第46話 たのしい宇宙一年生:宇宙考古学者のお仕事(2)

 全裸の美女に圧し掛かられる夢を見た。

 夢だと判ったのは、美女の顔はブラウンの髪以外が不明瞭で、豊かな乳房も肉体の柔らかさも、肢体の細かなディテールの殆どが曖昧だったからだ。つまりシンの記憶に無いので、詳細な描写が出来ていない。


 脳内の極少機械群マイクロマシンたちによる補助脳が、助平心に応じて未確認部分を補填してくれないかとも思うのだが、残念、シンは未成年だ。機能があったとしても、適応年齢に達していない。


 そんな訳で、なぜか胸に重苦しさ感じさせつつ、曖昧な美女の概念はシンにしな垂れかかり、彼の唇を奪う。おまけに追加で舐めまわしてきた。

 まったく艶っぽくない、びちゃびちゃとした水音と一緒に、粉末の動物性タンパクと思われる獣臭さが口と言わず鼻と言わず蹂躙する。

 急速にシンの意識が覚醒し、カッと目を見開いた。


「こらっ、お前らッ!?」


 堪らず叫びながら、圧し掛かっていた息苦しさのもとであるブラウンの毛玉を顔から引き剥がす。美女でなければ、キスでもない。犬の舌と唾液に残留するカリカリの臭いだ。

 引き剥がされて宙ぶらりんのコーギーは「おんっ」と一声吠えて、さっそく朝食の催促をする。


 シンは口元を拭いながら、くたびれた欠伸とともに周りを見渡した。居住モジュールの簡易寝台の上。両足には残りのコーギーが二匹、人の躰を枕にして寝ている。

 調査を始めて三度目の朝。いい加減、犬たちも慣れて来て、我が物顔で振る舞うようになって来た。朝の給餌を求めての熱烈なモーニングコールが良い例だ。


 彼らの親分であるシュープリンガーがいれば、もう少し静かにしているだろうが、彼は人一人で手狭になる居住モジュールを避け、キャビンの助手席で丸くなっている。曰く、


「プライベートは大切ですからな」


 俺のプライベートは犬まみれなんだが。シンが心中で腐しながら足を揺すると、枕が動いて寝ていた二匹も起こされる。彼らが揃って欠伸をすると、シンもつられて再びの欠伸が出た。

 朝の空気を吸って目を覚ますため、スライド式のドアを開く。居住モジュールの外はトイレと自販機だけの簡素なパーキングエリアだった。


 太陽は地平線から少し登った程度。朝の清涼な空気、と言いたいが、ここも大草原の小さなスペースのため、植物の青臭い空気が滞っている。

 さっそく飛び出して意味も無く走り始めるコーギーを尻目に、リクエスト通りに餌を準備してやる。ペット用の軽金属性ボウルが二つ。片方にはカリカリを入れるのだが、セメントの袋のようにデカいやつにボウルを突っ込み、雑に掻き入れた。


 もう一つには水を注ぐ。居住モジュール内の水タンクに充填した市販のミネラルウォーターだ。

 例えば宇宙空間などで期せずしてサバイバルを強いられた際には、自動調理機と物質精製機をフル回転させ、様々な物体から飲み水を調達する事も出来る――出来るのであって、常に使用したい機能でもないのだが。


 そうして室内で準備した餌を外へ持ち出すとき、ドライ・ペットフードがボウルの縁に触れ、カランと乾いた音を立てた。

 一心不乱に走り回る三匹の耳がピクリと動き、こっちを視認するや、一斉に突っ込んで来る。飛び掛かられる前にシンがボウルを地面に置くと、我先にと皆で鼻先を突っ込んでガリガリと食べ始めた。


 今日もすこぶる食いつきが良いのを確かめ、もう一人の分の食事を用意してやる。

 ボウルに取ったカリカリに、自動調理機から熱湯をかけた。少しおけば水分でふやけ、温度も下がる。そうしたら追加の使い切りパッケージの封を切って、中のペーストをかけ回した。チュール、と呼ばれる愛玩動物用おやつの宇宙的ヒット商品だ。


 シンのゴキゲンな朝食、では勿論ない。シュープリンガー用のちょっと手を加えた食事だった。

 コーギー達の分と比べて調理の手が入っているので、嗜好品としての側面が強い。とは言え、こしらえているシンとしては、


「――知性化処理されても持って生まれた体は変わらないのだから、食性も変えられないんだよな」


 呟くと、じきに起床してくるだろうシュープリンガーを居住モジュール内で待つ。

 人並みの知性があろうが、半分程度の知性とされる処置だろうが、食事は元の体と同じ。コーギーたちの食べっぷりを見るに不満は無さそうだが、そうすると知性とは何なのだろうと疑問も湧く。


 本来なら自由な手と道具のような組み合わせと、それなりの時間があって、知能が発達してゆく。その際の群れ内でのコミュニケーションや、自然環境からの刺激が様々な認識を育てていった。

 やがて本能から習性が産まれて共有され、集団の文化となり、集団を募って文明が発生する。


「――でもそう考えると、滅亡寸前の地球から引っ張り出されたテラ人って、宇宙に対応した知性を獲得してはいないんじゃ……むしろ後発的に与えられた分、知性化処理犬と、同じ?」


 シンは朝食にしようと手に持った栄養4号のパッケージと、シュープリンガー用に準備した”調理したカリカリ”とを見比べる。


「あげませんぞ?」


「うわっ?!」


 認識の外からの声はシンは狼狽えた。顔を上げるとシュープリンガーが居住モジュールに入って来るところだった。


「おはようございます、今日も良い朝ですな。それにゴキゲンな朝食だ。ありがとうございます、この手では器用な真似は出来ませんでな」


 そう言って彼は引っ込まない爪と、大きな肉球の手の平をパタパタと振った。

 どう返したものか。シンは曖昧な笑みをうかべ、栄養4号の封を切る。


「いや、お湯でふやかしただけだよ」


「いやいや、御謙遜を。均等にふやけるように、全体をかき回す気配り。そういうのを、犬は忘れないのですよ」


 自分を犬呼ばわりしたシュープリンガーはあんぐりと口を開けると、”調理したカリカリ”をもっちゃもっちゃと頬張る。

 確かにシンの加えたひと手間だった。だがそれで調理では、あまりに寂しい。シンの中の地球人、三浦真の経験の中にある様々な料理と比べてもそうだ。


 ところが海洋哺乳類イルカが効率的にイカを分解し、可食部分だけを食べるのも、調理に値するらしい。どこまでが群れの中で継承される技術で、どこからが美食や好奇心の探求になるのだろう。


『……少なくとも、栄養4こういうものが知的生命体の辿り着いた究極の飯……なわけはないよね』


 宇宙での利便性優先とか、非常用とか、ソレが生まれた理由はあるのだろうが、その辺りは深くは考えず、シンは幼児用のブロック玩具のような栄養4号に齧りつく。ちなみに硬さも見た目通り、ブロック玩具のようだった。

 どうにか噛み砕くと、雑多なビタミン・ミネラルの錠剤を挽き、型に充填して抜いた様な感じで、味は薄くて異様に粉っぽく、口内の水分を持ってゆかれる。


 調査中の食事は面倒見て貰えるとの契約だったが、水と栄養4号の支給という形らしい。味的にはちょっと詐欺を疑うが、そこを詰めたのはタマさんなので、彼女のお眼鏡には叶っているのだろう。ヘタに文句を言ったら「何か落ち度でも?」と凄まれる危険性まである。

 そうなると知性の深度の問題ではない。影の最高権力者の胸先三寸の話だった。


 シンは詮無い考えを放棄すると、栄養4号の硬さを少しでも忘れようと、携帯端末PDAから今日の工程を確認する。

 いよいよ、あと半日も走れば長大な都市間のバイパス道は終了する。その先は未開通だが、惑星【タッタ】最北の集落があり、そこで開発は停止していた。

 今後、惑星全体で人工が増えてゆけば、政府主導で新都市の開発計画が持ち上がり、また草原が切り開かれるのだろう。

 それまではタッタ鳥たち、原生生物の草原だ。


 PDAには解像度の低い平原の空撮画像と、その上に引かれた大雑把な等高線。利用予定の無い僻地であるから、数年前に衛星から撮影されたきりの物だろう。

 そこなら何か見つかるだろうか。


 顔をしかめる様に奥歯で硬いブロックを磨り潰していると、シュープリンガーが一足先にボウルを平らげて顔を上げる。しきりに舌なめずりをするのは、犬の習性の名残りだ。


「本日の作業確認ですかな。食事に集中出来ないのは、駄目人間ワーカー・ホリックの第一歩ですぞ」


「美味しくない食事に集中するのは、苦行とか言うんじゃないかな。ところでシュープリンガー、もうじき当初の予定における最終地点なんだけど」


「見事に何も見つかりませんな」


「見落としがあるのかな。ドローンからの測量データは正常だったよね?」


「はい。毎朝、作業開始前にレーザー機器のキャリブレーションをしてから始めていますな」


 そうだよねぇ。シンは今更ながらの確認を交えつつ、画面を指先でスライドさせる。それ自体も特に意味がある行動ではない。


 上空からの測量データで更新された地図は、道路の周辺ばかりが精細に表示されていた。が、そこに有意を見出せる地形は無く、多少の凹凸が繰り返されるだけ。ともすればモグラや地ネズミのような地下棲動物のトンネルの出入口すら読み取っている。

 シュープリンガーも下から首を伸ばして覗きながら言った。


「【タッタ】の開拓地域は遮蔽物が少ないですので、都市間道も曲がりが少なく、ほぼ直線です。ここに地軸の傾きを計算に入れたうえで、太陽やその他、夜間の星の季節ごとの出入りを当て嵌めますと、タッタ鳥の獣道に合致するものが幾つかあるのですよ。ですが、夏至や冬至のような、ハッキリと分かる特徴が見つからないそうでして……」


 何かの論拠には乏しいのだ。

 ある遺跡、例えば環状列石などのモニュメントが、季節の節々で太陽の方向を示すというのは、ままある話だ。ところが今はそれ以前の、ある遺跡の延長線上になるかも知れない、その線を辿っている訳だ。


 シンがううむと唸りかけたのを、突然の宇宙コーギー達の吠え声がかき消した。

 シュープリンガーと顔を見合わせ、外へ飛び出す。と、草原から大きな影が立ち上がり、コーギーたちを見下ろしていた。


 大きなクチバシと頭に、反して小さな胴体と、そこから突き出した二本の太い足。

 野生のタッタ鳥だった。頭頂高はシンより少し高い、大型の個体だろう。問題はその足元で牙を剥いているコーギーたちだ。

 クチバシだろうが蹴爪だろうが、ひと突きされれば体格差で大怪我を負うだろう。それどころかひと飲みにされかねない。捕食対象にされ兼ねない、絶妙なサイズ差があった。


「毛玉たちッ!ステイッ!ステーーイッ!!」


 待てと連呼する横を、四つ足のシュープリンガーが颯爽と追い越してゆく。

 吠え声が四重奏になったところで、シンはようやく追い付いた。だがこっちは走るには使えない自由な手で、マルチツールを構えている。モードは短射程、高威力のプラズマ・スキャッター。どうせ距離は目と鼻の先だし、工業用レーザーも釘打ちネイルガンも、タッタ鳥を止めるには小さいだろう。


 だがすぐにはトリガーを引かない。タッタ鳥は吠え声に怯む訳ではないが、即座に捕食に走る訳でもなく、ただ立っているようだった。

 シンは大きな飛べない鳥の全身に目を配る。こういう野生生物はノーモーションで動き出すので、安心は出来ないのだが。


 レオナルドが指摘していた風切羽の発達は見受けられなかった。どころか、退化した翼は胴体にピッチリとおさまり、一見すると痕跡すら無いように見える。


 体色はくすんだ土気色で実に地味だ。青々とした草原の色合いからは逸脱して見えるが、今し方も接近に気付けなかった。おそらく風で揺らめく草の中でうずくまると、植物の陰影の中に消え去ってしまう絶妙の配色なのだ。

 そういう天然のカモフラージュをシンは密林で嫌と言うほど見て来た。


『……まぁ見て来ても、こうしてまた鉢合わせする訳だけど』


 学習だけでは如何ともしがたい自然の脅威を感じつつ、シンは今一度タッタ鳥の全身を見回し、ふと違和感を憶える。


 初日に上空から見た走るタッタ鳥には、野生のもつ躍動があった。しかるに今、目の前に突っ立っている個体からは、そういうワイルドライフとか生物学者がキタ!みたいな、絵になるものを感じない。

 よく見ると、この個体は所々で型崩れした羽根が毛羽立ち、足の鱗状の皮膚も不揃いな凹凸が目立った。そこから感じるのは、生命力の強さでなく、むしろ衰えだ。


「……高齢の個体みたいだな。襲ってくるような元気もなさそうだ。皆、吠えるの停止して、目線は反らさず下がるんだ」


 シンの要請に、シュープリンガーとコーギーたちはピタリと唸りを停止させる。それから皆で視線は反らさず、ずりずりと後退する。

 本当に襲っては来ないのか。まだ張り詰めたものが残るなか、背後の道路をトレーラーが一台、走ってゆく。


 陽電子電池とバイオマス軽油のハイブリッド・トレーラーは惑星の工業レベルに最適化され、環境負荷の低さと持続性とを現実的に両立させた優良車輌だ。動力源はモーターなので内燃機関と比べると静音仕様だったが、やはりサイズが大きいので、それなりの駆動音を伴って走っていた。

 その騒音に老タッタ鳥は何かを思い出したように顔を上げると、草原へと駆け入った。老いたりとは言え、地を駆ける鳥だ。すぐに朝日の中へ消える様に遠ざかってゆく。


「追い駆けますかな?」


 シュープリンガーが伺いを立てると、シンは首を横に振る。


「いや、一頭ばかり追跡してもね。それにドローンを使えば、混乱して迷走するだけじゃないかな」


「でしょうな」


 最初ハナから追わせる気など無かったのだろう。シュープリンガーはシンの判断に同意すると、太い犬歯を剥いて満足そうな笑みを見せた。


 それから一行は予定通りにパーキングエリアを発し、バイパス道周辺のレーザー測量を続けた。

 タッタ鳥がドローンを避けているのは、いよいよ本当のようだった。昼頃に道の終点に到着するまで、新たなタッタ鳥にはお目に掛れなかった。


 強化コンクリートの道路は唐突に途切れ、隣接する集落へと引き込まれていた。

 長閑な農村だ。木々に乏しい惑星なので、開拓時の乗り込みに使ったような居住モジュールにそのまま住み込んでいる。立方体の遊びの無いデザインの建造物が、長めの距離をとって並んでいた。


 この辺になると大都市へ併設された加工プラントから大分離れるため、同様の牧畜を営むには移動距離分がコスト高になる。なかなか、田舎でスローライフとは洒落込めなかった。


 かわりに惑星【タッタ】内で消費される農産物の栽培地として割り当てられているようで、今も色とりどりの野菜を満載したトレーラーとすれ違った。

 あのトレーラーは何処かのトラック・ストップで夜の過ごすのだろうが、集落のはずれにはトラッカーたちの需要を当て込み、駐車場を広くとったモーテルも建っている。


 シンもそろそろ濡れタオルで体を拭くだけの生活が続き、熱いシャワーが恋しくなっていた。今晩はそこを宿にしようと決める。

 なお宇宙コーギーたちはペットお断りのため、引き続き居住モジュールに滞在となった。シュープリンガーは知的生命体である事をフロントで説明し、どうにか宿泊許可をとれた。


 日が落ちるまではドローンを飛ばして集落周辺の調査を行ったが、ここでも古代タッタ人の痕跡は発見できなかった。


 翌日には空路で第二都市ザンギまで一気に帰ってしまおうか。そんな事を夕飯時に入った集落唯一のダイナーで相談していたところ、思わぬ転機が訪れる。

 食料プリンター出力のパンケーキと厚切りベーコンの樹液シロップがけを注文しつつ、恰幅の良い女将にタッタ鳥のことを訊ねたところ、


「あー、そういやあいつら、道も終わってるのに真っ直ぐ北へ走ってくねぇ。たまに見るけど、どこに向かってるんだろね」


 道は途切れても、タッタ鳥はまだ先へ進んでゆくらしい。これはどうやら、こちらも道が無いので調査終了、とはゆかないようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る