だめだ、こいつは私をイラつかせるためにやっているんだ。
挑発に乗ってはいけない!
ふぅと小さく溜息を吐き、頭の中でゆっくり10秒数える。
小さな頃から短気なある自覚のある、私なりの感情制御法だ。
そう、こいつとここで喧嘩しても何も得るものは無いのだ。
だから落ち着くのよ、私。
「……家族とまで言ってくれた人を騙すのは、人としてどうかと思うわよ」
「これで怒りださないくらいの自制心はあるんだね、ちょっと見直したよ」
そう言って笑みの質を変えたシトリー。
「まぁ、ここで立ち話もなんだしボクの部屋で話さない? 万が一にでもパパには聞かれたくないし。パパは多分こういう話嫌いなタイプだと思うよ」
すい、と宛がわれた部屋の方角を指さすシトリー。
メイドとの会話も全て聞いていたらしい。
油断も隙も無いな、この兎。
「メアリーちゃん、お茶淹れるけど飲む?」
部屋に入るなりそう言って備え付けの茶器に手を伸ばすシトリー。
と言うか、その言葉に衝撃を受ける。
「ちゃ、ちゃん!?」
さっきまでアンタ飛び捨てにしてなかった!?
「あ、嫌だった?」
……少し悲しそうな顔をされると嫌だと言いづらい。
それが擬態だと分かっているのだが、へにゃりと耳が垂れる愛らしい姿をみるとどうしても気勢が削がれてしまう。
くそ、可愛いというのは得だなあ!
「……どういう風の吹き回し?」
目の前の少女の考えが、読めない。
何が狙いなのだ。
「やだなぁ、メアリーちゃん。これから旅の仲間になる訳じゃない? あんまりギスギスするのもどうかなってボクは思うわけよ」
私の答えを聞くことなく、彼女はさっさと二人分の茶葉をポットに入れた。
……主導権を握られている感じがして落ち着かない。
このままだと良くない気がする。
知らないうちにシトリーの望む方向に誘導されそうな怖さがある。
さっきから知らないうちに、彼女の要求に全て応えてしまっていることに気付いたのだ。
よし、次の要求はズバッと拒否だ!
「それにね、ボク昔からおねえちゃんが欲しかったんだ。そうだ、メアリーちゃんの事をおねえちゃんって……────」
「────嫌」
「────……そう」
主導権奪還失敗!
沈黙。
滅茶苦茶気まずい。
こぽこぽ……。
お互い何も言わないまま、湯が沸くのを眺める。
空気が張り詰めている。
変な緊張感だ。
そうだ、これは剣を使わない手合わせなのだ!
攻めなければ、負ける!
と思った瞬間、シトリーからの攻撃が来た。
「……メアリーちゃんはパパの事をどう思ってるの?」
「今、私の一番大切なもの」
即答する。
「……おおぅ、思ったより重い返事が返って来てボクびっくりだよ」
私の答えを聞き、シトリーはそのくりくりした目を真ん丸にして驚いている。
む、ここは攻め時かもしれない。
そうだ、彼女に私の本気を知ってもらういい機会だ!
すぅ、と息を吸う。
「そう? 私はおじさん、ヴァサゴ・ケーシーと出会ってまだ一日経っていないけど、もうあの人無しの生活は考えられないの。あの人の戦い方見た? あれはまさに現代の英雄譚の登場人物そのものだと思わない? 大地を踏み込む時に盛り上がった筋肉、素晴らしかった。美しかった。そのまま部屋に飾っておきたい程芸術的な機能美がそこにあった。(中略)それにおじさんとは最初は不幸な行き違いがあって残念ながら平和的な出会いではなかったのだけどいまとなってはあれは運命だったの。そうなって当然だったの。あれは神様が私たちを引き合わせてお互いの事を知るための儀式だったの! 私あのときおじさんに付けられた傷はそのままにしておくつもりなの! おじさんに、愛する人に付けられた傷って素晴らしいと思わない!? ねえ! ねえ! ねえ!!!」
「スト、ストーップ! メアリーちゃん落ち着こう! ね!? 一旦座ろう! そしてちょっとお茶飲もう!? お茶菓子も出すからさ!」
気付けば目の前に引き攣った可愛らしい顔。
話してるうちにテンションが上がってしまい、シトリーの肩を掴んでガクガクと揺すっていた。
いけないいけない。
「……うん」
すとん、と椅子に座る。
そんな私を完全にヤバい人を見る目になったシトリーが続ける。
誤解だ。
「……ず、ずいぶん買ってるんだね、パパの事」
当たり前でしょう!?
すぅ、と息を吸う。
「もちろんよ、むしろおじさんは過小評価されているともいえるわ! 南部の英雄って言われてるけど、きっとすぐに世界の英雄と呼ばれるべき人よ!
「く、苦しいから首絞めるのは止めて!? ね!?」
気付くとシトリーの細い首を両手で握っていた。
おっと。
興奮すると首絞めちゃうんだよね。
失敗失敗。
「やべー、ガチじゃん……」
シトリーが青い顔をして喉を撫でながら漏らす。
「何か言った?」
「なにも?」
………………よし! 多少強引だけど主導権がこっちにきた!(現実逃避)
あのままだと私は、この子の口車に乗せられるだけだったに違いない!
なお、シトリーの私を見る目が、完全に狂人をみるそれになった事は深く考えない事とする。
いいんだ、私にはおじさんが居れば!
「ふう、お茶美味しいね。シトリーはよく飲むの?」
仕切り直す。
「んー、時間があったらかな? 嫌いじゃないけど、いいお茶より食べ物にお金を掛けたいタイプだから」
どうやらシトリーもさっきの事は無かった事にするらしい。
賢い。
本能的に長寿タイプだ。
まぁ、初対面こそアレだったが、落ち着いて話せばそれなりに仲良くなれそうではある。
……無駄に争うことは無い、少なくともおじさんを困らせない程度には仲良くやりたいものだ。
もちろんおじさんは譲らない、譲ってなるものか。
あれは私のものだ私の獲物だ私の宝物だ私の私の愛だ私の私の私の私の……────全てだ。
どうしてここまで欲しいのかは分からない。
何がわたしを狂わせているのかわからない。
でも。
あのひとのすべてがいとおしい。
髪の毛1本、血の一滴も全てわたしのものにしてしまいたい。
わたしのことをずっとみていてほしいし、ずっとみていたい。
えいえんに。
この感情は、本物だ。
その為には情報がいる。
この目の前に座る兎の皮を被った獣の情報がいる。
彼女に出し抜かれないようにするために、彼女を出し抜くために。
そのためなら、何でもしよう。
おじさんを手に入れる為になら、なんでもしよう。
そう思いながら私は笑みを浮かべ、お茶のお代わりを注いだのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
……ヤベー、この女マジやべー。
ボクは目の前に座る「
パパを巡るライバルだと考え、ちょっと挨拶代わりにちょっかいを掛けたら偉い事になった。
文字通り、藪蛇だった。
蛇どころではなく、なんかドラゴンみたいなのが出てきた。
深い、こいつの抱える闇はマジで深い。
真っ黒だ。
表面上の態度はいたって普通だが、何と言うか基本的な部分がちょっとズレている気がする。
話していると割と楽しいし、頭の回転も悪くはない。
旅の仲間としては合格点と言える。
だが。
メアリーは爆弾だ。
踏むと大惨事になる地雷のような女だ。
しかも多分誘爆するタイプ。
最悪である。
ボクはこれとパパを取り合うのか……。
ううむ、ちょっと骨が折れそうだ。
そう、何を隠そうボクはパパと懇ろになることを諦めていないのだ!
パパっていう呼称も、「お前がパパになるんだよ!」の意である。
まぁ、娘的な立ち位置と勘違いさせるつもりはもちろんあったが、流石にもう親離れはしている。
今私が欲しいのは、家族(伴侶)である。
だってこれ以上の物件なんてないよ!?
強くて情が深くてお金持ちで、尚且つ南部の英雄ヴァサゴ・ケーシー!
他人に自慢できる最高のトロフィーだ!
しかもボクを愛してくれるおまけつき!
現時点では家族愛だけど、すぐに恋愛感情に変えてみせる。
ボクのこの愛らしい顔に落ちない男はいない、と思う。
世間では愛があれば他に何もいらない、と言う意見があるのは知っている。
だが、待って欲しい。
そこに金と名誉があれば、かなりお得だと思わない!?
ボクは思う。
名誉で腹は膨れないけど、心は満たされるのだ!
他者からの羨望の瞳!
考えるだけでゾクゾクするね!
俗ではあるが、それはボクの自尊心を大いに満足させてくれるに違いない。
……忍者が目立ってどうするんだって言われそうだけど、一生忍者として生きる気もないしね。
仕事は嫌いじゃないけど、人生の全てではないのだ。
まぁ、その為にも布石を打つ必要がある。
パパの取り合いが本格的になる前に、エスカレートする前に目の前の獣を縛るルールを作る必要がある。
じゃないと、目の前のコレは何をしでかすか分からない。
ニコニコしながら後ろから刺してくるような怖さがある。
彼女の剣が折られてて本当に良かった。
さすがパパ、この未来を予測していたに違いない。
愛してるよ、パパ!
ボクとパパの為にも、行動を縛る必要がある!
流石のボクも刺されたら死ぬし、常に背中を気にして生きるのは嫌だ。
というか肉体的にはかなり弱っちいからね、ボクは。
パパは多少刺されたくらいじゃ死にそうにないけど、やっぱり痴情のもつれからの刃傷沙汰が旅の途中に起きるのは避けたい。
パパの事だ、そんなことが起きたら
パパの望みが何か分からないけど、多分悪いようにはしないでしょ。
と言うか、もし願いが「世界征服」とかでも、なんか今よりいい世界を築き上げそうなんだよね、パパ。
会ったばかりなのに、何故かそんな確信がある。
これもきっと愛ゆえって奴だね!
だからパパに不安はない。
この旅の一番の問題は目の前の地雷だろう。
よし、多少は打ち解けたような感じもするし、とりあえず提案からだ。
ヤバそうだったら屋根裏に逃げよう。
「……ところでメアリーちゃん。ボクから一つ提案があります」
「なにかな?」
ニコニコしているように見えるが、実際どういう感情を抱いているか分からない。
昆虫の魔物みてーだな、こいつ。
こわい。
「パパの事なんだけど。ルールを作ろう」
「ルール?」
反応は悪くない。
「そう、と言ってもガチガチのじゃなくて『なるべくこうしようね』くらいだけど」
あんまり縛ると無視するだろ、お前。
「うーん、内容によるかな?」
ごくり。
だから無表情で笑うなよぉ、怖いだろ!
「パパにアタックするときは、お互い邪魔をしない。お出かけとかする時はなるべく交互にする。とりあえずこの二つ」
本当に最低限度の縛りだ。
でも、ぶつかり合う機会を減らすにはこれしかない。
「……ふぅん」
「……先手は譲る、これでどう?」
譲歩を見せる。
実は後攻の方がボクは好きなんで、譲歩でも何でもないんだけど。
引いて見せる、という姿勢を見せるのは大事だ。
「……わかった、じゃあそうしましょう」
っしゃァッ!(ガッツポ)
パパ、ボクやったよ!!
化け物に首輪と紐をつけたよ!
褒めて! 褒めて! 抱いて!!
「じゃあ、明日からよろしくね、メアリーちゃん」
「よろしくね、シトリー」
互いの右手が握られる。
掌に彼女が積み重ねてきた歴史が感じられる。
……少なくとも剣に関しては真摯なんだね、メアリーちゃん。
でも、ボク負けないよ?
出し抜けると思ってるよね?
甘い、甘いよメアリーちゃん。
やれるものなら、やってみろ。
ぎゅ。
ここに淑女協定が結ばれたのだった。
ぎちり。
……あの、痛いんでちょっと力緩めてもらえないでしょうか?
メリメリ言ってるんですけど!
いたいいたいいたいいたいいたいいいいいい!!!!!! あーッ!!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
◇この話の裏で「ロッテの彼氏」の話がなされてます。
控えめに言って地獄。
◇メアリーちゃんは割とコミュ障です。
◇おかしい、異世界ファンタジーを書いている筈なのに、なぜこう入り組んだ人間関係の描写ばかり書いているのか……?
あまりにもメアリーちゃんがアレで、シトリーが押され気味になってて笑った。
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