第34話 抱卵期のはじまり(3)

 小惑星帯アステロイドベルト近傍で二つの彗星がぶつかり合おうとしていた。いや、無窮の宇宙でそんな事態など、素粒子同士が正面衝突するような物だろう。偶然は無く、互いにぶつかる意思が無ければ起こりえない。

 片や金属光沢を放つ涙滴型の独特な形状をした宇宙船。片や宇宙を翔ける豆粒の様な軽トラック。


 銀色に光る宇宙船の上部には二基の箱が飛び出していて、そこから幾条ものレーザー光がほとばしっていた。並列掃射機能に長じた多砲塔のレーザーアレイだ。

 それぞれが対物センサーの反応に向かって自動射撃しているのか、闇夜で空に向けたハンドライトを振り回すような乱暴さだった。


 対する宇宙軽トラは500年前の設計とは言え、今では建造されていないハイエンド型。対デブリ・ディフレクターを兼用した、れっきとした防御フィールドが備わっている。レーザーアレイの一本や二本かすめるくらい、どうという事は無い……と思いたいシンであった。


 既に宇宙軽トラの前面モニターはしっちゃかめっちゃかだ。

 林立するようなレーザーの嵐と、その予測移動方向がつくる赤色の危険域で、何とも視界が狭い。

 なし崩しに全ての演算を負わされているタマさんは口を引き結び、時折、負荷の大きさに頬を痙攣させていた。


「……それでマスター、どうするおつもりです?」


「まずは接近するよ」


 無体な物言いに一瞬、タマさんが無表情になった。人工の表情筋が飽和するくらい、電脳から発せられる感情プログラムの揺らぎと、演算による過負荷とが積み重なったらしい。


「うっ……あふぁ……ふぅ、さすがマスター、わたしをここまで追い詰めるとは……ほんと、ここを切り抜けたら、おぼえておいて下さいよぉ……」


 熱の籠った言葉のわりにタマさんは満面の笑みに変わっている。満面過ぎて、たぶん、完全な営業スマイルだ。それが一番負荷が少ないのだろう。

 あるいは『笑いとは本来攻撃的なものである』との言葉の通り、シンに対して大それた企みをしているのかも知れなかった。


 一方、シンだって操縦でそれに気付くどころでない。操縦桿を小刻みに動かし、船体を右へ左へ、細かくさばいてレーザーの危害範囲の隙間を縫うように飛ばす。

 ヤモリ男は『差し違えても』との言の通り、エネルギー残量などお構いなしにレーザーアレイを垂れ流していた。次の一合で同等の弾幕になるのか、定かですらない。あるいは推進剤残量も気に留めていないのか、遮二無二、突進してくる。


 それを真っ向から受けるのは下策ではないか、とも思うが、そこは艦長【0567$^0485】の薫陶である積極果敢・見敵必戦の精神だった。

 ちょうど、シンの視界の隅にアンドー1号からの準備完了の報告が表示される。

 シンは意を決し、操縦桿を振っている手の動きを瞬時、停止した。


 敵船のレーザーアレイの”目”がこちらの単調な動きを捉え、複数のレーザーを殺到させる。束ねた光の柱がこちらを押し潰すように迫った。

 AIによる反射的な行動だった。


 すぐさまシンは船体を左横転させて降下にうつる。そこまでは読み通り。だが続けてアラート音が響き、前面モニターに赤色の危険表示が横一文字にはしる。

 横合いから殴り付けるようにレーザーが迫っていた。最初の収束に遅れたのか、時間差攻撃を狙ったのか。


「くッ……!」


 シンは歯を食いしばりながら操縦桿を僅かに引き、障害物と化したレーザーを飛び越える。すぐに操縦桿を横転、機をスピンさせた。見かけの上下が逆転し、直前に浮いた分だけ、ぶれた機動を修正。

 再びアラートと、前面モニターを横切るレーザーの予測機動。

 機首を上げてやり過ごし、また上下反転の切り返しで軌道修正。またアラート――


 矢継ぎ早に宇宙軽トラの未来位置に射しこんで来るレーザーを、激しい蛇行を繰り返して回避を続けながら、銀色の敵船へと逆落としに距離を詰めてゆく。


「んんんんんんッ……」


 上下反転の回数の多さに目が回りかけていた。思わず口の端から呻きが漏れ出る。握っている操縦桿の向きと、キャビンの今の状態がいまいち一致しない。


「マスタぁーっ!!」 


 タマさんの呼ぶ声。ハッとなった。回転で朦朧としているのを察し、タイミングを見計らっていたのだろう。気付けばモニターいっぱいに、銀色の涙滴型船体が迫っている。


「減ッ、速ぅ!」


 スロットルレバーを一気に下げてエンジン出力を絞る。更にレバーを握る左手の指で逆噴射ボタンを押し込んだ。続けて操縦桿を引いてキャビンを上向かせる。

 どん、と尻の下から振動を感じた。エンジンブロックが真下を向いて、これまでとは逆のベクトルに推進剤を吹いていた。

 これまでに積み重ねてきた運動エネルギーを打ち消すため、大量の推進剤を浪費させねばならなかった。


 敵船の真正面。さらに減速をかけると、モニターには正面衝突を警告する赤色アラート表示が点滅し出す。

 が、機速を失いつつある現状では、迅速な回避運動は行えない。正面衝突の危機は回避しようがないのだ。

 一瞬、左手が握るスロットルをメカニカル・ロックまで押し込み、無駄だろうが機速を回復させようとする欲求に駆られた。

 と、その左手にタマさんが右手を載せる。


「大丈夫、やれますのでしょう?」


「あっ……ああ!」


 弾かれたように操縦桿を左に倒し、左のフットバーを蹴り込んだ。運動エネルギーの殆どを失いつつある宇宙軽トラが、ぱたんと横倒しになる。残った僅かな慣性が、敵船の船底の下へ滑り込ませていた。


 右舷側のハッチからアンドー1号が上半身を乗り出す。両手でまるで拝むようにマルチツールをホールドしていた。 

 その先端には懐中電灯の様な流体金属剣の基部が差し込まれ、握把は直角に折れて、全体の印象は大きな一本の工具に見える。マルチツールのバッテリーとプラズマ制御機能に連動した、いわば合体剣モードだ。


 いや、技師の調整を終えた今、更にその先がある。

 二段階のスライド式に握把が伸びた。大柄なアンドー1号なら両手で構えるくらいの長さで、シンならばちょっとした小槍程度になりそうだ。

 まだ刃は形成されていない。だがこの時点で、彼らが何をしようとしているのかは明白だった。


 アンドー1号はマルチツールの背部から飛び出したT字のグリップを引く。プラズマ・スキャッターのカートリッジが手動装填され、封入されていた特殊ガスが一気にプラズマ化した。


 ゾル・ヴィーゼニウムと名付けられた流体金属に大電力が通され、金属原子が励起。瞬時に冷たく輝く巨大な一本の結晶のように成長した。その質量はあくまでシンが振るえる長剣一本分。薄く、薄く、刃の先端で金属原子数個にまで延ばされた流体金属の表面を、高温高圧のプラズマが覆って威容を維持している。


 その瞬間、まさに宇宙軽トラが正面衝突をギリギリで避け、銀色の宇宙船の船底をかすめる様にすれ違う直前に、巨剣はその姿を現わしていた。

 アンドー1号は長く伸びた握把を、体の前でしっかりと両手で握って固定。あとは彼我の速度差が全てを解決してくれる。


 その爬虫人類レプティリアンの宇宙船を銀色に飾っているのは、初歩的な光学兵器用のコーティングだった。高熱を帯びると瞬時に剥離し、気化して、レーザーやビームを攪乱させる。

 今も凄まじい火花を散らして気化したコーティングを燃焼させながら、両者はすれ違いつつある。先程からのレーザー機銃の効きが、いまいち奮わないのと同様にも見える。


 だが今回は、合体剣がまとうプラズマの下に流体金属の刃が控えている。

 金属原子数個分の厚みしかない刃筋が、気化したコーティングの下にまで届き、音も無く船殻に食い込んだ。

 交錯は一瞬。


 アンドー1号は微動だにせず、合体剣を真正面に構えたまま。役目を終えた刃が消え、プラズマがスパークとなって宇宙空間に拡散してゆく。

 と、宇宙軽トラ後方で、時間差のように銀の宇宙船が震えだし、エンジンを停止させた。

 タマさんが歓声をあげた。表情は固定の営業スマイルでなく、自然な笑みに戻っている。


「赤外線反応、減少っ!位置的に、敵船の反応炉を断割!!」


「よぉしッ……」


 シンも歓喜、というよりは安堵の声を発する。

 彼らの背後で爬虫人類レプティリアンの宇宙船は慣性のみで直進を続け、やがて小惑星の一つに衝突した。音が伝播する空気は無いが、まさに『ぐしゃ』という表現がピッタリな光景だった。

 宇宙軽トラの水平を戻し、アンドー1号は念のためレーザー機銃を構えたまま、レーザーアレイの無い敵船の下から接近する。

 

 岩塊に前面がめり込み、金属の塊りであるはずの船体は、衝突時の圧力で水のような振る舞いをしたのか、岩肌に薄くへばり付いていた。宇宙船としての機能は完全に喪失したと見てよい。

 ヤモリ男の声が通信機から聞こえてきたが、無事とは思えない苦し気な声だった。


「……ウゥ、使命ハ、果タシタノニッ……我ラハ 部族ノ名誉ヲ守ッテ……帰ルダケッ、ダッタノニ」


 嘔吐するような水音が聞こえてきた。何かに圧し潰されて血を吐いているのだろう。


「呪ワレヨッ……オ前タチノ航海ニ災イ、アレッ!」


 そう罵ると、そこから暫く『宇宙で遭難した時の嫌な最期集』を捲し立て続けた。シンは流石に気分が悪くなってくる。このまま通信切って飛び去ろうと思ったが、ふと、思い出した。


「ああ、そうだ……水晶の姫だったか。彼女の卵は当方で保護している。人道に則って孵化させるから、あんたは安心して、そこで干からびてくれ」


 通信機の向こうで息をのむ気配がした。と同時に、隣りで聞いているタマさんは「うわぁ」と、主人の所業に若干、引いている。

 今わの際だろうに、容赦なく蹴たぐるようなものだ。現にヤモリ男は激しく狼狽えるのだった。


「オォ?!何ト イウコトヲッ!?部族ノ誉レガ……イヤ、ソレヨリモ、アレハ孵シテハ――」


 炸裂音と共に通信が切れた。それから推進剤が漏れて火花に触れたのか、後方エンジンから火球が生じ、船全体を飲み込んだ。あっ、と言う間の出来事だった。


 孤立部族の爬虫人類レプティリアンでは、航宙船レベルのダメージ・コントロールの概念は得られなかったのだろう。船体の構造材すら燃焼させて、やがて火球はしぼみ、反応するガスすらも無くなった後には、原型も判らない燃えカスが漂っているだけだった。

 実時間にして物の一分。あまりに性急な事に、シンは呆気にとられてしまった。

 さっきまで話していた相手が、なんて段階ではない。


「ひどいな、もう跡形もない……何か、最後に卵を孵すなとか言ってなかった?」


 シンは怪訝そうにタマさんの腹部の大きな膨らみ――厳密にはエプロンの下で、緩衝材で厳重に包まれている水晶の姫の卵へと目を向けた。

 タマさんはその視線に妙なシナをつくり、


「産みますからね?」


「もう産んでるでしょうが……」


 シンの突っ込みは力ない。なし崩しの遭遇戦で高まった緊張が急速に解け、今は脱力感に包まれている。


「それに、卵を孵化させるために手を尽くしたんだし、今更言われたって、ねぇ」


「そうですねぇ、いや、まったく……」


 首肯しつつ、タマさんはヤモリ男の最期のセリフを電脳内で再生させ、気になるニュアンスを検出している。


『でも、最後のフレーズだけ、やけに切羽詰まっていたと言うか……これまでの彼らの名誉とやらとは、違うベクトルだったようにも聞こえるんですよねぇ。マスターはそこまで深読みしてないようですが』


 というか死体蹴り紛いの煽りを入れるくらいには、彼らを敵視していたようだった。子供はその辺り、まったく容赦がない。敵への理解などに精神のリソースは裂かぬ、とばかりに。


『彼を知り己を知れば百戦あやうからず、って教えてた筈なんですが……』


 タマさんは電脳内で苦笑しながら、シンの人付き合いを広げるのも次の課題だなぁ、と漠然と思考を巡らせていた。

 正直なところ、卵のことは情操教育にちょうど良い、くらいの認識だった。

 なにしろ、もはや死人に口なしである。気にするレベルの問題は無く、タマさんに取ってはあいも変わらず、マスターが第一であった。


 そういう意味ではヤモリ男はいい面の皮というか、怒って良いというか。関わった相手がひどかった、が一番正しいかも知れない。


 シンは色々あって高機能な極少機械群マイクロマシンに、機能だけタダ乗りしている幸運(?)な少年であり、タマさんは性急すぎる権限拡張により、ほとんど違法な性能に達している機械知性だ。

 どだい、宇宙の常識にやさしくない。そういう主従の航路は無頼、気ままに、あっちへフラフラ、こっちへフラフラと続いて行くのだ。


「タマさん、ところで戦闘が終わって集中も切れたんだけど。銀河ハイウェイのレストエリアのダイナーで食事とか、休息とか……」


「良いですね、その戦闘のせいで推進剤を余分に使っていること以外は」


「……あれ?何か風向きが悪いぞ?」


「残量から計算すると、ランデブー・ポイントまでのお時間も圧していましてぇ……ですから、今回もマスターの肉体に自動操縦して貰って、効率的に行きましょうね?」


「ね?じゃないッ!だから俺の意思を無視して自動操縦(物理)を始めるなーッ?!あーッ、さては、レーザーアレイ回避の時の負荷を根に持ってるなっ!?」


 そうして今回もシンは瞬きの自由もない、体内のマイクロマシンに制御を奪われた状態で、強制的に操縦のお時間にされるのだった。

 もちろん完璧なモニタリングにより、健康状態は維持される。宇宙広しと言えど、ここまで熱烈にお世話しつつ、主への強要も辞さない機械知性はそうそういないだろう。


『いて堪るかーーーーーっ!』


 シンの抗議は声帯に対してはたらき掛けにならなかったし、たとえ音になったとしても、隔壁一枚外は真空の宇宙であった。

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