第20話 たのしい宇宙一年生:郵便配達のお仕事(3)

 四方は切り立った岩肌。振り仰ぐと、岩盤をドーム状にくり抜いた後、金属柱が籠のように内張りをして山の圧を散らしている。天井から地面までつながった巨大な岩の柱は、この天井構造を補強するように残されて採掘されたようだ。

 それが縦横に規則正しく、十本は並んでいる。柱間には中階層のビルが立ち並び、街区を形成していた。

 巨大な地下都市だった。

 

 そこは資源惑星【ヘキチナ】の星都であり、最初に採掘の始まった鉱山跡に作られた街だった。荒野を通る舗装道が山肌の開口部に吸い込まれ、続く巨大なトンネルをしばし走ると辿り着く。

 天井には煌々と光源が掲げられ、地下の暗さは感じない。そして今朝方まで滞在した集落とうって変わり、街を行く人の姿が多い。山の下なので上空からでは見えなかったが、なかなかの都市の様相だ。


「うーん、このタマさんの目をもってしても、この地下都市は読めませんでした」

 とタマさんも最初は冗談めかして言ったものだが、街行く人波が途切れぬ様にセンサーアイを細める。

「閉鎖環境のわりに人口密度が多いですね。星都に人口が集中してるのでしょうか。それにしては、出歩いている人の毛色がバラエティに富んでる気もします」


「そう?」


 シンも宇宙軽トラを走らせながら、軽く周囲に目を配る。そう言われると、集落よりも人の背丈にバラつきがあるにも見えた。それを伝えると、タマさんはうんうんと首肯する。


「どうも【ヘキチナ】人以外の外星人が大分いるようですが、宇宙港は閑散としてましたね。惑星に降りてからは空路を却下されましたし……なにか、こう、スッキリした解が出ないですね」


「解?あぁ、モヤモヤするの?」


「モヤモヤ……そうですね、人類的には違和感、と言うのでしょうね」

 その遣り取りで持論を補強したのか、タマさんはセンサーアイを閉じて宇宙船の外部カメラと同期を取る。

「ちょっと周辺を”視る”ことに集中しますね。マスターは郵便機関への輸送を完遂してください」


 了解。呟いたシンは昼時間際の街の混雑に合わせ、のろのろと宇宙軽トラを走らせた。

 思えばタマさんが自動人形の躯体となったお陰で、何をしているのかがダイレクトに解るようになった。きっと球体だった頃から、頻繁にネットワークに接続しては、シンの身の振り方を模索していたのだろう。


 それは養護教導型機械知性的にはアイデンティティの発露に他ならず、何なら困難なほどバッチ来いなのであるが、シンが感じているのはもっと単純な、注がれる家族の情に他ならなかった。


『ありがと、タマさん』


 声にならない口の動きで囁いた。

 なお、タマさんには聞こえている模様。シンの声紋は丹念――偏執的?――にサンプリングされているので、僅かな空気の振動でも声として検出されるのだ。


 タマさんが自己の電脳内でガッツポーズしているとは露とも知らず、シンの宇宙軽トラは幾本かの石の柱の前を通って、地下都市の中心にほど近い辺りで停止した。目抜き通りに面した鉄筋コンクリート製のビルの前だ。


 同じ規格のビルがスペースの限られた街区に並んでいる。見分けが難しいが、どれも官公庁の合同庁舎らしい。当然ながら駐車場も手狭であり、既に一般利用者の車輌で埋まっている。さらに駐車スペースが開くのを待っている列を尻目に、シンは業者なのでビル裏手の搬入口に回った。


 係員に郵便物のコンテナを引き渡し、今度こそ依頼完了というところ。そこでシンは今朝方に、集落で宿の孫から託されたポケットの中の記録チップを思い出す。


「……そういえば、これ、追加で運んで貰えそうですか?切手は貼ってあるんだけど」


 シンの申し出に係員たちは快く包みを受け取ってくれた。が、住所を確認すると難しい顔になった。係員たちでひそひそ話を始め、最後には代表者が首を横に振った。


「いや、申し訳ない。これは住所に不備があるので、引き受けられないな」


 不審な話し合いの後の手の平返しだったので、シンは宇宙キツネに摘ままれたような顔になる。が、所詮は社会経験の少ない子供なので、何のかんのと丸め込まれ、外へ放り出されてしまう。

 仕事は終わったものの、大きな心残りが出来てしまった。

 弱り顔で宇宙船のキャビンに戻ると、タマさんまで何とも微妙な表情になる。


「安請け合いなんかするからですよ?」


「いや面目ない……もう自分で調べて届けよう。住所の照合おねがい」


「マスター、テラ標準で3秒前にわたしが言ったこと、聞いてました?まぁイイですけど。それも踏まえまして、住所照合の前にこちらを御覧に――」


 タマさんが言うと、前面モニターに街を歩く人の何人かがピックアップされる。

 みな、ラフな服装をしている。鉱山があるならその労働者かとも思ったが、不思議と身綺麗で、土の下で肉体労働しているようには見えない。では星都の給与所得者ホワイトカラーかと言われると、そういう雰囲気でもない。


 何より目を引くのが、腰の付け根あたりから長細くて毛に覆われた尾が伸びている者や、目深に被ったニット帽の隙間から顔に生えた鱗が垣間見える者がいる事だ。


獣人類セリアンスロープに、爬虫人類レプティリアン?」


 それは猿以外を起源にした人型種族だ。現行の銀河では猿起源の人類が絶対数に勝るので、区別して異人やデミ・ヒューマンと呼ばれている。少数派のため、近縁種でまとまって星間国家を作っている事が多かった。

 なかでも爬虫人類レプティリアンあたりになると、種族的にも文化的にも少数派となる事が多く、明確に多数派人類と敵対している種族もいたりする。


 そして、総じて、異人は多数派の社会からのはみ出し者になり易い。

 そういった者の行く先は劣悪な環境と低所得の肉体労働か、チャンスを夢見て反社会的勢力の走狗というパターンが実に多かった。


「さらに、これ」


 タマさんが続けて、雑踏の奥にある町工場らしき建物を拡大させた画像を呼び出す。

 半分ほど上がっているシャッターの向こうで、小型船が一部分解されて点検を受けていた。画像の隣には参考として、ライブラリから呼び出された立体モデルがクルクル回っている。両者の合致率は90パーセント。カブトガニのような特徴的なデザインには嫌な覚えしかない。


「嘘だろ、宇宙海賊の海賊バッカニア艦載機ってやつじゃないか?」


「はい」

 タマさんは首肯。

「ここに辺境宙域という地理的特徴に、入星の緩さ、大気圏内での飛行規制を加えますと、惑星【ヘキチナ】は反社会的勢力の補給地である可能性が高いかと。厄介ごとに巻き込まれる前の離脱を進言しますよ」


「了解、それじゃ住所照会よろしく。さっさと記録チップを渡してくるよ」


「即答ォッ!」


 タマさんは嫌そうな顔しながら、あらかじめ検索し、用意していた住所へのナビゲーションを起動させる。それを見てシンが顔をほころばせた。


「ありがとう、さすがタマさん」


「……くっ、くやしい、こんなのでっ」


 自動人形躯体が艦長【0567$^0485】の頃のクセを覚えていたものか、やけにビクビク震えるタマさんを尻目に、シンは指定された街区へと宇宙軽トラを走らせる。地下都市の中央から外れて、既に岩壁にほど近い。後から作られたと思しき真新しい区画だ。


 そこは見るからに繁華街だった。太陽代わりの証明が点灯しているので、ネオンこそ未だ点いていないが、ケバケバしい色合いの看板が並んでいる。それが道路の上に張り出し、縦に並んで空中で自己主張していた。シンの知らない言語で書かれていたが、酒や女性のシルエットも見えるので、”そういうお店”が多いのだろう。

 なおシンは”そういうお店”が、具体的にどう”そう”なのかは知らない。


 雑居ビルのひしめく通りを歩く人々は異人種が多くなり、ここでは身体的特徴も隠していないようだ。こうなると増々、宇宙海賊たちの休憩場所、という雰囲気になってくる。

 シンとしては場違い感で心細さを覚えるが、宇宙軽トラの見た目のお陰で、設備工事の車輌にでも見えるのか、図らずもカモフラージュ率は高いようだ。誰も彼らを見咎めなかった。


 繁華街を更に走ると不意に看板が無くなり、雑居ビルよりも背の高い、小奇麗なビルが並んだ一角に出た。地下都市の限られた空間の筈だが、どこの入り口も送迎の車輌を回せるように作ってあり、まるでリゾートホテルのようだ。ナビはその内の一棟を指していた。


「住所に不備があるとか言ってたわりに、見つかったけど……なんか、無用の方はお断り感が凄いね」


 シンは近くに停車すると、見慣れぬハイソな光景を唖然として見上げる。上階の部屋のベランダには洗濯物が見え、かろうじて生活臭を感じた。どうも集合住宅のようだが、彼の暮らしていた団地とは設計思想自体が違うのは理解できた。


「もしかして、マンションってやつ?」


「ご明察です。一階に管理人室が見えましたので、そこで用件を伝えてみましょう……ほんとうに高級マンションだった場合、エントランスにすら入れないし、管理人でなく警備員が詰めてますから。それと比べれば話だけは聞いてくれるかと」


 と、タマさんには事の次第にだいたい見当がついていたのだが、ここは主人の人生経験として、当たって砕けて貰うつもりだった。


 宇宙軽トラを路駐し、二人はマンションのエントランスに入る。一階の造りはだだっ広く、壁面には住人の郵便受けや注意事項の掲示板が見えた。タマさんの言う通り、これが高級マンションならエントランスはロックされ、マンション側の発行するIDが無ければ入れない。更にエントランスは石造り風だったり、水が流れていたりして、もっと浮世離れした造りになっていただろう。


 とは言え根っから田舎者のうえ、最近では野生児じみてしまったシンである故、普通のマンションでも場違いに感じてしまう。

 何となく気後れする彼だったが、ふと、エントランスに何処からか漂ってくる匂いに我に返る。木の香を含んだ薄出汁のような香りは、昨晩悶絶したキノコ茶のものだ。あの長閑のどかな木々の中の集落と同じように、【ヘキチナ】人が淹れているのだろう。


『大丈夫、大丈夫……こんなトコに住んでても、あの集落と同じひと……』


 ちょっと情けない論拠で自分を鼓舞しつつ、管理人室に設けられたガラス小窓に声をかける。


「すみませーん、届け物でーす」


 既に昼時だったが、管理人は真面目な性格だったものか、応答があった。ガラス小窓の向こうに、初老の男性が顔を出す。確かに集落と変わらない、中背でがっしりした体つきの【ヘキチナ】人だった。


 結論から言って、シンの申し出は却下された。

 照合できた住所はマンションまでであり、宿の孫は部屋番号までは書いていなかった。こうなると管理人も対応できないの一点張りになる。と言うより、執拗なまでに完全な住所記載を求められた。

 シンにしてみれば、住人の身内なのだから、管理人室で預かって貰って、その旨を告知するとか方法があるだろうとか思うのだが、まるで一律でシャットダウンされているようだ。


 しばし問答している内に、住人が一人、奥のエレベーターで降りて来た。

 タマさんのセンサーアイが視線を合わせない伏し目の状態から、器用に注視する。


 猿起源の人類種の男性だった。だが【ヘキチナ】人よりも背丈があり、骨格も筋肉量も優れている。テラ標準単位で身長190㎝、体重120㎏。歩くだけで質量が重力を生み出すような、かなりの存在感をしていた。もうちょっと乱暴に言うなら、猿起源でなくゴリラ――広義の大型宇宙類人猿の総称――起源だろう。

 彼は管理人室の窓口で一辺倒な申し出をしている若い男を見付けると、小さいが太い溜息を吐いた。途方もない肺活量に、厚い胸板が上下した。


「おぉい、どうした?」


 これまた、太い声だった。

 シンが惑星【労働1368】で遭遇した海賊の胴間声とは声質が違うが、これも良く通る、他者へ意思を伝える者の声だった。

 事実、シンは思わず男の方へ向いてしまったし、管理人もその存在に気付き、表情を緩めた。


「あぁ、ヴィクトルさんか」


「お困りかい?見たとこ、その兄さんが無理難題を言ってるようだが……?」


 男の断定にシンはムッとする。子供からの便りを無理難題と一括りにされ、思わず口を挟んでいた。


「小さい子供が親に便りを出したんだ。部屋番号ぐらい、融通してくれても良いだろっ」


「そういう話か……」


 ヴィクトルと呼ばれた男は、どこか哀しそうに目を細める。が、それも瞬きする間のことで、次の瞬間にはやけに力のある大きな瞳が、ジッとこちらを見据えていた。

 例えば嘘でも吐いていようものなら、気圧されそうな雰囲気だ。シンは膝に力を籠めて抗い、まじまじと見返した。


 何というか、デカい男だった。

 眼力のある大きな瞳なのだから、当然目もデカい。鼻も太くて厳つい。良く通る声を出す口は矢張りデカい。銀の蓬髪をラフに撫でつけているが、残ったモミアゲも自己主張が激しかった。

 そういう顔が、筋肉でよろわれた長躯の上に乗っている。


 歳の頃は四十がらみか。しかし伸びた背筋にも、ガラの入ったワイシャツを中から押し上げる筋肉の張りにも、年齢的な綻びを感じさせない。

 なぜ、唐突に、こんな男が現れたものか。

 シンが濃密な対峙に、つい自分がここに立っている理由を忘れそうになる、調度その頃合い――


「兄さん、とりあえず外で続き話そうか。なに、悪いようにゃせんよ。管理人のおっさんもな、ここのルールがあるんだよ。兄さんの言う通りにゃ出来ない、さ?」


 聞きようによっては”表へ出ろ”的な展開にも聞こえる。だがヴィクトルからは着火寸前の剥き出しな暴力は感じない。そこはジャングルで培ったシンの直感が、太鼓判を押していた。

 いささか毒気を抜かれたが、シンは背後のタマさんへ頷いて見せた。


「付いていこう」


「付いていくんですかッ?何か世界観違う人じゃありません?っていうか、二人目のネームドキャラが濃ゆいオッサンって、作品的にどうなんですか?!」


 タマさんは何だか錯乱しているようだが、そういう事になった、とばかりに歩き出した野郎二人に付いて行くしか無かった。


~ ~ ~ ~


 マンションのエントランスから出ると、ヴィクトルは無言で歩いて行く。歓楽街に隣接しているものの、この辺りは住宅地だけあって静かだった。どこからか子供の甲高い笑い声が聞こえてくる。

 ちょっと離れた歩道の脇で歩みを止めて振り返ると、顔から険の抜けたシンが追い付いて来た。ヴィクトルは分厚い手の平を出して、


「まずは現物を確かめさせてくれ」


「これを?ただの記録チップだろ?」


 手渡された紙の小袋には、拙い手書きの住所が見て取れる。筆跡は確かに子供の物だろう。袋を破くと――シンが抗議を入れた――中には確かに、指先の爪ほどのサイズの小容量記録チップが一枚。


 ヴィクトルはそれを腰裏から取り出したやけにゴツイ携帯端末PDAのスロットに差し込んだ。スロットの横に付いている小さな画面に、プログラム言語が次々に羅列されてゆく。


「このスロット周りは完全にオフラインになっていてな……あぁ、ウィルスの類は無いみたいだな。内容も、ただの映像か。まー、そこで使ってる言葉自体が暗号だったりしたら、俺もお手上げだがな」


 なるほど、と膝を打つ想いだったのは、後ろで聞いているタマさんだった。どうやら思っていたよりも防諜の意識レベルが高く、彼女のマスターは完全に不審者扱いだったようだ。

 ヴィクトルは記録チップをスロットから抜いてジッと見つめた。


「確かに、なんの事ぁない、子供からの便りだ。だが、そういうのが一番困る」


「困る?」

 シンは言葉を反芻すると、怪訝な顔になる。

「なんでさ。この星じゃ、子供は親に連絡も取れないのか?」


「まさか」

 ヴィクトルは只でさえ濃い顔を、くしゃりと苦笑いで歪めた。

「兄さん、ここがどんな街か知ってるかい?」


『まずいっ!』


 タマさんが咄嗟にシンの視界へ『危険:しらばっくれて!』とメッセージを送ったが、彼はそれを無視した。秘ではある。だが深刻な質問ではない。シンはヴィクトルの表情を、そう受け取っていた。


「辺境惑星に作られた宇宙海賊の補給地か、それとも犯罪組織の拠点か。むこうの繁華街は、そういった組織の外星人向けの街で……こっちのマンションは、そこで働いている人向けの住宅?」


「惜しいっ、もう一声」

 ヴィクトルはそう言うと、タマさんの方をチラリと見て、小さく溜息を吐く。

「……通訳ロボットじゃあ、細かい機微までは察せないかぁ。主人がデリケートな地域に踏み込む前に止めてくれよ」


『タマさん的には織り込み済みですが、なにか?』


 と、彼女は電脳内で憤慨しつつ、自動人形よりは安価な通訳ロボットに見間違えられるのは悪い事ではないので、小首を傾げて察しの悪いふりをした。

 さてこうなると、訳が分かってないのはシンだけだ。予測もつかない話に眉間に皺が寄る。


「……それじゃあ何だっていうんだ?」


「夜の街で働いている女たちのマンション。まぁ、間違いじゃない。だいたい一緒に暮らしてる奴が、マンションに囲い込むんだがな」


「一緒に?家族?いや、シェアハウス的な話か。同僚とか、同郷の仲間とか」


「兄さん、あんたイイ社会勉強ができるぜ」

 ヴィクトルは肩をすくめ、口をへの字に曲げた。

「男と女ってことだよ」


 そう言われてもピンとこないシンの視界に、察したタマさんがインフォメーションを飛ばす。


『ヒント:現地妻』


 もう答えである。シンはハッとなって、マンションを見上げた。ベランダに干された洗濯物には男物と女物が混じっていた。


 宇宙海賊にせよ犯罪組織にせよ、私生活の場ならセキュリティが高い事を望むだろう。官憲の追及や悪党同士の抗争もある。囲い込んだからには守らねば、いずれは自分の首元に刃が届く。マンション管理人が住人の情報を洩らさないようにしたのも、ヴィクトルが記録チップへの細工を調べたのも、そういう文脈からだ。

 彼の目線の先を確かめ、何かに気付いたのを見て取るとヴィクトルは続けた。


「女が子供がいると伝えているなら、男の方も一緒に暮らそうとするだろうさ。そうじゃ無いって事は、過去は捨てて来てるんだよ」


「そんなのっ……!?」


 そんな訳が、無いだろうか。シンは断言できなかった。

 あの宿の孫だって、記録チップを押し付けるようにして走り去っていった。祖父母と一緒にシンに依頼する方が自然ではないか。そうで無かったのは、もしかしたら、経緯を知っている祖父母に止められるから。

 母とか、家族とかは、そういうモノなのだろうか。少なくとも孤児であるシンの記憶では答えが出ない。


「貧しい辺境だ、よくある話だ。だから、こうした方が良いのさ」

 ぺきり、とヴィクトルは記録チップを握り潰した。


「なにしやがるッ!」


 と不意に声を荒げたのは、シン自身だった。なにか認めたくない衝動が火のように沸き立った。音も無く体が前へと出て、ヴィクトルの手首を掴む。


「おぉッ?!」


 彼は目を見張き、驚いていた。倒れ込むような重心移動は人の目に初動を気取らせない。シンはそこからヴィクトルの手首を拝むように振り上げて――


「合気かぁっ!」


 どこか愉しそうにヴィクトルが言うと、自らの崩されかけた重心を、逆にシンの上から圧し掛ける。押し潰すような体重と筋肉に、シンは力で抗ってしまった。体の動きが止まる。次の瞬間には足元を蹴り払われていた。


「うっ……?!」


 あまりに見事に宙に浮き、受け身も取れずに後頭部から路上に倒れ込んだ。

 モニターが消えるように、視界がブラックアウトした。


「……くそッ!?」


 目を開くと、至近距離にタマさんの顔があった。更にその向こうにはアンドー1号も見える。宇宙軽トラの荷台だった。


「気絶してたッ?!あいつはッ……」


 半身を起こすや、後頭部が傷んだ。顔をしかめるのを、タマさんが後頭部の瘤に冷えた自分の手を添えながら、


「去りました。テラ標準時間で11分30秒前です」


「負けた、のか……」


 呆けたようにシンは洩らした。三浦真の記憶から流れ込んだ柔道と合気の動きは、体内の極少機械群マイクロマシンのによる初歩的な身体制御と相まって、正直、それなりのモノになっていると自負があった。それだけに、何の手応えも無くひねられたのはショックだった。


『そういえば、あいつ、合気って言ってたか?』


 ふと疑問が過るが、すぐにタマさんがジト目で顔を寄せて来たもので、思考は中断させられる。


「な、なに……?」


「わたし、しらばっくれて、と言いましたのに……無視して世界観違う人に突っ掛かって、引っくり返ってタンコブ作ったお気持ちは如何ですか?」


 言いつつ、そのタンコブを冷やすために添えた手でぐりぐりする。頭の中を質量を持ったような痛みが駆け回った。


「ぐぉおおおぉっ!?ご、ゴメン、ゴメンって!」


「マスターが意識を失ってる間に、わたしが『何かされたようだ』済みだったら、どうするんですか?マスター登録は守られているとはいえ、世の中にはとんでねぇ変態だっているんですよ?他人事じゃありませんからね、マスターだって」


 突然お鉢が回ってきて、シンは鉛を飲んだように顔になる。何故か尻がヒュンとなった。

 どんな目に遭うか判ったものじゃない地域で、苦も無くひねられた事実の重篤さに気付く。助けを求めるようにアンドー1号の方を窺うと、視線に気づいた彼はいつものサムズアップをした。本当にシンが人事不省の合間に状況が悪くなっていたのなら、そのリアクションはしないだろう……と、思う。


 シンは肩を落とし、改めて「ごめん」と言った。


「良いですよ」

 タマさんは小さな溜息の仕草を――わざと――見せてから微笑する。

「そういうのも含めて、機械知性としてお支えし甲斐がありますから。あ、それと昨晩マスターが悶絶してたキノコの抽出物ですけど、ご執心のようでしたから、自動調理器のメモリーにダウンロードしておきました」


「やっぱり怒ってます?」


「怒ってませんよ?あとさっきの不確定名:ゴリラの様な男ですが、詫びの言葉と、地図データを残してゆきましたので、キノコ抽出物と標準配食パックのお昼を済ましたら確認しましょうね」


「やっぱり怒ってるでしょ?」


「怒ってませんから」


 彼女はそれからしばらく笑顔のままだった。

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