第15話 挨拶とか、身辺整理とか(2)

 艦橋内でアンドー1号の固定器具と、それから積み荷保護用の荷台カバーも見付けた。まさにトラックの積み荷に被せる帆布だが、これでも宇宙線を弾き、ちょっとしたデブリからも荷台を守る特殊素材製の優れモノだ。

 それから、これまで使用していた工具類をツールボックスに詰めて荷台に乗せる。


 こうなると船外作業用に宇宙服も欲しいのだが、巡洋艦【02¥^03985】には、それが必要な船員がいないために用意されていない。何しろアンドー1号以下、全員が素の状態で船外活動が可能なアンドロイドだ。

 これでは中古の宇宙服を拝借、とはゆかない。宇宙生活者になれば、いずれは必須の品だろうが、しばらくは見送る他ない。生命維持装置を備えたれっきとした宇宙服というのは、かなり値が張った。


 そして必須であっても後回しに出来るくらいには、主要な宇宙交易路まわりは開発が進み、それなりの安全が保障されている。

 もちろん目下の目的地は、まともな航路から外れた海賊の勢力圏に隠された巡洋艦【02¥^03985】だ。宇宙空間での作業もあるだろう。より長期の船外活動が出来る強化外骨格エグゾスケルトンとか倍力服パワードスーツだとかの、これまた高価な装備を揃える必要もありそうだ。


「……どこまで行っても金、金、金だなぁ」

 

 シンは野外で鍋を焚火にかけながら、暗澹というよりは、茫洋とした気分で呟いた。裸一貫過ぎて上を見たらキリが無い。

 鍋の中には獣肉と栽培試験中の蕪のような原種に、香草らしき雑草。保存の観点から宇宙に持ち出せない生鮮食品をスープにしている。星間製薬会社【トラストHD】に送ってもらったギャラクシー旨味調味料を加えれば、だいたい何とか食べられる味になる。


 シンが仕留めた四足獣も、アンドー1号が世話をしていた根菜も、ここでお別れだ。肉の獣臭さも、歯ごたえばかりの野菜も、これが無ければずっと標準型配食パックだけだった事を考えると、立派にシンを支えてくれていた事になる。


 気付くとアンドー1号がこちらを見ていた。アンドロイド的に仕事の成果が気になるのだろう。シンは鍋の中の大振りに切った白い根菜へとフォークを刺し、持ち上げると、彼に見えるように頬張った。

 じょりじょりとした繊維質の中に、無味の汁が詰まっている。正直、美味い以前の問題だが、


「うん、今日も変わらない味だよ」


 お世辞で微笑すると、アンドー1号はサムズアップをかえし、また作業に戻ってゆく。タマさんからの指示で、金目の電子部品などを取り外しているらしい。アンドロイドは基本的には休む必要が無いので、今晩中はその作業を続けてくれるだろう。


 ジャングルから見上げる空は既に藍色に変わっている。

 やるべき事はあるだろうが、今出来る事も無いので、シンはゆっくりと食事をした。これは彼の母星から与えられた最後の食材である訳だが、故郷の味という概念は無かった。むしろ三浦真から流れ込んだ記憶にある家族との食事風景の方が、彼の胸を小さく締め付けた。

 食事を終えて片づけると、ちょうど携帯端末PDAのアラームが鳴る。タマさんと艦長の統合の終了予定時刻だった。


「……よし」


 シンは彼の養護教導型機械知性を迎えに行くべく、艦橋に向かった。

 どうなっている事やら、一抹の不安がある。今し方の呟きも、自分を無意識に鼓舞している。

 想像の中ではアンドロイドの外装である艦長の頭の上に、タマさんがくっ付いていた。割とショッキングな見た目だ。どうしよう。悩んでいる内には艦橋に着いてしまう。


「タマさん~?」


 気軽に声をかけつつ、艦橋内に姿を探す。

 ところが室内は静まり返っている。いつもならタマさんと艦長が訳の分からない専門用語を交え、マウントの取り合いをして騒がしかったが、今は古くなった電灯が発するノイズが響いているだけだ。

 一抹の心細さを感じつつ、艦橋内を見渡すと、目を見張るものが見つかった。


 統合に使う機材だろうか、さっきまで目にしていたロッカーのような、横長の金属の箱が床に横たわっていた。三浦真の認識はそれを棺桶のようだ、と伝えて来た。

 何とも縁起でもないが、それに輪をかけてシンを瞠目させたのは、棺桶(仮称)の隣りに転がっているタマさんだった。


「タマさんっ!!」


 駆け寄って、思わず声に出して拾い上げる。が、センサー系からは光が落ち、多目的アームは力なく垂れ下がったままだ。

 シンの視界がぐにゃりと歪む。心臓を鷲掴みされたような衝撃と不安とが襲い掛かって来た。それはまるで生物の死に接しているようで、


「そんな……嘘だろ?……タマさん?」

 シンの呼びかけは力なく、これまでに聞いたことのない悲痛さが滲み出ていた。それこそ家族の死に直面しているように。

「タマさんっ―—」


「あー、はいはい、こっちですよ、こっち」


 と、タマさんの電子音声ではないが、確かにタマさんを思わせる口振りで声が掛けられた。

 声の主を探して辺りを見渡すと、バタンと棺桶(仮称)の蓋が内側から開き、人影が立ち上がる。タマさんを思わせる声は、ソレが発しているようだった。


「おぉぉっ、流石はオートマータのボディ、視点が高いですねー。マスター、そちらの旧ボディから、メモリーと自由裁量領域を完全移行させましたので、今はこっちがタマさんになりますよ~」


 棺桶から立ち上がった人影は、手を振りながらそう宣言した。


「……???」


 が、シンは困った顔をする事しきりで、タマさんを名乗ったソレは流石に不安になる。


「あの、マスター?わたし、何かやっちゃいました?え?そんな首をブンブン激しく横にお振りになって……えーと、指さしてるのは……モニター?あぁ、映り込みにわたしが……います、ね……?」

 人影は電源の落ちたモニターに映る自分をズームして確認する。そして、


「お、おぉう……」

 戸惑いの声を洩らした。

 ゆるやかにウェーブした長い黒髪の、楚々とした美人が映っていた。

「……艦長め、顔用の人工皮膚だけは残していたんですね。それに黒髪は検知器と放熱器を兼ねたベンダー・ウィッグですか、ほうほう」


 更に手の平を開閉させ、腕から腰、そして脚にかけての女性的なラインを確認する。


「……なるほど、アンドー1号の仕事でしょうかね。アンドロイドの外装を変形させて、女性型ボディっぽく加工した訳ですか」


 うんうんと頷くのは、やはりタマさんのようだ。

 その外見は彼女(?)が解説した通り、女性的なラインの躯体にヒューマノイド型の顔が付いた、いわゆる女性型アンドロイドに見える。棺桶のように見えたのは躯体の保管ボックスで、人工皮膚の再塗布のような、保全機能もあったのだろう。

 本来はもっと高性能の自動人形、オートマータ等と呼ばれる素体だが、フレームを覆う強化人工筋肉が劣化して脱落しているうえ、かなりの機能が長年のメンテナンス・フリーのせいで不全に陥っていた。


「まー、確かにこの躯体コンディションでは、顔だけの通訳アンドロイドと変わりがありませんねぇ……」


 タマさんは頬をペタペタ触りながら、笑顔を作ったり、すぐに怒り顔をしたり、百面相を試している。あまりに見事に変わる、それも美人の顔なので、シンの戸惑いも収まらない。実は横目で彼の顔をトレースし続けているタマさんは、ある可能性に気付いた。


「あっ、マスター、もしかして……この美人躯体でドキドキしちゃいます?いっそ今日から、お姉ちゃん始めちゃいますか?そ・れ・と・もぉ、ママ?」


「なっ、なにをッ?!」

 何割かは図星を指され、シンは大いに狼狽える。気恥ずかしいのを隠すように、ことさら大きく手を横に振るって否定した。

「お、俺はっ、統合が上手くいったのか、それれが心ぱッ……気になってたんだ!!」


 心配、という単語を慌てて言い直す。

 聴覚センサーが捉えたそれに、タマさんの頬は自然に崩れた。


「あらら、対話プロトコルと表情プログラムの同期が……ああ、すみません、顔がにやけていますが、統合は問題なく終了しました。艦長の機能を完全に引き継ぎつつ、養護教導型機械知性のタマさんでもあります。マスターのタマさんですよ、ご安心ください」


 言いつつ、タマさんは最後の一言に不思議な安心感を憶えていた。自動人形躯体になって膨大な容量となった電脳が、対話プロトコルに余計な影響を与えているのかも知れない。表情プログラムも未だ笑顔をつくっている。こっちは不具合かも知れない。

 タマさんは人差し指で頬の人工筋肉を抑えながら続ける。


「そう言えば、この外見は成熟した女性ですので可能性から除外してましたが……妹、というのも古来から需要があるのでしたね」


 きらり、とタマさんの目が光った。

 まだその話、続いてるの。シンはえー、という顔をしたが、タマさんが試しに「おにいちゃん」と小声で口にすると、どきりとする衝動を感じた。

 記憶の中の三浦真には妹がいた。なので、そのフレーズには他意が無くとも、条件反射的なモノも出る。なお悪い事に、タマさんはそんな事など知る由も無いので、


「おっと、意外にもそっち派ですか。母性系に未練があってもおかしくない年齢と認識してましたが、自立心が成長されてますねぇ」


「何の話ぃ!?か、からかっているだけなら、俺はもう寝るからね!」


 くすぐったいような、居た堪れないような、むずむずする感情から逃れるように、シンはタマさんに背中を向けるとシャフトの方へ歩き出す。

 そこでタマさんはシンの背に何気なしに問うた。彼の視線が無いことが理由ではないだろうが、表情プログラムが消えていた。


「あ、最後に、マスターは地球テラを探す気はお有りで?」


「……”地球”かぁ」


 立ち止まり、少し考える。

 座標も航路も失われた、テラ人の母星。しかしながら銀河の各星々へ一次・二次産業用にバラ撒かれたテラ人は、帰属意識が現地にローカライズされつつある。母星という概念は既に希薄だ。


 これが母星出身者による結束を誇る氏族的傭兵集団とか、民族宗教の聖地が母星とか、特殊な母星環境に適応しているため定期的に里帰りが必要とか理由があれば、帰属意識も残るのだろうが。

 この点では星間連盟におけるテラ人こそ、宇宙の孤児であった。


「……テラ人として思うところは有るけれどねぇ」

 シンは首を横に振る。

「これまでにも、少なくないテラ人が”地球”を探してる筈で、それでも見つからないのだから、俺一人が出来ることなんて無いと思っているよ」


「なるほど正論……でも、見たくないですか、”青い”地球テラ。キレイなんでしょうね」


 そう言われると思い出すのは、三浦真が見ていた地球の青空だった。

 大気組成は大して変わらないので、惑星【労働1368】にも青い空があるが、断然、太陽光線が強い。こっちに慣れていると、地球の空はやわらかく、色鮮やかな青に見えた。


「そうだね、綺麗なんだろうね」


 シンはうんうん頷きながら、シャフトの脇のボタンを押してワイヤーを呼び出す。が、それよりも早く、音も無く忍び寄ったタマさんが、彼を羽交い絞めにしていた。彼女の表情プログラムは相変わらず、はたらいていない。


「た、タマさんっ?!」


 少なくとも球体の時には有り得なかった行動で、シンは大いに戸惑う。そして反対に、感情プログラムが効いていないと思しきタマさんの声からは、すっかり抑揚まで消えていた。


「マスター、地球テラの色は赤色です、お世辞にも美しくはありません。それに”地球”という言葉は、何処の言語でしょうか」


 シンはあっ、と大口を開けた。


~ ~ ~ ~


 地球人が星間連盟からの接触を受け、恒星間文明に組み込まれた頃とは、地球環境が最も深刻な時代だった。海や川から表層水は涸れかけ、森林は縮小し、地球全体が急速に赤茶けた荒野になりかけていた。

 青く水を湛えた美しい地球は、過去のものと成り果てた。更に宇宙の各星系へと散らばってからのテラ人の帰属意識の変遷もあり、過去の地球の記録は座標と共に風化してゆく。


 また、シンが思わず口にした”ちきゅう”は日本語であって、これも現在のテラ語には残っていない。


「でも地球テラを青い星と言う人々は、僅かに存在します」

 タマさんは言った。心なしか羽交い絞めの力が強まる。

地球人症候群テラナー・シンドローム……テラ人内にごく低い確率で現れる、地球テラの記憶を思い出したという人々。現代医学では原因不明の妄想癖、強迫観念、あるいは統合失調。件の人々は母星を青い星と呼び、失われた文化や知識を有する、とも……」


 どきりとした。シンのケースとは厳密には違いそうだが、現状に類似点も多い。そしてマスターの心拍数の増加を見逃すタマさんではない。


「マスター、青い星を、見たのですね?」


「……うん」


 断定して来たタマさんに、シンは頷き返した。

 きしり、と羽交い絞めする彼女(?)の腕のモーターが、出力調整を誤ったのか、不協和音をたてる。互いがどう触れたものか判らず、ひどく緊張していた。


「マスターの本質が揺らいでいないのは、わたしの12年分のデータ蓄積から立証できるのです。近年の前向きな性格への変化も、周辺環境への適応と思春期と診れば、理由付けは出来ます。でも、艦長のメモリーの中で知った地球人症候群テラナー・シンドロームには、極端な人格の変貌というケースも確認されていて……ひとつだけ、わたしの中でも……発端となった2年前の暴力沙汰だけは、立証が、出来ないのです……マスター?」


 タマさんは詰まりながら、最後に不安そうな声を出した。電子音声でない人工声帯というやつは多芸のようだ。それも対人プロトコルと、感情や表情を再現するプログラムとのシナジーなのだろう。そうやって愛玩動物的な地位を獲得するのも、機械知性の生存戦略なのだ。


『そうでは、あるがぁ……』


 シンは歯噛みする。

 理解してはいるが、不義理を働いているように感じてしまう。それは若さから来る誠実さや潔癖さだった。なお性質が悪いことに、タマさんが言った通り、孤児である彼のことを10年以上も観測している存在など、彼女(?)以外にいないのだ。

 そんなひと(?)に隠し事を続けるのか。

 タマさんの接触系センサーはシンの肩から力が抜けるのと、観念したような長い溜め息とを検知した。


「……俺が見たのは青い地球でなく、地球の青い空だったよ。もっと正確には、それを見たのは俺じゃなくて、並行宇宙とか多元宇宙とかの俺だった」


 一時はタマさんも星間連盟からの監視ではないかと疑り、口を噤んでいた秘事だ。が、一度口に出せば、不思議とスラスラとあとが続いた。

 三浦真という、自分と同じ顔をした少年のこと。彼の家族のこと。柔道、合気道、それに今以上の教育のこと。地球の柔らかな日差しと青い空のこと。


「なるほど!この二年、理解度が早まったと感じていましたが、基礎学力に底上げがあったから……あと妹派なんですね」


「違うから?!っていうか、まだ気にするのそれっ!?」


「ふふふ、マスターが語り出した直後から、既にタマさんの電脳はクロックアップ!発言の検証を開始しているのです。ましてマスターの隠し事に、罪悪感など抱かせないリアクションくらい、造作もないわけですよ」


「自分で言っちゃ世話ないでしょ……で、その検証で、俺の話の信憑性は有ったの?」


 シンは気軽に言葉を継げられた。確かに後ろめたさは感じなかった。

 彼の問い掛けに答えるタマさんもいつもの調子に戻っている。ただひとつ、未だに彼を羽交い絞めにしている事以外は。


「ぶっちゃけまして、マスターの発言の真偽よりも、マスターの心身の連続性の方がタマさん的、焦点でしたので。それがクリアされれば、あとは些末事です。多元宇宙論、バッチこいです。なんなら地球人症候群テラナー・シンドロームに関する、一定の芯を突けた感すらあります」


 真偽そっちのけとは、それはそれでどうなんだ。シンは内心で首を傾げたが、機械知性に鼎の軽重を問うても、それこそ文化が違う。


「それじゃ、俺の連続性が確かめられたところで、そろそろ解放してくれないかな?」


 と、自分で言ってみて、もしかしたら何か少しでも要因が違っていたなら、自分は三浦真の記憶に飲み込まれていたのでは、と遅まきながらに気付く。彼の個性に塗り潰され、シン・ミューラとしての連続性を失っていたのではないか、と。

 地球人症候群テラナー・シンドロームにおける人格の変貌には、そういう経緯もあるのではないか。並行宇宙の自分からの情報量に負けて、人格を上書きされる。


『こりゃあ、運が良かっただけかも……』


 今更ながら、ヒヤリとしたものが背筋を下っていった。なお背後ではタマさんが『当ててんのよ』状態ではあるが、女性的デザインに湾曲させたとはいえ、もとはアンドー1号と同じアンドロイドのガワであるゆえ、金属なので実際に硬くて冷たい。


 さりとて本当に柔らかくても、今のシンだと鈍感系主人公になってしまう危険性がある。何しろ必要最低限の栄養素と、管理社会の底辺というドス灰色の少年時代だ。そのままジャングルに放り込まれて、”いのちをだいじに”だったもので、非常にストイックに育ってしまっている。


 これで【トラストHD】との取引品に性的なメディアでも忍ばせていたなら、それを確認してニヨニヨしようと思っていたタマさんであるが、それで彼がコソコソ準備していたのは自作コーラ飲料であった。

 青春的に、これは哀しい。

 タマさんはシンへ金銭感覚と共に、恋愛などの情緒面も教育せねばならないと、電脳内のTo Do リストに変更を加えている。


『なので、これも教育の一環です……いけません、また表情プログラムとの同期が……』


 タマさんはシンの背後でにやけ顔になる人工表情筋を、何とか制御下に置こうと格闘しつつ、シンの耳元へと囁いた。


「ではタマさん的に気がかりが解決しましたので、次は艦長から譲り受けた自動人形躯体のマスター登録を行います」


「登録?」

 シンはいつもより距離の近いタマさんからの声にむずかりつつ問い質す。

「確か、最初にあの団地の部屋で会った時には、マスター登録って終わってなかったっけ?」


「あの時はわたしの機能も限定的でして、ボディも性能がリミテッドな簡易型でした……ところで、今の躯体には専用登録がありまして。なにしろ劣化状態とはいえ、この躯体はけっこうなハイエンド型です。このままでも、それなりに価値が出てしまいます。拉致られて電脳をいじられると、”NTRダメ、絶対”まったなしになる脆弱性が―—」


「それはイヤだ」


 シンは即座に答えた。さっきの物言わぬタマさんの球体を抱き上げた時の、嫌な喪失感が蘇り眉間に皺が寄った。


「!!……DNA登録します、ご無礼を」


 タマさんの人工表情筋がまた暴走し、目を見開いていた。一刻も早く脆弱性を解消したかった。

 艦長【0567$^0485】め、この躯体の深層域に何か仕込んでいるんじゃ?さっきから感情プログラムが躯体制御から離れてますよ。

 きょとんとしたシンを振り向かせ、互いの右手の平を併せると、素早く唇を奪う。


 シンの躰が驚きに震えたが、タマさんはかまわず右手の指を絡め、彼の唇を傷付けぬように自分の口唇ユニットを上下に開き、舌状の感覚器を彼の口腔内に挿入する。

 くちゃりと粘液質の音がした。

 シンの口内を舌状感覚器がなぞり、DNAを採取してゆく。同時に最上位のマスター登録が構築されてゆき、養護教導型機械知性に得も言われぬ充足感をもたらす。

 艦長であるまいに、飽和する感情プログラムが人工声帯を刺激した。


「あっ、おぉっ……んむッ」


 今や痙攣しているのはタマさんの躯体であり、シンの身体に押し付けながら、マスター登録が上書きされるのを恍惚の中で待っていた。

 キスと表するには情熱的な待機時間の後、タマさんはようやく口唇ユニットを離脱させる。感覚器保護用のジェルが糸を引いた。


「……すみません、ハイエンド躯体の感情プログラム、舐めてました」


 舌を戻したタマさんは恍惚とした表情で呟いた。予想外の大満足だったようだ。シンの未来の嫁がいたなら『初めてのキスの相手はお前ではないッ!このタマさんだッ!』と言い放ちたい気分である。最高にハイというやつだ。


 が、行為の意味は判るけれど、どうしても微妙な顔になってしまうシンは、まさにイイ面の皮だった。なにせ顔だけ美人になったタマさんに突然ディープキスされて、硬い外殻を押し付けられたのだ。もしも無機物恐怖症者ならば、恐怖への抵抗判定が必要になっただろう。


 幸いシンは艦長やアンドー1号をふくめ、人間よりも機械知性たちとの交友の方が深いので、今し方のタマさんの行動も『そういうモノなんだろう』と、深く捉えず、ゆえにショックも無かった。

 呼吸困難からくる胸の高鳴り―—当人はそう思っている―—を、深く息を吸って整えると、


「……今のでマスター登録は終了?」


「はいっ!マスターのDNAを最上位に記録しましたので、電脳に対する強制的なマスター変更介入があってもへっちゃらになりました。まさに、死が二人を分かつとも、お仕えしますからね」


 そう、いささか重たい宣言をするタマさんは、実に晴れやかな笑みを見せた。

 まだ二人の右手はつながっている。シンとしてはそろそろ気恥ずかしい、と思っていたら、左手も握られてしまった。そして明らかに興奮気味な彼女(?)は、ぐいと顔を寄せて来る。


「さぁマスター!ながらくお待たせしましたッ。明日には、本当に、宇宙です!頼れるものはありませんが、もう星間連盟登録の農民奴隷みたいな将来も無いんですッ」


「うん、そうだね」


 シンは若干タマさんの勢いにのまれつつ、大きく頷き返した。


「マスター、それでは何になりましょう?

宇宙を股にかける星間獣の狩人ベムハンター

不可能を破壊する宇宙の便利屋クラッシャー

アステロイドのアウトローも震えだす賞金稼ぎ?

スペース・オペラの主役にはなれませんが、宇宙運送業も引く手数多ですよ。

高等教育を受けるのもアリですね。宇宙防衛大なら給金も出ますよ。

銀河ファウンデーション大学で人類史に通底する思想を学ぶのはどうでしょ?

それともセラエノ大学で忘れられた星々の隠秘学を修めます?

ちょっと長期プラン過ぎましたか?では直近で、やりたい事はどうでしょう?

男子だったら銀河帝国観艦式はどうです?

銀河連邦警察の煌びやかなコンバット・ドレス見学は?

大型ロボットを専門に扱う封建的メック戦士団も人気ですね」


 タマさんはそれはそれは、まくし立てた。シンは自重を促すが、彼女(?)は取った彼の手をぶんぶん振って続けた。


「何だって良いんですっ。地球を探したっていい。この宇宙があと16分で停止するシミュレーターである仮説を検証したっていい。未来予測と念動力を備えた剣士を目指したっていいんです。マスター」

 タマさんの表情筋は完全に暴走している。楚々とした美人が、まるで童女のように目を輝かせてシンを見つめていた。

「だって、あなたは、自由になるのだから」


 その笑顔と言葉が胸に響いた。

 自分の生き方も決められない星間連盟に管理された人生じゃない。さりとて、すべてが勝手気ままで確実に成功するような訳もない。

 あくまでも、自分を由とする。


「……考えたことも無かったな」


 口ばかりはクールを装うが、シンの顔はにやけていた。

 まだ感情プログラムの飽和のままにぶんぶん振っているタマさんの手を止めると、両手でまとめて上から握りなおす。気が早いかもしれないが、とりあえず言っておきたい事があった。


「ありがとうタマさん。それと、これからもよろしくね」


「ええっ!はい、もちろん」


 満面の笑みで彼女は同意した。

 何かもう、彼女という個別認識に疑問符を付けるのもいいや、という気がしてきた。それが機械知性の沼への第一歩であるが、当のシンが機械知性に育てられているのだから自覚は無い。その一点においては、彼は宇宙でもっとも不自由な果報者だった。

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