第2話 子供には無限の可能性があるらしい(2)
考えないように努めても、寝起きの気分は悪かった。自分だけが特大の損をしている、そう言う気分だった。
更に気分を悪化させてくれたのが、標準型の配食パックの”およそ殆どの人々に不評なパン”だった。穀物とも野菜ともつかぬ生々しい香りに、たっぷりと咀嚼できるもっちり生地の組み合わせは、拷問を延長させるようだ。
これが貧困救済のために無料なのは、早くまともな食事を金払って食べられるようになれ、という説教なのだろう。
孤児に現状改変能力は無いのだが。
シンは配食パックをコーヒー――という名前の根を煎じた薄味の湯――で流し込み、朝の農作業に出発する。
途中、タマさんが何か言いかけたが、彼は気づかなかった。
「――マスター?いえ、行ってらっしゃい」
普段のシンならタマさんが不思議がっている、と感じた処だが、今朝は気分が落ち込むばかりで、それどころでは無った。
トボトボと階段を一階まで降りる。集合住宅の脇に建っている小屋へ入ると、ずらりと農機具が並んでいた。
と言っても、今更、クワやスキが立て掛けてある訳ではない。何に使うのかも判らない機械道具もあるが、一目で理解できるのは、充電待機中の大量のドローンだ。厚みのある円盤形で、人が抱える程度のサイズ。世のドローンの何割かは、コレと同じような形状である。
シンは同様に充電中の
スリープモードから立ち上げると、今日の分の作業計画が自動で更新されている。昨夜のうちに全体の進捗や気象情報を加味し、AIが―—あるいはタマさんたちのような演算グループが―—農場全体の作業計画を練っていた。
アプリのアイコンに触れて作業計画に目を通し、使用許可の出ているドローンをオンラインにすると、足元に並んでいる円盤の表面に緑の光でラインがはしる。それから高域のファンの回転音がして、ドローンが離床した。円盤内部に回転翼があり、これが下方へ空気を送って揚力をつくっていた。
シンは携帯端末と雑作業用の鎌を手に、ドローンを引き連れて小屋を後にした。ちょうど他の住民たちもノロノロと集合住宅から下りてきている。
作業開始の時間だった。企業なら朝礼でもありそうだが、シンたちのように放任気味の孤児に、そういう社会的な接点はない。携帯端末に注意事項があって、作業開始前に毎回読む様に言われてはいるが、誰しも無視している。孤児たちの監督官も、居るには居る。が、わざわざ朝から顔を出すような熱心さは無い。
それでもう8年、シンは事故にも遭っていない。
農場は集合住宅の目と鼻の先にある。丘陵の裾野に広がる河川堆積物の肥沃な平野を利用し、広大な穀物の畑が広がっていた。今は成長期で目に映える青い草が、一面、膝丈くらいのヴェールをつくっていた。
作業用の学校指定運動着に長靴、キャップをかぶったシンはどう見ても農民で、ドローンを連れて畑の周囲の定められたコースを歩いている。広い畑の所々で、彼と同じようにドローンを連れた子供が歩いていた。
追従するドローンの側面から、先端に重りを付けた紐が等間隔に伸び、一斉に横方向へ高速で移動を始める。円盤の側面なのでこれが一周し、また行き過ぎ、要は自立飛行する草刈り機である。ちゃちな仕組みのようだが、回転する先端の重り程度でも下草を刈り飛ばすには十分だった。
シンの後方からは刈り払った草を回収するドローンを連れた子供もついて来ている。この二人一組で、小一時間掛けて日毎に計画されたルートの草を刈って回った。人間が同行するのは、草刈り用ドローンでは太刀打ちできない硬い茎をもつ草木等の対処で、時折ドローンが草の高さから跳ね上がって知らせてくる。
その都度シンは斜めに鎌を振るって、指ほどの太さの茎を切断して回る。
太陽は見る間に高くなり、真っ白に輝いていた。陽光が草地の湿気ごと空気を温めると、ひどい草いきれを発生させる。体の奥からジクジクと汗が滲み、頬を雫となって流れ落ちた。
切り払った硬い草を投げ捨てながら腰を伸ばすと、僅かな温度差ながら空気に清涼感を感じた。
気づけば霧雨のような水が気温を下げていた。作物の間を縫ってはしる導水管から、水が吹き上がっている。自動化された水やりの時間だ。
わずかな涼に一息つきながら、残りの作業を確認する。と、今日に限って携帯端末が賑やかだった。いつもならルート以外は『作業範囲外』と一括りにされているのだが、何故か今はいちいち『危険』とか『管理域外』とか、表示が事細かだった。
不思議には思ったが、作業外の事だったので気にしない事にする。変に気にして見に行っている間に作業進捗が遅れようものなら、監督官から文句を言われてしまう。
そのまま作業を続け、ルートを回り終えると、木陰で休憩をとった。
もう少し気温が高くなると、30分も野外活動をすれば休憩を催促するアラームが鳴るようになるだろう。きつい季節が近づいて来ていた。
手ぬぐいで汗を拭き、作業開始前に配られた水をがぶがぶと嚥下する。補水液のような気の利いたものは無いので、一緒に渡されている塩のタブレットを飲んで、汗で流れ出たミネラルも補給した。
少し離れたところで回収ドローンを連れていた孤児も休憩している。昨日の子供とは違った。
草刈りと回収は、別々のローテーションで回っていた。それも孤児同志に接点を作らせず、孤立させたまま管理下に置いておきたい自治政府の意図らしい。
そんな処まで気を回さずとも、今の自分を見れば、十分に孤独だろうに。
溜息をついて、畑から目をそらす。
畑の脇は緩い斜面に続き、底には沢が流れていた。斜面もドローンが草を刈っているが、沢が削って作った谷型の地形にも、草が残って丘のように盛り上がった箇所があった。
見逃しだと拙いので携帯端末で調べると、そこも範囲外扱いだった。今日の自分だと、『危険:未確認』と表示されている。
いったい今日に限って、どうしたというのか。タッチパネルでその表示に触れると、簡単な詳細がぶら下がりで出る。
「……なになに、惑星改造中の作業艇、墜落地点。
シンはもう一度、谷間に出来た小さな丘を見やる。どうやらあれは惑星改造用のマイクロマシンに上から覆われた、昔の作業艇らしい。
おそらく、それ自体は公開情報だが、日ごろのシンには情報へのアクセス権がないため、閲覧出来なかったのだろう。
「なんだ?俺のアクセス権限がバグってるのか?」
たまにはそんな事もあるのだろうか。シンはその時には、深く考える事は無かった。
~ ~ ~ ~
休憩後は太陽もいよいよ頭上で輝き始める。野外作業は何とか予定された進捗通りに終了し、孤児たちは学校の近くにある食糧生産プラントに移動した。昼までのあと少しの時間、屋根の下で農作物の搬入作業を行う。
作物は工場で原型の判らない合成食品に加工された。高栄養価で嵩張らず、タンパク質ペーストのビタミン添加物と比べれば、原料は曲がりなりにも天然物であるため、高級品扱いされる。なお配食パックとは社会的地位を比べるべくもない。
それは農業惑星の主たる外貨獲得手段だった。
作業は搬入口にやってくるトラックの荷台から作物の袋を下し、ひさしの下に積み上げるだけだ。それから先は作業用ロボットがやってくれる。が、袋の重さはテラ標準単位にしてざっと20㎏。バケツリレー的に流れ作業をしても、結構な疲労になった。しかも、
「なんか、今日、人が少なくね?」
誰かが漏らした。
そうだ、普段なら学校から一般家庭の生徒が、何名か手伝いに来る筈だ。それが今は孤児のグループだけ。これでは何時もより少人数で作業している事になる。
おかしいと思っているうちに、作業者が増えないまま搬入は終わった。
ひさしの下とはいえ、空調が有るわけではない。どんどん上昇する気温の中、何とか作業を終えた孤児たちは、汗みずくで日陰の下に逃げ込んだ。
悪態をつく元気もなく、水をがぶ飲みする。
と、シンは陽炎が揺れるコンクリートの向こうで、こちらをニヤニヤと見ている連中に気付く。
昨日、自分を突き倒した奴らだった。クラスメイトらしいが、名前は知らない。自分の置かれた状況で、今後も接点が続くとは思えない。知る必要もない。
そう思う事自体が孤立の遠因なのだが、愛想を良くして益のあった成功体験も無いので、シンの行動は固定されてしまう。
そいつ等はシンたちの疲弊具合を見ながら、どういうつもりか、こちらへ歩いてきた。
「やぁ、すまないな。明日は陸上の記録会で、作業は免除されたんだ」
金髪で筋骨隆々としたリーダーがそう言った。ハンサムで背が高い、模範的なA系人種のテラ人だった。きっと卒業後はどんな仕事に就いても、指導者的な立場になるのだろう。そんな彼は何を思ったのか、シンの前まで歩いて来る。
「やぁ、ミューラ。明日の記録会のために、ひとつ協力してくれないか?」
シンは彼の名前を知らずとも、彼は知っているらしい。はた迷惑な事だと思いつつ、クラスメイトとして話だけは聞こうと腰を浮かせたところで、いきなり蹴り飛ばされた。ひっくり返るシンに、まわりの孤児たちがざわつく。
一般家庭の生徒たちはそれを浮ついた雰囲気で見ていたし、蹴ったリーダー格の男に至っては、酔っぱらったように表情を緩めている。
「あぁ~、これが自分の意志で力を行使するということか……」
リーダーは恍惚と呟きながらシンに近づいて来る。
「判るか?農民奴隷のお前に。農業惑星のテラ人は感情を抑制されているんだ。反乱防止のためにな。だが、オレ達は明日の記録会で全力を出すために、抑制を取り払われている。素晴らしいじゃないか、これが本来の人間の力なんだ」
そう言いながら、シンを踏み潰すために足を上げる。
さしずめ、どう扱っても良いと彼らが勝手に考えているシンを、試し運転の相手に選んだのだろう。
ほんとうに、なんて勝手な奴らなのか。シンの頭が、持つ筈のない感情に支配される。
刹那、突然の暴力に成す術の無い筈のシンの姿が消える。コンクリートを蹴って、ロケットのように飛び上がっていた。リーダーの足の下に出来た空隙を縫い、膝裏に肩からぶつけながら立ち上がる。今度は彼がひっくり返り、シンが見下ろす形になっていた。
「……知っているさ、それくらいッ」
吐き捨てるように言ったものだったが、それは昨日、異なる宇宙の自分に触れて初めて理解できた事だった。クラスメイトというより、星間連盟に対して黒い感情が渦を巻く。
テラ人は地球から追い立てられ、はるか宇宙の片隅で感情にタガを嵌められて、農民奴隷として使役されていた。その事実に怒りを覚えていた。
いや、この一晩でようやく情報と感情に整理がつき、怒りと言う大きなうねりを『思い出せた』のだ。なお、その時のトリガーとなったソバの味が違った件は、怒りでなく恨みとして脳内で整理整頓している。
なので、シンは落ち着いていた。そしてその様は、日頃から些細な悪意の発露程度で満足していたリーダーの自尊心を、またもや刺激した。
「お前ぇッ!その澄ました顔が、気に食わないんだよぉッ!!」
リーダーは激昂して立ち上がりざまに、シンへ腕を伸ばしてきた。殴りかかる、ではない。テラ人の農民奴隷に、そういう発想や動きは教えられていなかった。だから昨日もシンを突き倒し、ランニングのついでに踏み付けてゆく、それくらいの暴力しか知らなかったのだ。
そしてシン・ミューラの頭の中には、別宇宙の自分である三浦真が学んでいた、柔道と合気道の経験が常駐していた。部活動とその延長の趣味くらいの経験だったが、武道の概念すら知らない者を制圧するには充分すぎる。
伸びたリーダーの腕を真下から弾く。手の平で肘の辺りを押し上げると、面白いくらいに他人の腕が跳ね上がった。
そして肉体のコントロールを離れた彼の腕を握り、背後に廻り込めば、簡単に腕を捻り上げられた。
「うわぁ?!何をしたッ!?何をしたんだよぉっ!」
リーダーの戸惑う声。突然に奪われた肉体の自由を理解できず、無理に動いては自分の関節を痛めつける。
「痛いっ!?いたいぃッ!?」
肩関節を極められている事を自覚していないのだが、このままでは怪我をするため、シンは手を放してリーダーの背を突き放す。だが、たまたま藻掻いて離れようとしていたリーダーの動きのベクトルと、シンが背にかけた圧のベクトルが合わさり、思いのほか勢いがついていた。
結果、リーダーはつんのめってコンクリートに顔から倒れ込み、盛大に鼻血を吹いた。
これが悪かった。出血に取り巻きたちはいきり立ち、一斉にシンへ向けて躍り掛かって来る。
「おいっ、なにするんだッ!!」
最初に伸びて来た腕は、シンの肩を突き飛ばそうとでもしたのだろうか。無防備な手首を掴み返して懐に飛び込み、体を半回転。相手の勢いごと背負いこみ、引っ張った腕へ伝えれば、見事な一本背負い投げにになる。
「こ、こいつっ!!」
続けて次の一人の襟首を掴んで引き付け、外側から足を引っ掻けながら体を横回転させて、払い腰で投げ落とす。
「ひっ?!」
次の一人は瞬く間に仲間が倒されたことに体が委縮した。シンが踏み込みながら、手の甲で目を打つように動くと、余計に驚いて大きく仰け反った。あとは重心の崩れた肉体の、足元を引っ掻けてやれば、容易く背中から崩れ落ちた。
技術の有無は残酷だ。シンは立てかけてあった棒を薙ぎ倒すように、次々と彼らを制圧していった。
しかし喧嘩もしたことが無い、という意味ではシンも同じだった。いつの間にか身についている動きに任せるまま、受け身も知らない同級生をコンクリートに叩きつけて回ったのだ。結果、プラントの搬入口前は凄惨な有様となった。
ちょうど孤児の誰かが大人を連れてくる。
倒れた同級生の中心でただ一人、シンは現実感を失って呆けたように立っていた。血と呻き声の中、太陽の焼けるような暑さだけが現実を訴えてくる。
シンは疑うべくもない暴力行為の現行犯で拘束された。
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