第39話 星の貧――もとい、賢者(1)

 一歩踏み出すと、爪先の前でコーギーがごろんと腹を見せた。


『あしょんでよ』


 無言の攻勢を袖にするも、二の足の踏み場を選んでいる内に、他のコーギーが足の間でグルグルと∞の字を描き始めた。


『あしょんで?』


 ふとこちらを見上げているヤツと目が合うと、大きな黒目がそう問うて来る。

 ハッとなってシンは目を反らす。知らぬ間に頬が緩んでいた。何という精神攻撃か。彼らもシュープリンガーのように知性を与えられ、その見た目を理解して振舞っているのではないか。


 幸いにも(?)シンの思い付きの半分は杞憂だった。

 では残りの半分はと言うと、コーギーたちは半知性化犬という介助用動物の一種だった。

 知性化動物の失敗を踏まえ、訓練を施した動物に初歩的な極少機械群マイクロマシン処置と、AIチップをインプラントしたもので、本犬の意志を変革させないまま、人間との意思の疎通を円滑にした動物たちだった。


 動物好きの夢が実現したと取るか、所詮ペットがベースのレベルと取るかは、受け手の判断に委ねられる。

 何しろタマさんにそう解説されるまで、シンはそういうペットのバリエーションを知らなかったし、【星間連盟】から旅立ち、辺境宙域をウロチョロする間も、見掛けたためしが無い。おそらくマイナーな技術なのだ。


 だが月並みではあるが、宇宙は広い。何処かの星では、知性化技術も洗練され、市民権を得ているところが在るのかも知れない。

 差し当たって、この船はどうなのか。少なくともシュープリンガーは乱暴にコーギーたちを扱う事は無く、大型犬特有のでかい手で横にどかしながら、


「これっ、大概にせい。お客様だぞ」


 そう言うと、牙を剥いて威嚇した訳でもないのに『ちぇー』というような顔をすると、道を開けてゆく。

 シン的には無碍にするのを回避できたので、聞き分けの良さに感心する。

 タマさんがどう思っているのかは謎だった。何しろ機械知性に愛玩動物の愛嬌は通用しない。あるいは気が向いたら、無表情でコーギーの腹をわしゃわしゃするのだろうが、今は腹に抱え込んだ卵があるので、おいそれとしゃがみ込む訳にもゆかない。犬たちが相手して貰える目は少なそうだ。


 どうにかこうにかドッグランを通過して、奥の扉の前に立つ。

 その向こうに待っているのは偏屈な学者か、犬ばかりを侍らせた人間嫌いの引きこもりか。

 シンが居住まいを正し、意を決しようとする矢先、その脇でシュープリンガーがひょいと背伸びすると、おそろしく無造作にコンソールパネルへ肉球を押し付けた。


「主ー、開けますぞー。お約束のあったお客人ですぞー」


「んなっ……?!」


 シンの心の準備を待たずスライド式の扉が開く。

 星のスター・オウル号の主の書斎は、適度な照明に照らされた、殺風景な部屋だった。ぶ厚い本が並んだ書棚という偏見は瞬時に否定された。

 考えたら、本のような記録媒体はデジタル化され、今ではタブレット等の形に変わっている。もっとも、それが部屋の中央にある執務机の上に積み重なっているのだから、記録媒体に囲まれた、というイメージは合っているのかも知れない。


 大きな執務机の上には他にも計測器や分析器の類がごちゃごちゃと並び、山や丘をつくっていた。タマさんの目はその殆どが簡易式や可搬式をウリにした、身軽な機材だと看破する。

 部屋内が殺風景なのは掃除が行き届いているからで、机の上だけは部屋の主が外から戻るなり機材からデータを吸い上げ、まとめに入るから、常に散らかっているのだろう。


 そして部屋の主が機材の山の向こうから起き上がる。どうも執務机の上に突っ伏していたらしい。その顔は起き抜けで、シンの予測――偏見ともいう――に反し、歳若いようだった。


「またそんなトコロで寝ていたのですか、主!お客人の到着時刻は伝えてあったでしょう!」


 シュープリンガーが執務机の向こうに走ると主人を窘める。見た目的にはドーベルマンが吠え掛けているようにしか見えない。


「いやぁ、調査報告書が良い感じに仕上がりそうだったから、ね?」


 そう言ってシュープリンガーを宥めているのは、ゆるくウェーブの掛かったブラウンの長い髪の、男性のように見えた。整った目鼻立ちの細面に、大きめの多機能グラス――つまり瓶底メガネを着けている。

 着衣はくたびれた白衣にスリムのパンツ。それから鎖骨のまわりが大きく開いた丈長のカットソー。


『……って、なんだか女性みたいな服装センスですね』

 観測しているタマさんが小首を傾げた。

『実は女性?……にしては、”その胸は平坦であった”ですし、肩幅もけっこう有りますよね。腰骨位置は……服に隠れて予測値にしかなりませんか』


 たとえば惑星【ヘキチナ】のアンブロジオ姐さんなどは、一目で”オネェ”と判る筋骨隆々さであった。胸囲の数値は納得の豊満さである。きっと筋肉だが。

 だがこちらは中性的で、男女の判別がつかない。性差が少ない星人だろうか。

 タマさんが自己の記憶領域を検索し終わる前に、星のスター・オウルの主は椅子から立ち上がると、執務机に手をついて頭を下げた。


「申し訳ない、試料調整の方は最終期日までには――」


「そっちの要件じゃありません、主よ」


「え?じゃあ機関紙への論文の方の催促?」


「催促だけにわざわざ辺境まで来る事務方がいますか」


「期限を超過してるローンってあったっけ?」


「そっちは拙者ががっつりマネジメントしてますゆえ。ほれ、本家筋からの紹介がありましたでしょう」


「ああっ!あの件だね、憶えてるよ」


 取り繕うような雰囲気なのは、よほど優先順位が下だったのだろう。バタバタと手元の携帯端末PDFに何やら機材を持ってくるように指示を出す。いちおう、人間がいるのだろうか。


「……なんか、凄く忙しそうなトコロだね」


 シンは小声でタマさんに囁く。言外に不安が漏れている。タマさんも不確定要素が多すぎて、何とも判断が付けられなかった。曖昧な笑みを浮かべて首を傾げる。

 男女不詳の主はそうして指示を出し終えた携帯端末から顔をあげると、


「今、孵卵器を持って来させるからね……惑星【H5】のTiリメーン特殊帆布問屋の若旦那からの紹介だったね。シン君とタマさんでよかったかな」


 その設定、まだ活きてるんだ。シンはちょっと白けるものを感じたが、シュープリンガーも本家筋なんて面倒そうな単語を口にしていたし、関わらない様に聞き流す。広い宇宙。何にでも首を突っ込んでいては身が持たない。

 既に遅い気もしないでもないが。


「私はレオナルド・シトー。銀河帝国大学の宇宙生物学研究室の末席にしがみ付いている、しがない博士研究員ポストドクターだよ」


 穏やかにそう名乗った際の声は、男性としては少し高いが、女性と判断するには低いように聞こえる。ただ名前は男性に多いものだった。


 そしてポストドクター――ポスドクという事は、学問の世界で生計を立ててはいるが、確たる立場が無い雇われという身分であり、だいたい殆どの若手研究者が通る冷や飯食いな状況であった。

 もちろんシンは学術方面の世知辛さを知る由も無いから、ポスドクだろうが大学教授だろうが、お偉い先生である。


「先生っ、この卵を無事に孵してやりたいんです」


 タマさんへ目配せすると、エプロンの下に抱き込んでいた卵を出して貰う。緩衝材やら保温用の毛布やらにくるまれた卵を降ろすと、彼女は積載荷重以上の何かが、ふいと抜けていったように錯覚した。


『あら、まぁ。我ながら貰い物の躯体で、母性もあったもんじゃないでしょうに、ねぇ』


 それでも満更でもない微笑を浮かべると、タマさんは爬虫人類レプティリアンの卵の縁を指先でなぞってから机の上に静置した。

 いつの間にかコーギーたちも何匹かこっちの部屋に入り込んで来て、興味があるのか無いのか、いまいち判断のつかないとぼけた顔で、シン達と卵との間をキョロキョロさせている。半知性化犬とは言ったが、彼らも実際のところ、何が起こっているのかまでは認識出来ていないだろう。


 一方レオナルドは携帯端末PDA片手に、興味深そうに机に身を乗り出し、卵を観察している。PDAにはタマさんが最初の通信の際に送った要件のメールが届いていた。彼女が調べていた当該部族の所見もエビデンス込みで添付してあるので、そこに目を通しながら、実物を見分しているのだろう。


 現に瓶底メガネには膨大な量の見立てが羅列されていた。彼の呟きに応じてエージェントAIが検索し、「ふむふむ」「ほうほう」と言った独り言に混じってスクリーニングの指示が出ると、文字列が減ったり、入れ替わったりしている。

 ややあって、レオナルドは顔を上げ、一度大きく頷いて見せた。


「うん、孤立部族とは言うけれど、水棲とかじゃなければ大きな差異はなさそうだ。これくらいなら手持ちの機材でもイケそうだよ」


 それは少なからず固唾を飲んでいたシン達には朗報だった。主従は顔を見合わせ、安堵の息を吐く。

 そ、その足元を食洗器のような機材が、のこのこと歩いて行く。よく見ると4匹のコーギーが、皆で器用に背中に背負って、足並み揃えて歩いている。

 やはり人間はいないのだろうか。


 レオナルドはそれが見慣れた光景なのか、食洗器を受け取ってからコーギーたちに労いの言葉を掛ける。すると彼らは上機嫌に尻を振りながら、隣室のドッグランへ返って行くのだった。

 ドッグランへ戻ったコーギーは早速その辺に寝そべったり、別の犬とじゃれ合ったりして、まさに犬然と振舞っている。

 それを見ると、今し方目にした一糸乱れぬ連携との一貫性が無い様で、シンは何とも言えない表情になってしまう。レオナルドが戸惑いの目に気付くと、


「半知性化犬が珍しいかな?キチンと指示を出せば、介助動物の訓練に、船内ネットワークの補助と極少機械群マイクロマシンの仲介で、それなりのお使いはしてくれるんだよ……精密機械の移送や分析は無理だけどね」


 はは、とレオナルドはここまでにあった失敗を思い出したのか、微苦笑を浮かべた。


「主、そこは拙者が手伝っているではありませんか!」


 と、シュープリンガーが腰を落とした犬座りで、手招きのような仕草をする。その手はデカく、爪も出っ放しなので、どう見ても精密作業には向いていない。

 見かねたタマさんが口を挟んだ。


「あの、ロボットアームと分析機器を連動させれば、あとは試料調整を人間が行って、流れ作業に出来ませんか?」


「そのロボットアームは私がこの船に就いた時には故障していたよ。修理の要請は出しているけれども、一向に手配されないね」


 微笑の対象が変わり、諦念染みたものを顔に浮かべながら、孵卵器のダイヤルをいじって内部環境のパラメータを調節する。


「近年は帝国議会が予算にうるさいそうでね。実学以外に払う金なし。予算が欲しければ産官学連携に参加して、指示された仕事だけしてろ……という事らしい。そういう時に音頭をとる宇宙社会学だの、銀河経済学だのの研究室には予算が流れているようだけど、今じゃ基礎研究分野は金を生まない、なんて扱いだ」


 それでもドサ廻りの使い走りだろうが、研究室に籍が残っているだけマシらしい。

 レオナルドはそう愚痴を零しながら、孵卵器の内部に卵を静置して、座りを確かめる。

 聞いていたタマさんも公共ネットワークの末端だった時分を思い出し、うんうんと頷いた。


「御用学者の肝いりですね。【星間連盟】の地方でも、経費削減のあおりを受けて図書館や博物館と言ったアカデミズムが統廃合、あるいは電子アーカイブ化されました。個人的には電子化されても、元々の利用者は困らないのでしょうが、目に見える形を失う事で、新たな利用者には認識すらされなくなる、と考えます」


「アーカイブ化が終了して、どこかのサーバー惑星にひと括りにされたら、次はサブスクリプション化だろうね。人件費の掛からない新たな財源創出!宇宙社会学者がどんな顔して言うか、目に浮かぶようだよ。そんな行政サービスは、キミの言う通り、知らない人の目には金輪際届かなくなる。家庭ごとに知の分断が起こるね」


 予算の件がよほど腹に据えかねているのか、レオナルドは暗黒時代じみた予見を口走りつつ、孵卵器のメインスイッチを強めに押し込んだ。


「ちょっ!?」

 シンがあんまりに私怨交じりな様子に、思わず待ったを掛ける。

「も、もう開始?卵の様子とかはっ?!」


「任せたまえ。ドサ廻りでこういう作業もやっているんだ。どれ、赤ちゃんのお顔を拝見しようか」


 レオナルドはそう言うと携帯端末PDAからアプリ経由で孵卵器を操作し、卵に高周波をあて、殻の内部を映像に出した。

 卵の中には爬虫人の幼体が膝を抱える様に丸まり、時折、ぴくりと体を震わせている。その姿は大分トカゲであり、まだまだ卵の中で成長するのだろう。


「おー、なる……ほど……?」

 シンはひとまず卵の中身が無事そうなのに安心するが、詳しいところは全く判らないので、最後には首を傾げるしかない。

「えーと、それじゃ孵化までには、どれくらい掛かるんです?」


「改めて言うが、私は爬虫人類レプティリアンが専門じゃあない。こんな風に観察しながら、成育を見守る事になる。だから孵化予定日も確たることは言えないな。しかし、なに、孵卵器は新型だからね。”外付けの良心テクノロジー”の精度は平等だよ?」


「平等って……さっき予算の不平等さを嘆いてませんでした?」


「人間と違ってね、機械はね、取り扱いさえ間違わなければ、結果の平等さは担保されるんだよ。悪意なんて持たないしね」


 ハイライトの入ってない目で語るレオナルドに、シンは「アカン」と察して口を紡ぐ。同様に地雷キーワードを察知するタマさんも、即座にそこを回避し、続けて質問をした。


「その”良心”の方ですが、一日あたりの利用料はお幾らになりますか?」


 失念していた金の話に、隣りでシンはドキリとする。商売道具の一つを占有するのだ、無料とは行くまいし、使用日数不明と言うのも、ちとツラい。まして予算が回って来ないと悪態ついていた話の流れである。


 いちおうシュープリンガーは「駄目ですぞ主!人の弱みにつけ込むなんて真似は!」と吠えているが、レオナルドは単純に有難がっているのか、目じりが下がって見えた。

 貧乏クジっぽいポジションや、金回りの悪さから察するに、あまり腹芸の出来る人物ではないのだろう。彼は執務机に再度両手をつくと、むしろシンたちに頼むように低頭した。


「今のところ出番が無い機材だ、利用料を取ろうとは思っていないよ。それよりも人工孵化の間、これから向かう星での調査を手伝って欲しいんだ」


 申し出自体は善良だろうが、仕事内容が判らないので判断がつかない。シンは戸惑いながら答える。


「学者先生の手伝いなんて、俺には手に余るって言うか……あれ?俺の最終学歴って中等教育まで?タマさん?」


「厳密には卒業前にジャングルに放り込まれてますから、中等教育半ばで止まってますよ」


「……義務教育満了してないじゃん!」


 シン、今更ながらショックを受ける。

 ちょっと頭を抱える少年をよそに、レオナルドはあっけらかんと言った。


「専門的なところは私が見るから、お願いしたいのは雑用だよ。なにしろ星のスター・オウルには人間が私だけなのでね。半知性化コーギーたちでは、船内ネットワーク外での意思の疎通に不安があるし、シュープリンガーは……」


 レオナルドが傍らで犬座りしている知性化犬に目をやると、彼は肉球の付いた相変わらずデカい手の平を見せた。


「御覧の通り、任せられる作業が限られる。その点、キミたちは人間にアンドロイドが二体で器用さが段違い。おまけに若旦那も太鼓判を押す、知勇兼備の宇宙の何でも屋だそうじゃないか」


「……そうだったの?」


 シンは初耳な枕詞に、タマさんに顔を近づけ、小声で訊ねた。


「わたしの記録メモリーにはありませんね」

 答えるタマさんは目を細め、鋭めの光を宿す。

若旦那ミトさんの紹介文とやらを検めたい気分ではありますが。あと紹介して貰った手前、彼の名前も出て来ちゃったので、これ、もう断れませんよ」


「卵の件もあるからね、是非も無いさ」


 比較的前向きなところで、シンは観念したようだった。

 知勇兼備という売り文句である。どうせ分析機器を担いで走り回るだけでは終わるまい――嫌な確信があった。

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