第16話 そして無頼の航路へ(1)

 次の日、空は旅立ちに相応しく晴れ渡った。

 いや、訂正。惑星【労働1368】はギラついた晴天日が多い。平常運転だ。

 宇宙軽トラでひとっ飛びしてジャングル外縁部に戻ると、居住シェルから物質精製機や自動調理器を運び出し、手早く荷台に積む。


 返済金に居住シェルを買い取るだけの金額も上乗せしてあった。安くはなかったが、リース品を返却せよと文句を言われても困るので、あとくされが無いように徹底してあった。

 それらと、あとアンドー1号を荷台に固定して、緑色の特殊帆布製の荷台カバーをかぶせると、いよいよ見た目はひと仕事に出る前の軽トラである。

 シンは帆布の端を荷台へと固定しているフックの張りを確かめつつ、今朝がたのタマさんからの報告を思い出している。


『昨夜のうちに艦長の躯体内のメモリーを再確認したのですが、【救護プロトコルに基づく重要物資搬送】に関する記録が全て削除されておりました。ええ、艦長の依頼のことです。よほど厳重な守秘義務があったのか、おそらく口外の可能性が―—電脳から直接抜かれるのも―—無いよう、外部記録媒体に移したのでしょう。ここまでの経緯を鑑みるに、隠匿させた巡洋艦に記録媒体もあるかと……どうします?少しキナ臭いですが。え?約束だし、やるだけやる?……まぁ言うと思いましたが』


 目下最大の目的がハッキリしないままになってしまった。

 こうなるといよいよ艦長【0567$^0485】は、いなくなってしまったんだなぁ、と実感も湧く。メモリーを引き継いだタマさんが言うには、そうでは無いらしいが、人間としては矢張り死に直結して考えてしまう。だから重くは捉えないが、どことなくしんみりしてしまった。


「……さて、あとは」


 荷台の保全は万全だ。小型反応炉の火は入れっぱなし。船体下部のタンクには物々交換で仕入れていた水素系の宇宙用推進剤が充填してある。いつでも発進できる状態だ。

 シンは操縦席に戻ると、この惑星での最後の行動を行うべく、助手席のタマさんに指令を出す。


「機体の目視チェック終わり。タマさん、やっちゃって」


「はいなッ」


 どこぞのスラングで調子よく返すタマさんは、衛星経由でネットワークに指示を飛ばす。

 惑星【労働1368】のテラ人自治政府へと、シン・ミューラのネット上の口座から、彼の養育費用として建て替えられていた分が振り込まれる。裁判で言い渡された約10年分の生活費に、居住シェルの減価償却分を引いた分を乗せ、約1000万Cr《クレジット》。


 管理社会な星間連盟の国体のお陰で、社会保障制度が手厚い分、借財はマイルドな方だった。思えば唯一、星間連盟に感謝出来た事柄かも知れない。

 続けてタマさんは星間連盟の市民登録を外れている自由流民シン・ミューラが、惑星【労働1368】から即時出国することを通知した。


「さっ、どうせ直ぐにはリアクションなんて期待できません。さっさと出立しましょ」


 その提案にシンは首肯。故郷に感慨を抱くような思い出も無く、今や宇宙への期待の方が大きい。

 左手でスロットルレバーをゆっくり前へ倒してゆくと、機体前面のフロントグリルから高い音がして、空気の吸引が始まる。

 荷台が競り上がり、機体に対して不釣り合いに大きな単発ノズルが露わになった。すぐに吸気が反応炉の熱で膨張、ノズルから推力に変わって漏れ出し始める。


 ブレーキペダルのロックを外すと、駆動輪の力でなく、推力のみでスルスルと進み始めた。

 エンジン出力が追っかけて上昇。ノズルが赤熱し、噴き出す空気で陽炎がたつ。

 どん、と機体が躍動するように跳ね、空に駆け上がった。シンが右手の操縦桿を引くと、キャビンが上向いてどんどん上昇を開始する。高度表示の数値が見る間に大きくなる。自重を上回る巨大な推力だった。


 高度10000m。対流圏を超え、雲の上に出る。空の青が深く、濃くなってゆく。ギラつく太陽光と青色だけの静かな成層圏だった。高度上昇と共に、暗い青からやがて紫に変化してゆくのを、吸い込まれるようにシンは魅入った。


「マスター、エンジン切り替え、願います」


 タマさんの声で我に返る。周囲の空気密度が薄く、もう吸気を熱膨張させる方法では推力が得られない高度だった。シンはタッチパネル上で割と無造作に光っているアイコンに触れる。


「推進剤に変更。流体クラッチからの伝達、確認。熱核ロケット推進に移行」


 背中からひときわ強い振動を感じる。空気でなく水素系合成燃料が反応炉の熱で膨張し、プラズマと化して噴き出していた。更にクラッチ内で高められたトルクが空間へ作用し、推進を補強する力場を作り出す。50000mを一気に駆け上がり、中間圏へ達した。


 頭上に緑から赤へと色を変えてゆく光帯が揺らめいていた。熱圏のオーロラだ。高度と共に緑が赤へと変化している筈だが、宇宙機となった軽トラの速度では見惚れる暇がない。

 タマさんの高度報告が目まぐるしく変わる。


「高度、80000……90000……テラ標準呼称によるカーマンラインを超えました。高度100000m、宇宙です」


 気付くとオーロラを抜け、周囲はの色は黒に染まっていた。太陽だけが白く輝いていた。


「宇宙ッ……ここが……」


 シンはハッと息をのんだ。が、またもすぐにタマさんの報告が現実に引き戻す。


「あらら、気の利いたエージェントAIか、政策用の機械知性がいたのでしょうか、テラ人自治政府から問い合わせが来ましたよ……『入金は確認するも、速やかに報告に戻り、説明責任を果たすべし』……適当に当たり障りない説明文でも出しときます?」


 タイミングの悪さにシンはふん、と鼻を鳴らす。それからタマさんに窘められそうな人の悪い笑みを浮かべ、


「こういう時の反応は昔から決まってるんだ……”バカめ”だ」


「あー、なるほど。”バカめ”、返信と」


 訣別の言葉を送ると、シンは硬いシートの尻の座りを直した。惑星【労働1368】の青さに振り返ることなく、暗い宇宙の先を見据える。いや、暗いだけではない。シンの目にはこれから向かう無頼の航路が、輝いて見えるようだった。

 宇宙軽トラがエンジン出力をあげ、長く棚引くプラズマを曳いて宇宙を翔けた。


「って、これでキレーに終わらせる訳が無ぇだろうがぁッ!!」


 通信機から航宙緊急回線ガードチャンネルで怒声がほとばしる。

 何者かが宇宙より暗い想念をぶつけて来た。

 シンとタマさんは思わず顔を見合わせる。ラスボスの見当は、とんとつかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る