第30話 名誉の死、恥辱の生(2)
翌日、シン・ミューラは朝から引き続き掘削場跡で岩屑回収を行っていたが、昼近くになると作業を切り上げ、
『これはスケベ根性じゃないぞ。後学のためだなんだ』
自分に言い聞かせながら、ミト一行から送られたスマートグラスをちゃっかり着用し、目線を隠した。準備万端だ。
とは言え、エロ本を隠れて買い求めに行く地球の中学生じゃあるまいし、本気で煩悩に正直な買い物に来た訳でもない。もっと子供じみた、縁日の見世物小屋やミラーハウスにおっかなびっくり入るような、怖いもの見たさがあった。
先日、大立ち回りを演じた露天市は人で溢れかえっている。シンと同様の冷やかしも多いだろうが、荒みの染みついた男衆や、部下を従えた派手な
茶虎やシンが破壊した壁や物置の残骸は律儀に片づけられ、今やピンク系のライティングで何となく落ち着かない空気が醸成されていた。
地下の【ヘキチナ】星都にあった海賊目当ての歓楽街のように、華やかで、また毒々しい。言うなれば色街の雰囲気だ。シンにはとんと縁遠いので、理解までも遠いのであるが。
そういう空気を醸すのは色合いだけではない。臨時に空地へ張られた天幕の下では、怪しげな食品や、油に香料、薬品が並び、甘いともスパイシーともつかない香りで雰囲気の一助を担っている。
他にも用途不明だが、天幕に玩具とかジョークグッズと大書きされた小道具も陳列されていた。
状況証拠からシンが察するに、きっと全て夜の生活に使う大人なグッズなのだろう。
露店によっては豊かな乳房や臀部が、切り身のようにでーんと店先に並んでいる。ともすれば猟奇だったが、昨夜のタマさんの黒インナーを思い出し、ドキリとさせられた。
『……あれもアンドロイドや自動人形の部品なのか?』
いいえ違います、と説明してくれる者もいない。
遠巻きに露店の冷やかしを続けていると、不意に周りの客の熱気の高まりを感じた。臨時露店の脇に停車していた大型トレーラーのコンテナが開いていた。コンテナの側面が、くの字になって上にせり上がってゆくと、内部が露わになる。
野卑な歓声が上がり、聞きつけた客が更に集まってあっと言う間に人垣が出来た。彼らの求める販売が始まったのかと思ったら、どうも違うようだ。コンテナの中はカラだった。
どこかに設置されたスピーカーが重低音の唸りをあげ、腹に響くウーハーを流し始める。コンテナ内部にガスが焚かれ、床面に漂い始めた。
何事かとシンは目を細めてトレーラーの方を眺めていると、【青髭同盟】の
重厚なカーテンが舞台袖のように掛けられていた。その奥から現れた黒毛は、もともと黒いだろうに、更にダークスーツを着込んでいた。なにか芝居掛ったものを感じた。そこがメインイベントのステージなのだろうか。
黒毛はしきりにマイクを手に捲し立てているが、観客の歓声やら野次やらが激しく、断片的にしかシンの耳まで届かない。
どうも今からお披露目とやらが始まるらしく、それから夕刻にオークション形式で販売になると言っていた。そして観客はお披露目を早く始めろと騒いでいる。どうもそれを見るために押し寄せているようだった。
熱気に圧されたのか前説を素早く終えた黒毛が手を振ると、スピーカーの重低音が一層大きくなり、ステージ上を色取り取りのレーザーが躍り始める。野卑な歓声と指笛が、客の興奮ぶりををよく表していた。
シンは故郷の農業惑星ではついぞお目に掛った事のない音と光の本流に目を奪われていた。呆けたように突っ立っていると、ステージの舞台袖から急に人影が飛び出す。
わっと男どもの歓声が波となって押し寄せた。
ほとんど全裸の女性だった。宝飾と透過率の高い布で局部を覆いはしているが、豊かな肉付きや柔らかなラインは、むしろ強調されて見えた。そして足のラインを見せつけるよう、ゆっくりと練り歩き、ステージ中央でくるりと回って見せる。動きに従って布が翻り、尻たぶがちらりと見えた。
また男たちが歓声が波になる。
そうして手を変え品を変え、次々と舞台袖から飛び出しては、多少のパフォーマンスと共にステージを横切って、反対の舞台袖に消えてゆく。
『うわぁ、大きな宝石が付いてたり、付いてなかったり……あれは大きい、真珠かな。いや、真珠じゃあんなとこ隠れないもんな……』
シンはカルチャーショックで精神崩壊気味な事を口走りつつ、見るとはなしに媚肉の行列を見ていると、野卑な煽りがふっと止まったのに気付いた。
誰もが息をのみ、あるいは戸惑っているようだった。
何事か。シンは目をしばたいて、今一度ステージに目の焦点を合わせた。そこで彼も息を飲んだ。
ステージの上には一人の
彼女はここまでの肉感的な女性たちよりも細身で、引き締まった肢体をしている。そして種族特徴である長い尾が揺れる様は、どこか優美だった。頭部はヴェールで隠れて顔は定かでないが、女性的な丸みを帯びつつも、部位ごとの形状は確かに爬虫類を思わせる。
全身はきめ細やかな鱗で覆われていた。突起や反りは無く、肌と一体化して、動くたびに濡れたように輝く。色はほんのりと桜色を帯びているかに見えたが、目を凝らすと鱗は半透明で、皮膚の下の血肉の色を微かに通して色付いていた。
体には前開きの薄衣――ベビードール?――を羽織っているが、胸部よりも腹部が大きく膨らんでいた。彼女はそのふくらみを大事そうに両手でかばいながら歩き、いそいそとステージの反対側へ去っていった。
愛想も何もない。恥じ入るような素振りすらあった。
その異界の美しい生物は何だったのか。いや、美しいと感じて良かったのか。そしてあれは、妊婦であり、奴隷であったのか。ただただ異様で、集まった観客は言葉を失っていた。
黒毛が静まり返った会場に慌てて次の商品の紹介を入れる。
「さぁ次は皆様お待ちかねのッ、ミノ・ホルスタイン族だぁー!」
空気を読んで、あるいは白昼夢を振り払うように、観客はぎこちないながらも「おぉー」と声をあげ、テンションを戻してゆく。
シンだけが鉛を飲み込んだような重苦しさを感じていた。
有り得ない異界の美に、すっかり目を奪われていた事は確かだった。だがすぐに茶虎や、アン姐さんの言葉が思い出された。【青髭同盟】が探していた爬虫人類の集団。それが同族の奪還を企んでいる可能性。それに昨日遭遇した、単独行動の爬虫人類。
さっきの”アレ”が目的じゃないのか。そう思ってしまうくらいには、名状はしがたいが、得難い価値があるものに思えてくる。
今更ながらに周囲を確かめると、爬虫人類の集団こそいなかったが、見かけた事のあるボロ布をかぶった青い尾が見えた。シンの標準型配食パックを盗み食いしていたヤツだ。
建物の影から、ステージを窺っている。周囲の見物客の視線も同じ方向に集まっているので目立ってはいないが、例えば警備する側の視線からは、どうだろう。
シンはスマートグラスのフレームにあるボタンで、視界情報にスクリーニングをかけた。すると建物の屋根や屋上に、伏せるようにした熱源を検知していた。
慌ててスマートグラスを外し、顔を見せながらボロ布の爬虫人類に接近する。
事前情報からの憶測ばかりで、さしたる根拠もない。だがシンには今にも飛び出しそうな、切羽詰まった意思を感じたのだ。
「おい、あんたッ」
声を潜め、吟味した言葉を一気に口にする。
「何かする気なら、今は止めた方がいい。狙撃手がそこら辺の屋根に潜んでいる」
ボロ布の爬虫人類はビクリと肩をあげ、シンの方を見た。目深にかぶった布で顔は窺えないが、敵意はない事は伝わったろうか。
真意は掴めなかった。爬虫人類は軽く頭を下げると、またあの素早さで路地の奥に消えた。
なにしろ先日も黒毛や茶虎が、猿起源の人類種の個体識別は出来ないと言っていた。それは爬虫人類にも言えるのかも知れない。
それに真意が掴めないのは、自分自身の行動もそうだ。
少なくともあの茶虎と波風たて、またぞろ白兵戦なんてやりたくない。それなのに、【青髭同盟】の『シノギ』を邪魔する可能性を助長させている。
それが正義感を是とする若年ゆえの衝動であることを、シンは理解していなかった。そういう意味では、彼も人間に理解が深いわけでは無いのだ。
そして一つ、気付いた事があった。
ヴェールに隠れたお披露目の彼女と、ボロ布を被った青い尾の印象が似通っていた。
あれはいかにも爬虫類的になる成体の特徴でなく、未成熟さを表す丸さではないだろうか。
幼児の外見的特徴に通じ、親や群れの構成員に愛着を抱かせやすい――母性や保護欲を向けさせるための生存戦略だ。そして知生体の社会の中にあっては、愛らしさや美しさの一端にも通じ、当然ながら強い個体からの庇護を受け易くなる。
あの青い尾は同姓、いや、若い個体ではないだろうか。
それが単独で、人類種の惑星に身を潜め、何かの機会を窺っている。まるで並々ならぬ決意があるかのようで、シンは釈然としないものを感じるのだった。
~ ~ ~ ~
昼下がり。シンは奴隷販売のお披露目を見た後、すぐに採掘場跡に戻って作業を再開した。
昼食はもちろん、タマさんから持たされた配食パックだった。苦虫を嚙み潰したような顔で、むっちゃむっちゃと歯応えばかりある不味い生地を咀嚼し、ペットボトルの水で嚥下する。食ったという満足は無いが、腹の中で驚くほど膨れるから腹持ちは良い。
一休みして口内の不快さが去ったら、引き続き採掘場跡で欠落した岩屑を採取し、残った僅かな鉱物を抽出する。昨日の出来高の悪さを鑑み、午後からはセンサー代わりのタマさんの旧ボディには岩屑の多い堆積環境でなく、金属反応をメインに探らせていた。
結果、昨日の様な総当たりの大掃除でなく、ピンポイントで集塵しては、掘削跡の壁沿いを移動する形になった。これだとリヤカーに詰んだ物質精製機から伸びるホースが作業可能な距離になるため、頻繁なリヤカーの移動が必要になる。
これが曲者だった。リヤカーまで戻っては押すなり引くなりしてから、ホースを這わせる経路を確保し、作業を再開。採取ポイントは次々に横に移動するので、早晩、ホースが張って作業限界距離に達する。そこでまたリヤカーまで戻される。
そのうち面倒になり、常にリヤカーを並走させての作業になったが、物質精製機もそれなりの重量物だ。しかも採取作業よりも移動時間の方が長くなる始末。
二人作業とまではゆかないが、一人でこなすには手持ちの道具が全く最適化されていない状況に、シンはすっかり嫌気がさしてくる。
『考えてみたら、ジャングルじゃドローンに中継をさせていたけど、あの仕組みもタマさんが組んだ物だったよなぁ……今だってアンドー1号がいたら、黙ってリヤカーを押してくれたのだろうけど……人間一人の素人仕事なんて、こんなモノかぁ』
しょぼくれた事を呟きながら、背負子の肩ベルトからチューブを引っ張り、水を吸い込んだ。思ったよりも汗をかいていたのか、水がうまい。
『さー……ヘソを曲げていても仕事は楽にならないぞ。何かいいアイディアはないか』
ちょっと顔を引き締め、改善策を考える。だが何しろ手元の選択肢は少ないので、妙案が浮かばない。
というか深く集中するには雑音が多かった。露店市の喧騒だ。ついつい思い出すくらいには衝撃的だった。
『……助平心は無いと言っても、ガン見ちゃったしなぁ。あれじゃあ、ほかの見物客と同レベルだよ……というか、相変わらずうるさいなぁ、あっちは……って、なんだ?』
いささか自罰的な思考になったが、喧騒に怒号が混じっているのに気付くとハッとなった。
露店市の方を確かめれば、幾筋か煙が立ち上っている。まさかあの茶虎が盛大に篝火を焚いて、『ドキ!野郎だらけの喧嘩祭り~辺境で一番つええヤツ~』なんて開催している訳は無いだろう。
ならば何らかの火種が燃え上がったのだ。比喩的表現でなく、本当に物理的な火の手として。
当然のようにあの青い尾の
どちらも、あのお披露目に出ていた半透明の鱗の爬虫人類が目当てなのか。
二度あることは三度ある、とは地球の言葉だったが、シンは得体の知れないものに突き動かされていた。荷重になる背負子を肩から下ろすと、採掘場跡を離れて露店市へと走り出す。
あるいは茶虎の言っていた『突っ掛かるな』という忠告は、こういう子供じみた無鉄砲を指していたのかも知れない。だが、体が動いてしまうのだからしょうがない。
露店市が近付いて来るにつれ、炎があがっているのが見えた。どこかが火事を起こしているようだ。
誰かの意図があるなら、それは放火、付け火の類という事だ。火で人の目を集め、消火のために人手を割かせる。その間に本当の目的を達成する。古来より続く三十六の計略の一つとして、艦長【0567$^0485】からも教わっていた。
その最終目的が憶測でしかないのが惜しいところだが、シンはお披露目のあった広場を遠目に確認できる距離に達した。ドローンがあれば俯瞰で状況を確認できたが、今はスマートグラスの機能に頼るしかない。
赤外線モードにすると露店の一部で火災が起きているのか、赤が強い一帯が検知された。
群衆も同様に熱源反応の塊りになるため、個々人の識別ができない。更に建物の裏に入ると赤外線は容易く遮られる。それでも群衆の流れはどうにか掴めた。
露店市場から街の方へと流れて行くのは、避難している客だろう。逆に火元に向かっている複数の流れは、消火活動か【青髭同盟】の手勢だろうか。
そして最後に因果関係の分からない、街の外れへと高速移動する複数の熱源。先頭の小さな熱源を、小集団がまるで追い駆けるように移動していた。
例えばあの青い尾が、半透明の鱗の手を曳いているとしたら。夢想じみた光景だったが、シンもその線を推してみたかった。
ルート的にはここまでの道を逆走するようなものだ。
だが雑踏の中で視界が切れるので、直接に熱源を追走するのは無理だった。そもそも、熱源を捉えながら、周囲の構造物を同時表示させる機能までは無い。
諦めてスマートグラスを外すと、見晴らしの良い採掘場跡までの復路を一気に走る。そこで再度スマートグラスをかけると、
「……くそッ!?」
思わず悪態が漏れた。
外している内に待機状態になっていた。何も見えない。
すぐに機能が再起動するが、赤色の反応はかなり離れた場所になっていた。途中、どこかで道を折れていたようだ。
『えぇい、まったくバカバカしいッ!』
心の中で悪態をもう一つ。タマさんの支援なり、ドローンなりがあれば、こうはならなかったろう。それでも走るしかない。奴隷の需要と同じで、結局は肉体が資本だ。
今度はスマートグラスが待機状態にならないよう着用しながら、遠くの目標を肉眼で追いかける。要所で立ち止まっては、赤外線を確認して方位を微調整。二度手間だが、あるいはこのスマートグラスを使っていたカーク・サンダースは、自前のサイバネティクスで機能を補完していたのかも知れない。
まったく、貰い物で好い気になっていた。
シンはまたしてもしょぼくれながら、どうにか追い駆けていたのだが、見通しの良い筈の採掘場跡で、やがて熱源は消失してしまった。
立ち止まってスマートグラスの映す光の波長を調整し、赤外線以外の視覚情報も探ってみる。だが新たな痕跡は発見できなかった。
「ここまでなのか……」
人間一人の力なんて。続く泣き言は、何とか飲み込んだ。
なにか見付けられないものかと、スマートグラスで光の波長をいじっていると、採掘場跡の壁面に黒い穴が何度か現れたのに気付く。パラメータを確かめると、どうやら影の部分が濃く表示されたらしい。
不意に茶虎が言っていた、坑道という言葉が思い出された。
「坑道!茶虎のやつ、そこに潜り込んでいるとか疑ってたな……」
露天鉱山の壁面に穿たれた坑道は、僅かな資源の残りを探し求める山師たちが掘っているものだ。熱源が消失した付近とも合致しそうだった。
暫時、今の自分の持ち物を再確認する。
背負子は下ろしてしまった。強力な照明や、簡単な生命維持機能があっただけに惜しかった。それでもスマートグラスに暗視機能がある。そして武器に、調査にと便利使いしていたマルチツールは整備中。代わりに流体金属剣がひと振り。
これでいけるかと口にしたら、タマさんが飛んできて説教される事だろう。
「……なので、まぁ事後承諾だな」
スマートグラスの機能でタマさんへ現在位置だけは連絡しておく。坑道へ入って帰りが遅ければ、迎えが期待できるだろう。
なお現実は露天市の出火騒ぎと、それに付随する様々な状況の変遷を、街の監視カメラや【青髭同盟】の通信傍受から察知しているタマさんである。シンからの明らかな『また何か厄介事に突っ込んで行く』宣言に、おもわず奇声を発するのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます