(9) (改)

 お母さんが一人で胡座をかいてヨガのポーズを取っている。ぼく達と宇宙に気を送る以外は、食事を作っているか、一人でヨガをして、ずっとブツブツと何かを唱えている。


「お母さん、なんて言ってるのかな……?」


 ぼくが不思議そうにお母さんを見ていると、お姉ちゃんが耳元でこそっと教えてくれた。


「お父さんが戻ってきてくれるように祈ってるみたい。なんか、高次元の存在と話をしているみたい。この前はお父さんの守護霊と交信をしてたよ」


 ぼくはにわかに信じられなくて、「えー?」と声を上げてしまった。


「守護霊と話が出来るの?」

「出来るんじゃない?」


 この頃になると、ぼく達は学校に行かなくなってた。ずっとお母さんと一緒に、ヨガのポーズで宇宙の精神エネルギー体と交信を続けていた。


 たまにお母さんは、ヨガ教室へ通って、友達にもっと素晴らしい体験学習の催しに連れていってもらってたみたいだ。


 帰ってくると、興奮した様子でぼく達に催しの内容を教えてくれた。


「聞いて! あのね、お父さんの守護霊と交信したことを話したらね、すごくいい方法だって。もっと強く交信する方法と道具を紹介してもらったの。道具は自分で用意できるから、買わされたわけじゃないのよ、安心してね? しかも、先生から特別講習を受けられるのよ」


 お姉ちゃんがパァッと表情が明るくなった。ぼくもその特別講習がなんなのか知りたくなった。ぼく達は口々にお母さんに尋ねた。


「それってどんなことをするの?」

「全身のチャクラに気を巡らせるんだけどね、先生のチャクラから練り出した気を使うことが出来るの! 先生はすでにステージが高い方だから、そのステージの疑似体験が出来るらしいの。高次元のステージに立ったとき、地球上の全てを観ることが出来るのよ」

「すごいね! お母さん!」


 お姉ちゃんが弾んだ声で言うので、ぼくもこれがとても素晴らしいことなんだと思えた。


「それって、いつやるの?」


 ぼくの言葉に、お母さんが答える。


「みんなといっしょに受けるみたい。さすがに一対一じゃ、先生の気がもろに当たって精神酔いを起こすそうなの。そうなると一週間は倒れてしまうそうよ。来月の講習の終わりに教室を移動してやるみたい」

「えー、私も参加してみたいなぁ」


 お姉ちゃんがうらやましそうに言った。


「だめだめ、千咲はお母さんみたいに訓練してないもの。いつか教室に連れていってあげるわね」

「お姉ちゃんが行くなら、ぼくも行きたい」


 すると、お母さんが考え込んでしまった。


「篤にはまだ早いかな。高校生になったら連れていってあげる。中学生はまだ子供だから、耐えられないかも」

「そうなの?」


 ぼくはびっくりして聞き返した。


「そうよ。男の子は大人になってからじゃないとだめらしいわ。特別教習では、先生の恩師がいろいろと教えてくれることになってるし、それも楽しみかな」


 お母さんはウキウキした様子で、台所に立って、夕飯の準備を始めた。


「お姉ちゃん、男が大人になるってどういうことかな」


 すると、お姉ちゃんが頬を赤らめて、「ばかね!」とぼくの肩を小突いた。


 お姉ちゃんの恥ずかしがっている表情があんまり可愛くて、ぼくはドキドキとなる心臓を手で押さえると、謝るつもりはなかったけど、つい「ごめんね」って言ってしまった。




 特別講習に行ってきたお母さんは、ちょっと具合が悪くなって、本当に一週間くらい寝込んでしまった。でも、特別講習については、「とても強い気に当てられて、夢を見てるような気分になった」と言っていた。


「高次元の存在と話をしたの?」


 ぼく達は、お母さんの体験談を楽しみにしてたから、具合が悪くてベッドに寝てるお母さんに聞かずにはいられなかった。


「したと思う。頭の中に響く感じで声が聞こえてくるのよ。お父さんの守護霊は、みんなのことをお父さんは愛しているって言ってた。まもなく帰ってきて、良いお父さんになるって」


 お父さんが帰ってくると聞いて、お姉ちゃんの顔が強ばった。


 それを見たお母さんが、ベッドの脇に立つお姉ちゃんの腕を取った。


「安心して。優しいお父さんになって帰ってくるから。そんなふうに守護霊と約束したの」

「本当に?」


 お母さんはお姉ちゃんの言葉ににっこりと微笑んで頷いた。


 僕たちはお母さんが寝入ってしまうまでそこにいた。お母さんの寝顔を確認して、静かに部屋を出た。


「本当に、良いお父さんになって帰ってくると思う?」


 ぼくが堪らなくなってお姉ちゃんを見つめると、お姉ちゃんはどこか不安そうに、「多分……、お母さんが言うからそうなのかも」と呟いたけど、自信がなさそうだった。




 お母さんが元気になってから、一週間経った頃、夜中にお父さんが帰ってきた。


 着てる服はヨレヨレで、きちんと整えてた髪はボサボサになってて、少し臭かった。


 元気がない様子で、ソファに倒れ込むように座ると、お母さんがどんなに話しかけても答えなかった。


「あなた、風邪を引くから布団に入って。それとも、お風呂を沸かした方がいい? おなかは空いてない?」


 いつもならしつこいって怒るのに、黙ったままぼうっとしている。


 ぼくもお姉ちゃんも、いつものお父さんじゃなくて戸惑った。でも、お姉ちゃんがぎゅっとぼくの手を握ったから、ぼくも握り返す。


「大丈夫」


 ぼくがしっかりしないと、お姉ちゃんを守れない。ぼくの言葉に、お姉ちゃんは安心した表情になって小さく頷いた。


「あなたたちはもう寝なさい。後はお母さんがするから」


 お母さんに言われて僕たちはリビングから出た。お姉ちゃんが不安がったらいけないから、ぼくもお姉ちゃんの寝室に入る。


 不安そうなお姉ちゃんがベッドに座って、おなかをさすりながらぼくを見上げた。


 隣に座ったぼくはお姉ちゃんの手に自分の手を重ねて、お姉ちゃんのおなかを撫でながら、安心させるように言った。


「お姉ちゃんとこの子は、ぼくが守るから」


 ベッドに座って、ぼくはお姉ちゃんのことを抱きしめた。お姉ちゃんも深呼吸を繰り返しながら、ぼくにしがみつく。


 何があってもぼくはお姉ちゃんを守る。お父さんを殺してでも。

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