第31話 名誉の死、恥辱の生(3)

 爬虫人類レプティリアンとはテラ語表現における爬虫類起源の人類種を指す。

 話者の体内の極少機械群マイクロマシンが、当該文明の言語から近しい意味に置き換えているのであり、獣人類セリアンスロープも同様だった。


 この際の爬虫類とは、脊椎を有する動物であり、角質で構成された硬質の鱗で身体が覆われているものを指す。また、長い尾を持つ種も多い。

 しかし、それらの特徴だけでは獣人類にも当て嵌まる種がいるので、これがややこしい。


 結局、知的生命体となる高等な動物を涵養する惑星環境と言うのは、ある程度は似通ってくる。充分な大気圧に守られた液体の水が存在する惑星であり、テラ人が航路を失った地球も同等の環境であったとされる。

 その宇宙レベルでは似通った生存可能領域ハビタブルゾーンにおいて、光年単位では似通っているとされる生物系統樹の、古い枝の直系と言うのが、爬虫人類の主立った特徴だった。


 少なくとも猿起源の人類にせよ、 獣人類の祖である小さな獣にせよ、爬虫類の系統から分かたれて幾星霜であり、それだけ生物としての立ち位置は離れていた。


 多くの爬虫人類レプティリアンは内向的であり、居住惑星から出ることなく生涯を終える。ゆえに【星間連盟】や【宇宙協商連合】のような拡大方針の星間国家に彼らの姿は無く、孤立するか同種族による緩やかなつながりを保つ星間国家を形成した。

 だが彼らが無気力であったり、まして平和主義であるかと問われると、これは否やである。


 過去、爬虫人類と星間戦争となった際には、攻守を問わず、苛烈なまでの戦意を見せていた。

 何か、彼らの文化的な琴線か逆鱗に触れたものがあるらしい。

 その何かが判然としないため、彼らと近接する距離に暮らす人々は、「文化が違ーう!」と敬遠するしかなかった。


 これが恒星間文明と言われる当代の、人類種にとってのレプティリアンへの認識である。


~ ~ ~ ~


 採掘場跡の壁面には幾つか、新たな坑道が穿たれている。山師たちが採掘終了した鉱山の残り滓を探しているのだが、闇市の債務者まで動員して積極的に掘っているらしい。内部はそれなりに長く、入り組んでいるようだ。

 ゆえに身を隠す余地がある、と宇宙海賊【青髭連合】の茶虎は思っていたようだ。


 実際、坑道内はそれなりの広さがあった。シンが直立しても天井に頭はつかえない。上も横も、手を伸ばせば届く程度。所々で壁面は砕けていて、鉱床の続きを探した痕跡がある。

 おそらくマルチツールの高強度レーザーのような機械力で掘削されているのだろうが、一輪車の荷台にスコップが並んでいたり、ツルハシが壁面に立ててあったり、やけに古い工作道具も見受けられた。


 天井には送電ラインが曳かれ、かなり距離が開いているが、照明も吊ってあった。常に通電してるのか、闇の中で所々、うすぼんやりとした光源が奥へと続いていた。

 僅かな可視光だが、スマートグラスの暗視機能で増幅させれば、充分な視界を得られる。ハンドライトを持つ訳ではないので両手も自由だ。シンは流体金属剣をいつでも抜けるように携えると、坑道の奥へと進む。

 休日なのか作業者の姿は無く、坑道の中は静まり返っていた。


 重心移動を滑らかに、足音を小さくして歩くが、靴底が地面を擦る音が思いのほか響いた。自分の出す音ばかりが耳に付く。ほんとうに、この先に誰かがいるのだろうか。そもそも自分は何をしているんだ。

 変化がない事から、今更のような疑問が湧いて来てしまう。

 ちょうど、照明と照明の間。最も暗闇が濃い部分。暗視機能ははたらいているが、シン自身の注意力は弛緩していた。


 ぬるりと、闇が形を持った様に工事用具の裏から伸びあがった。物音も立てず壁を登るヤモリの如く、その形は二足で立つ爬虫類そのものだ。

 シンが気付いた時にはヤモリ男は背後から首に腕を回し、裸締めを仕掛けて来た。


「ぐふっ?!」


 締まる首から絞り出された呼気が、間の抜けた声になって出た。

 背後から。奇襲。首を絞められた。積みあがる現状認識に、シンの中のスイッチが一気にオンになる。

 足で地面を蹴り、真後ろのヤモリ男へ背をぶつける。同時に上半身を上へ迫り上げる。


 横と縦。一挙動に二つのベクトルが発生した。ただ暴れるだけなら、ヤモリ男も身構えていられたろう。だが二つの力の流れには、脳が対処を誤る。受け止めた筈の人間の体が上へと逃れかけ、更にそこから体重と勢いを乗せて圧し掛かってきた。

 ヤモリ男はシンの体当てを受け止め損ね、諸共に後ろへ弾かれた。更にもう一度シンが地を蹴れば、坑道の岩壁に叩きつけられるのはヤモリ男の方だった。


「ゲェッ!?」


 呻き声と共に裸締めが解ける。シンは止めに、その場で腰を落として大地を蹴り、全力の背中からの体当てを放つ。

 ぐしゃり、と嫌な音をさせ、ヤモリ男が岩壁とシンにプレスされた。魂が抜け出ているような唸り声をあげて崩れ落ちたのは、テラ標準で2mはある、ひょろ長い爬虫人類だ。


「……下手に投げようとしなくて正解だったな」


 喉元を擦りながら呟く。どうも彼らは細身だが、上背があるようだ。ウェイト的にはやはり自分が負けるのだろう。

 ざっと確認すると、天然素材の衣服に金属製の腕輪や脚環を身に付けていた。古臭いイメージは民族衣装を思わせる。少なくとも【ヘキチナ】在住ではないだろうが、宇宙船で移動しているような恰好でもなかった。


 銃やナイフのように見える物は身に帯びていない。だがベルトに不自然に大きな金属部品がある。彼らにとっての携帯端末PDAや武器のホルスターの可能性はあった。

 いちおう、ベルトを外して背を反らせ、それで手足を縛り付けておく。


「こいつは見張りだったのかな……」


 爬虫人の意識は無いが息はしている事を確認し、立ち上がって一息吐く。

 確かに爬虫人類が潜んでいた。それも問答無用で襲い掛かって来るような、凶悪なやつが。

 シンは認識を新たに、慎重に歩みを進める。具体的には時々足を止め、赤外線モードで熱源を探る。


 爬虫類は変温動物なので、熱を太陽光から受け取れない地下では、体温が低くなっているかも知れない。自分で体温をつくらないのはエネルギーを消耗しない選択肢であるが、知性が有るというのは、放っておいても脳が多量のエネルギーを消費するという事だった。爬虫人類ともなれば、自分で体温を造る方になっていそうだ。


 結果から言えば、この行動は空振りに終わる。時間をかけて安全確認するだけに止まった。 

 もちろん生存者バイアスではある。警戒を怠り、再び奇襲を受けて命を落としたなら、そんな風には考えられない。ただ、安全確認と時間経過はトレードオフの関係になった。


 蛇行する坑道を奥へと進む。既に入り口の光は見えない位置に達していた。

 何度も繰り返した立ち止まっての安全確認。

 不意に前方の曲がり角から、幾つも熱源が現れた。

 シンは弾かれたように手近にあった試掘跡の壁のくぼみに飛び込む。


 胸が早鐘を打っていた。復路だろうか。まさか正面から遭遇する事になるとは、思ってもみなかった。どこか、悪事の現場の背後からなんて、物語の様なイメージがあった。


 物陰になりそうな場所に縮こまり、転がっていたスコップを自分の前に立てる。これでも誰かがシンと同じように赤外線視覚を持っていたなら、すぐに見つかってしまうだろう。例えばヘビの赤外線感知器官のような。


 スマートグラスは暗視モードに戻していた。熱は可視化できないが、視界自体は鮮明になる。もし切り結ぶような事態になったら、こっちの方がマシだ。

 ちょうど接近しつつある集団の照明が、光条となって何本か見えた。

 目を眩ませる白色の強力なものでなく、日用品ていどの光量だ。


『しめた!あまり装備は整っていないようだぞ……』


 シンは都合よくそう解釈したが、相手の生来の視力に暗視能力がある可能性は失念していた。


 やがて複数の足音が近付いてくる。地をする擦過音が絶え間無い。5~6人はいるだろうか。

 息を殺してスコップの裏に潜伏していると、頭上の高い位置にヘビやトカゲの顔が現れる。こちらを向いてはいない。さっきのヤモリ男と同じく、宇宙用とは思えない天然素材の衣服に、何人かが安い懐中電灯を手にしていた。


 皆、口々に何か話している。

 青い尾と同様、声帯のつくりが違うのか、掠れたような声だ。それも数が多いので、人間の耳には不快な音の連続に聞こえる。


「誉レ、コレハ誉レゾ」


「恥ㇵすすガレタ……使命ハ終リダ」


「恥ノ者共モ、名誉ノ死ヲ賜ッタ」


「オゥ、アノ者共ノ生モ、コレデ意味有ルモノニ ナッタ……一族ノ名誉ㇵ守ラレタ」


「コレデ子デモ成シテイタラ、ドレ程ノ恥ノ上塗リカト憂イテイタガ……」


「間ニ合ウテ何ヨリヨ」


 翻訳された言語からは感情までは読み取れない。それにはシン自身の感受性とか、交流による慣れが必要だろう。だが、物騒な事を言っているのは理解できた。

 そのまま息を殺していると、爬虫人たちの光源が遠ざかり、坑道のカーブの向こうに消える。


 大きく息を吐き、物音を発てないようにスコップを抜いて、再び奥へ向かう。気は重かった。あの爬虫人のいう事をまとめるなら、シンが何が何やら理解してないうちに、全てが終わっているようだった。

 努めて何も考えないように、早足で進む。程なく、その現場に辿り着いた。


 さっき聞いたこと、思っていたこと。すべて勘違いか何かであれば良いと思う淡い期待は、完全に否定された。青い尾と、半透明の鱗。二人の爬虫人が横たわる、惨劇の現場に相違なかった。


 特に半透明の鱗は女性であるにも関わらず、容赦なく首を切り裂かれ、自分の血液に溺れるような有様だった。血の気の失せた体は青白く、異界の美しさを放っていた鱗も曇って見える。

 顔に掛けていたヴェールは逃げる最中に落としたものか、素顔が露わになっていた。鱗に覆われており、頭髪は無い。見るからに爬虫類だったが、最初に見た時の印象と同様、顔のつくりは丸みを帯びて、人間であるシンの目にもどこか親しみが感じられた。


 もっとも、絶命した遺体に抱く感想と考えたら、標本を見るかのような、所詮は部外者の目線だった。だがシンパシーが無かったからこそ、耐えられているのかも知れない。あの爬虫人類たちが口にしていた事は、それだけ酷薄だった。


 名誉の死を賜った。

 彼らはそう言い繕っていた。アン姐さんは同族が奪還を狙っているのかも、と洩らしていたが、それどころでない。

 奪還でなく、抹殺だった。


『それにあいつら、子供がどうとかって……ッ?!』


 ハッとなって下腹部を見ると、そこにあった膨らみがなくなっていた。

 何があったのか、考えるのも憚られて言葉に詰まる。ようやく、長い溜め息だけが出た。

 そこでか細い息の様な、呻きの様なものが耳に届いた。青い尾に未だに息があったのだ。


 シンは驚いたが、彼の存命にか、その惨状にか自分でも判らない。

 腹を滅多刺しにされ、自らの血の海に浸かっている状況を、無事とはとうてい思えなかった。ただ神妙な面持ちで、シンは青い尾の前に跪く。


「……なぁ、あんた、俺が解るかい?」


 どうにも気の利いた言葉が思い付かない。だが青い尾は、苦しそうな息遣いで一度、ゆっくりと頷いた。彼の顔のつくりも丸く、シンの見立て通り歳若い事を窺わせた。


「……水、ウマカッタ」


 彼はシンの事を認識してくれていた。

 それも盗み食った標準型配食パックでなく、その時に渡した水の方を有難がったのが、何とも可笑しかった。シンは口角を上げてから、なるべく穏やかに問い掛ける。


「……言い遺す事はあるか?」


 すると震える指先が後背の岩陰を指した。


「姉上ノ……忘レ形見……ドウカ……」


 安請け合いを許さない、おそろしく重い話だった。だが、あるいは、少年じみた義侠心が刺激されたものか、


「わかった」


 シンは頷いていた。

 聞き届けた青い尾の瞳が揺れると、ふっと糸が切れたように腕が落ちる。


「……ザマア、ミロ――」


 最期に消え入る声が、そう言っていた。

 不意に坑道の入り口側から、獣の咆哮が聞こえてきた。それは音の伝播という現象以上で、怒りまで伝わって来るかのようだ。


「見付けたぞぉ!!このトカゲどもがッ!!」


 ドスの効いた野太い声は十中八九、【青髭同盟】の茶虎だ。彼らの仕切りである臨時奴隷市をブチ壊され、まさに虎の尾を踏まれた状態だった。


「血祭りにあげろぉッ!一匹も逃すなぁーッ!」


 坑道の中に響いてくる負けず劣らず物騒な物言いに、シンは呆れをおぼえた。

 おそらく銃撃戦が始まっている。だが一般的なレーザーガンやニードルガンは、炸薬の爆発を伴わないので、派手な発砲音は聞こえてこない。それでも荒っぽい茶虎が怒り心頭なのだから、『ざまぁない』事にはなっているのだろう。


「面子だか名誉だか知らんが、どいつもこいつも、命じゃないと贖えないモンなのか……」


 呆れていたはずだが、声は沈んでいた。そして独白のつもりだったが、彼の背後に――けっこうな速度で走り込んで来て――立つ影が応える。


「……所詮は異なる星の、異星人同士なのです。共通のモラルを外につくって新しい集団になるか、内側へ向けて囲って外からの影響を排除するか。恒星間文明と聞こえ良く言ってはいますが、現実は軋轢と葛藤なのです」


 タマさんであった。

 あの黒インナーの強化服エクソスーツに女給スタイルであるからして、トラフィックでのバイトから直行だろう。というか、


「【青髭同盟】に通報したんだね」


「騒動の終結に必要と判断しましたので」


「あいつらには見つかりたくないなぁ……」


 シンは青い尾が今わの際に指さしていた岩陰を覗き込む。球技に使うような楕円形の卵が一つ、彼が身にまとっていたボロ布をおくるみにして安置してあった。

 タマさんが器用に片方の眉を上げて言う。


「契約前の奴隷の出産となると、奴隷商人が子供の所有権を持つことになりますが……市場を襲撃した爬虫人類レプティリアンに、母体と共に殺害された。そういうことですかね?」


「そういうことだね」


 シンが頷くと、タマさんはおくるみに手を伸ばし、手振れ補正を全開にして持ち上げる。ここまでに主人に何があったのかは判らないが、これが今回の厄介事なのは理解していた。


「では早急に、坑道の別の出口から脱出しましょう」


「ありがとう!」

 淡い笑みを浮かべるシンだったが、どこかやり切れないものが滲んでいた。

「何か、もっと上手くやれると思ってたんだけど……」


 ちらりと爬虫人類の遺体を見遣る。

 言外で力になれなかった事を詫びると、おくるみの中の卵を目を向け、自身に確かめる。


 【ヘキチナ】に到着して、最初に舞い込んだ少女からの頼み事が思い返される。あのデータチップを彼女の母に渡せていたら、闇市ブラックマーケットに訪れることは無かったのかも知れない。だがあのデータチップを握り潰したヴィクトルの言う通り、過去を捨てた女性にそれを渡す事が、最善であったのかも判らない。


 どちらも可能性の話であり、もしくは量子の揺らぎのように説明が出来るのかも知れない。

 不確定性の中でただ一つ確かなのは、今回、この卵の命運は、シンが握っているのだという事。


『ああ、今度はうまくやるんだ』


 ひどく曖昧な誓いを、シンは自分に立てるのだった。

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